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読書 『アルゴリズム思考術』

 先日読んだ『アルゴリズム思考術 問題解決の最強ツール(原題:ALGORITHM TO LIVE BY The Computer Science of Human Decision)』という本の感想や内容をメモ代わりに残そうと思います。

 この本の内容を簡単に表現するなら、「コンピュータアルゴリズムの研究成果を学ぶことで、現実世界の問題の本質やそれらへの対処方法を知り、より良く生きるために生かそう」という感じでしょうか。

 カバーを見た時はビジネス系の啓発本かなと思ったのですが、パラパラめくって読んでみるとどちらかと言うと科学読本のジャンルに入るのかなと思います。

 私はコンピュータアルゴリズムについては門外漢なのですが、日常の例やビジネスの例がたくさん引用されていてイメージが掴みやすくなっているのでドンドン読み進めることができました。

 この本では、コンピュータと私たちが現実に直面する問題がよく似ていて、それらのほとんどがトレードオフの問題であるということが紹介されています。そして、それらの問題の解決に関する研究成果は、単にコンピュータの処理性能を向上させるだけではなく、人間が直面する問題や人間の認知機能に関しての非常に興味深い示唆を与えてくれます。

 あと、私はミーハーなので、単純な問題の最適解などを知る度に、自分の仕事や生活にも取り入れたい欲求に駆られていました(全然実践できていませんが…)。

 前半が特におもしろいんですが(後半もおもしろいんですが難しくて理解しきれませんでした…)、仕事柄気になったのは探索と活用のトレードオフを解決するためのアルゴリズムが臨床試験のデザインに応用されているという話です。

 その話だけ簡単にご紹介します。


●探索と活用

 ”探索と活用”という章では、今日の晩御飯のために新しいレストランを試すか、お気に入りのレストランを利用するかといった何気ない日常の例がトレードオフの問題であるという話から始まります。

 新しいレストランを試す場合(探索)には、お気に入りのレストランよりも良い場合も悪い場合もありますので、幸福度の総量がどのくらいになるか予想がつきませんが、お気に入りのレストランを利用する場合(活用)にはどのくらいの幸福度が得られるかが大体予想できるので安心して利用できます。一方で、探索を行わずにお気に入りのレストランの活用ばかりしていると、これから出会うはずのもっと良いレストランとの出会いを失ってしまったり、遅らせてしまうことになります。よく考えてみると、今お気に入りのレストランも初めは新しいレストランだったはずです。

 簡単に言うと、探索と活用のバランスは残り時間によって変化するということのようです。先程の例で言えば、明日遠くの街に引っ越すのに今から新しいレストランの探索を行うのはあまり得策ではありません。最後の夜はお気に入りのレストランで好きなものを食べるのが良いでしょう。

 この問題は伝統的に、カジノでいくつかのスロットマシンの中のどれを選ぶべきかという問題として扱われています。当たる確率が高いスロットマシンがどれか分からないので、何度かアームを引いて情報収集する必要がありますが、情報収集に時間をかけ過ぎると良いマシンで遊ぶ時間が減ってしまいます。

 この問題を解決する単純な(最適ではない)アルゴリズムとして「勝てばキープ、負ければスイッチ」というものが提案されています。当然ながら勝てば勝つだけそのマシンの価値は高くなっていきますし(試行回数のうち勝ちの割合が高まるため)、負ければ負けるだけそのマシンの価値は下がります。そのためこのアルゴリズムでは、十分な回数ずつ全てのマシンで賭けて情報が揃ってからベストなマシンで残り時間を遊ぶという方針とは異なり、今賭けたマシンで勝ったら同じマシンで遊び、負けたら他のマシンに切り替えるという方法を取ります。この方法は、ベストなマシンを探索しつつも現状ベストと思われるマシンを活用することで探索と活用のバランスを取ろうという戦略です。


●臨床試験への応用

 この探索と活用のバランスを取った「勝てばキープ、負ければスイッチ」を改良した戦略が、新しい治療技術の臨床試験のデザインにも応用できるのではないかという話があるようです。

 現在標準的に行われている臨床試験では、患者は試験対象の治療方法と対照となる治療方法のどちらかの群にランダムに割り付けられ、異なる治療を受けます。最終的には、どちらの治療方法が良いかという問いに決着を付けることで、未来の患者には今後より良い治療方法を選択して提供していこうということになります。

 しかしこの臨床試験のデザインはベストなものなのでしょうか?

 この方法では「結果的に」どちらかの群の患者は相対的に良くない(もしくは有害な)治療を受けることになってしまいます。つまり、情報をさらに増やすための臨床試験によって患者が害を受けるリスクと最良の情報に基づいて治療を行うという医療倫理の間に探索と活用のトレードオフが生じてしまうということです。

 実際には臨床試験を行っている途中でもどちらの治療方法が良さそうかという情報は常に更新されていきます。そのため、臨床試験が進むにつれて(結論は出ていないとは言え)効果が低いと分かりつつある治療を受ける患者が出てきます。

 そこで1969年にマーヴィン・ゼレンによって適応的デザインと呼ばれる試験方法が提案されます。これは、ある治療方法が成功したら次にそれが使われる確率を上げ、失敗したら使われる確率を下げていくという、「勝てばキープ、負ければスイッチ」のバリエーションのような手法です。


 この本で引用されていた例は体外式膜型人工肺治療(ECMO)という幼児の呼吸不全に対する新しい治療方法に関する臨床試験でした。ECMOはミシガン大学のロバート・バートレットが開発した治療法で、肺へ向かう血液を体外に取り出し、機械で酸素を付加してから心臓に戻すという方法です。治療自体に起因するリスクはあるものの、他に打つ手がない時の選択肢の一つとなっていました。

 1982年から1984年にかけて、バートレットとミシガン大学の同僚らは呼吸不全をきたした新生児を対象とする試験を実施しました。彼らは「有用性は証明されていないが命を救う可能性のある治療法を行わないという倫理的な問題」に挑みたいとし、「単に従来の無作為割付法に従うためだけに、命を救える治療法を一部の患者に実施しないことに否定的」だったため、ゼレンのアルゴリズムを採用しました。結果は、ECMOに割り付けられた19人全員が生存したのに対し、標準治療を受けた3人は死亡しました。

 しかし、この試験結果は議論の余地があるとして、1990年代にイギリスにおいて200人の患者を対象として従来の無作為割付を行う試験が実施されました。この試験は「ECMOを支持する方針を取れば死亡リスクを抑制できるという先行する予備的知見と合致する」という結論に至りましたが、この結論を得るために標準治療群の方がECMO治療群よりも24人多く患者が死亡するというコストがかかってしまいました。

 最近、FDAにおいても適応的デザイン臨床試験に関する指針が発表され、ゼレンの提案した方法が認められる流れにあるようです。



参考

[1] 『アルゴリズム思考術 問題解決の最強ツール』, ブライアン・クリスチャン & トム・グリフィス, 田沢恭子訳, 早川書房

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