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世界は平等にある

母の夫から連絡があり

「軽い衝突事故を起こして
当て逃げの形になってしまった。
警察から、会話が成り立たないので来てほしいと連絡があって向かったら、白バイやパトカーに囲まれていて。
誘導も聞かず行こうとしたらしい。
認知症の診断はされていて、それを話したら免許を返納するならと…
本人は車に乗れなくなることが悲しいみたいだけど」

母に電話がかわり少し会話をした。
会話が成り立たない。
医師の診断では珍しい認知症らしく
パズルや運転などは
出来ていたけど
左脳だけが欠落してしまっている状況。
人の感情 善悪が分からない。
その状況でよく運転させていたなと
不思議に思ったけれど。


私と母の間に親子の繋がりがあるから
連絡をくれたようですが
私に その感覚は分からない

そちらで勝手にやってくれればいい。
今までもそうだったのに
年を重ね 死が近付くにつれ
【親子】という縛りを押し付けてくる

どんな親であっても
親子にかわりはない。

私にとっては
【血の繋がった他人】
血の繋がりだけ。
これは 
誰にも変えることはできないけれど
だからこそ強く思う
血の繋がりなんて
なんの意味もない。

幼少期に
無償の愛が欲しくて
どうすれば兄のように
私も愛してもらえるのか
どうしたら認めてもらえるのか
苦しんで苦しんで

私は私を許せずに生きてきた。

やっと その愛に諦めをつけた頃に
向けられた愛は増悪でしかなかった。

苦しみも憐れみも全て飲み込んで
私は私を許さずに生きて
その苦しみを知らず
踏み荒らされる心の痛みが
どれほどのものか

「許してやれ」
「いつか人は死ぬもの」
「自分に後悔が残る」分かってる
だから私は区切りをつけた
簡単ではなかった
覚悟の区切り。


姥捨て山が存在するなら
救われる人は沢山いるでしょう。

子供を捨てる親がいるなら
親を捨てる子供がいて何が悪い。

世界は平等に巡ってる
ただそれだけのこと。

兄は与えられて生きてきた
そんな人間ほど
何もしない
保身のみ。

巡り巡る 平等に。


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