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5.高田渡「ブラザー軒」/透明キラキラの結界

音の可視化についていくつか書いた。1は音程の上下2は音の左右移動3は音の偏在4は入れ違う音。今回は少し外れて、主に歌詞の世界を見る。音のことも最後に少しだけ。

高田渡(1949-2005)は山之口獏、金子光晴などの現代詩にアメリカのフォークを合わせて多くの曲を作った。「ブラザー軒」という曲は、詩人菅原克己の同題詩を歌をつけたもの。七夕の夜に「僕」が亡くなった父と妹を幻視する話だ。

東一番丁ブラザー軒
硝子簾がキラキラ波うち
あたりいちめん氷を噛む音
死んだ親父が入って来る
死んだ妹を連れて
氷水喰べに
ぼくの脇へ

この詩には死者ふたりが登場する舞台演出として「透明でキラキラしたもの」が使われている。詩の一行目で、結界が張られる。

「東一番丁ブラザー軒 硝子暖簾がキラキラ波打ち あたり一面 を噛む音」

ブラザー軒は仙台に実在する店だが、この詩ではガラスのれんしか描かれないこの透明キラキラな光が非日常の結界となって、外の闇を隔てている。(濃藍色のたなばたの夜)

視覚だけでなく、音の結界もある。硝子暖簾や風鈴が風に揺れる音はキラキラ、シャラシャラ、チリーンだろう。氷を噛むシャクシャク・シャリシャリとした音にも囲まれている。七夕なのだから、当然その周囲は笹の葉がサラサラだろう。

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自分の周りを、氷とガラス暖簾が囲んでいる。「白い氷のかけら」とあるように、色つきシロップはかけられていない。霙(みぞれ)とかせんじだろう。

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「死んだ親父が入ってくる 死んだ妹を連れて 氷水食べに 僕の脇へ」

このように仕切られた異空間で、とりわけ七夕の夜であれば亡くなった近親者を近くに感じることも自然だろう。詩ではふたりの動作が、本当に見ているかのように細かく描かれる。死者は闇からキラキラの中へやってきて、また闇へ消えていく。死者もまた、氷やガラスのれんのように白く透明で光っている。

音の話

高田渡はドラマ性を避けて抑揚をつけず歌う。感傷の抑制音高の幅の狭さとリンクしており、ド♯からラの間(C#からA)という1オクターブにも満たない狭さにおさめられている。

ブラザー軒

息子、高田漣によるカバー。

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