連載小説|寒空の下(9)
数日働いただけで心が折れかけていたが、どうしても大学生という自由な身分を失いたくなかった。俺は我慢して働き続けた。とはいっても、まともに警備の仕事と向き合うことはできず、自分なりの工夫を重ねていた。
じっとしていなければ時間が早く進むと思い、駆け足をしたり、踊ってみたり、国歌を歌ったりもした。だが、出口に取り付けられていたカメラで全てが監視されていた。耳には一日中つけていなければならない無線機が装着されていて、何かあればすぐに指摘された。駆け足するな !踊るな!大声で歌うな!
しまいには働いている同僚からだけでなく、じっとしていられないことを客に指摘されたこともあった。例えば、50歳過ぎくらいのおばさん。目尻の皺とほうれい線が目立っていた。俺が出口に背を向けた状態でシャドウボクシングをしていると、彼女はクラクションを鳴らしてきた。
「あんた、ちゃんと立ってないといけないじゃないの!」
「少なからず座ってはいなかったけど」
「そういうことを言ってるんじゃないの!あなたすごく感じ悪いわよ!」
「じゃあ、1ミリも動かずに立って待ってろっていうんすか?」
「お仕事でしょ!当然じゃない!」
「誰にも迷惑かけてないでしょ?」
「あなたがすぐに気が付かないから私は迷惑したのよ!」
おばさんは観光地の駐車場に現われる猿みたいにいつまでも騒ぎ立てた。おかげで後方には20台くらい車が連なってしまった。人的な渋滞が発生していた。トンネルのようになっている通路に大量のクラクションがこだましていた。おばさんはさすがに気まずくなったのか、満足したのかは知らないが、15分くらい俺に唾を撒き散らしたあと「もう帰るから名前を教えろ」と言ってきた。仕方がなかったので、メモ用紙を取り出し、丁寧に名前を書いて渡した。
おばさんはメモ用紙をろくに見もせずにふんだくると、思いっきりアクセルを踏んで出て行った。おそらく後からクレームの電話を店にでもするつもりなのだろうが、残念ながら「麻生太郎」なんて奴はここにはいない。
おばさんのあとに続いて行った車のドライバーたちも俺を罵倒していった。俺は叱られて成長するタイプではなかったから客の声を全て無視した。チップすら受け取らず、店側が善意で車を誘導しているというのに、それを当たり前に考えている人間があまりにも多かった。俺はひどく失望した。世の中くそったれもいいところだ。
そうやって、嫌な思いばかりをしなければならない日々だったが、俺の味方になって時間が早く過ぎるように手助けしてくれる奴らもいた。
ある日のお昼過ぎ。日が西に傾きかけていた時だった。いつものように「西側の立体駐車場出口」に立っていると、すぐ脇にある駐輪場で非常用設備を取り囲んでいたコーンとコーンバーを壊して遊んでいる小学生が3人ほどいた。彼らはバレないようにやっているつもりだったかもしれないが、全てが監視カメラに映っていた。無線機越しに防災センター内がざわついているのが聞こえた。
「警察を呼んでいいかどうか上長からの指示を待っているのですね。了解」
俺は木下や石田が出しゃばってくるよりも先に動くことにした。正義感とかそういうものが生まれたわけではなかった。その場に立っているのが辛くなり、動きたくてたまらなかった。俺は子供たちに近づき声をかけた。
「おい、お前ら何してんだ?俺も仲間に入れてくれよ」3人のうち1人が俺の側にやって来た。おそらく彼がリーダーだった。
「ちゃんと謝るんで見なかったことにしてください」
「人の話はちゃんと聞けよ」
「え?」
「俺は仲間に入れろって言ったんだぞ?」
「はぁ」
「いいだろ?俺もイライラしてんだ」
俺はプラスチック製で黄色と黒の縞模様をしたコーンバーを1本手に取り、地面に叩きつけた。真っ二つに割れた。さらにそれを何度も踏み、粉々にした。破片がいくつか靴底に刺さった。子供たちが真似して一緒に踏みつぶそうとしたが俺はそれを止めた。
「お前らはもういいだろ?」
数本並んでいた赤いコーンは子供たちの弱々しい蹴りで先端だけが中途半端に割れていた。俺はそれも思いっきり蹴り飛ばした。壁にぶつかった衝撃でコーンはくの字に折れ曲がった。そうこうしているうちに木下と石田がやって来た。
「やめろ!お前は馬鹿か!」木下が叫んだ。
「ちょうど古くなってたから細かくして捨てようと思ったんすよ」
「でも、最初はこの子どもたちが壊してたんだぞ?ちゃんとこっちはカメラで見てたんだからな!」
「こいつらに壊しといてくれって頼んだんすよ」3人ともが頷いた。
「嘘もいい加減にしとけよ!そもそもな、お前には何の権限もないんだぞ!」
「俺が新しいの買いますから。それでいいでしょ?」
押し問答をしている間に子供たちはチャリに乗って逃げていった。その後、すぐに警察がやって来たが重大な事件でもなかったから深掘りすることもなく、さっさと帰っていった。
結局のところ、俺の給料から1万円ほど天引きされることになり、コトは済んだ。30万を貯めるためには痛手だったが、俺は自分のことしか考えられないほど器の小さい人間にはなりたくなかった。
つづく
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