見出し画像

新生活|ショートショート

 フリマアプリでダブルベッドのフレームを掲載したところ、買い手が見つかった。

 どうやら買い手の人物は同じ県内に住んでいるらしく、向こうから直接引き取りに来たいとのことだった。もうすぐ引っ越すことになっているので、住所を知られても問題はなかった。それに、送料は抑えられるし、無駄な梱包をする必要もなくなるのでお互いにとって好都合だった。

 引き取り当日。まだ3月ではあったが、寒さは幾分か和らぎ、春本番の陽気だった。私は家の前の駐車場にブルーシートを敷き、ダブルベッドのフレームを運び出した。すぐに使いたいとのことだったので、ほとんど分解はしなかった。

 もうすぐ到着するという連絡があったので、私は外で日光浴でもすることにした。キャンプ用の椅子を運び出し、買い手の人物を待った。ダブルベッドのフレームを眺めながら、ちびちびとワインを飲んだ。

 他の家具と一緒に、慌ただしく2階の寝室に運び込まれたこのベッドフレーム。すぐにマットレスを敷き、カバーをしたので、剝き出しの様子を目にするのはあの時以来だった。丁寧に拭き掃除をした結果、新品に近いくらい状態は良くなった。だが、同じ部分に集中して重みがかかっていたのか、中心の辺りが少し沈んでいるのが気になった。

 しばらくすると、買い手の人物がやって来た。白色のバンに乗ってきたのは自分よりも年の若い男女2人だった。大学生くらいの年頃に見えた。彼女のほうがスマホで地図を調べているようだった。買い手であり私とやり取りをしていた人物と思われる彼の方はハンドルに両腕をもたせかけ、前のめりになって私の家を探していた。大きく手を振ると、2人はすぐに気が付いた。ワインはまだ残っていたが、あとで飲むことにした。

 彼氏が家の手前で車を停車させると、すぐに2人で降りてこちらにやって来た。

「どうも、わざわざ取りに来てもらってありがとうございます」私は言った。
「いえいえ、こちらこそ」彼氏は言った。彼女は後ろでお辞儀をした。
「少し重いので手伝いましょうか?」私は尋ねた。
「いいんですか?助かります」彼女は言った。

 白いバンの荷台は空だったので、何の問題もなくベッドフレームを積むことができた。彼氏と私が協力して運ぶ様子を彼女は黙って見守っていた。

 柱の部分が出っ張っていて、ガラス窓に当たって割れてしまいそうだった。車が傷ついてしまっては気の毒だったので、少しだけ補強してあげることにした。引っ越しで使った梱包材が余っていたので、家の中から取りだし、柱の周りに巻き付けた。

「いろいろとしてもらって、ありがとうございます」彼氏が言った。
「いいんですよ、これくらい。買ってもらったわけですから」私は言った。

 諸手続を済ませると、少しばかり立ち話をした。これから新生活を始める2人はいきいきとしていた。もしもこの家が自分のものであったならば、全てを彼らに譲っていたかもしれないと想像した。

「どうしてまだ綺麗なのにこのベッドを手放すことにしたんですか?」彼氏が私に尋ねた。
「それなりの年数が経ったから新しいものを買うことにしたんですよ」私は嘘をついた。
「これよりも大きいベッドですか?」彼女が言った。
「ええ、少しだけですが」私はまた嘘をついた。

 わざわざ来てもらって、ベッドフレームだけを渡して帰らせるのも申し訳なかった。私は玄関先にあったバドミントンのセットを持ち出した。これもまた私にはもう必要のないものだった。彼らは「まだ綺麗なのに、いいんですか?」と言いながらも、袋の中からラケットを取りだし、しげしげと眺めていた。

「せっかくなんで、少し試してみるのはどうでしょうか?」私は言った。

 はじめは照れくさそうにしていたが、2人の見知らぬ男女は私の家の前で楽しげにバドミントンをし始めた。私は残っていたワインを飲みながらその様子を見守った。2人ともそこまで上手ではなく、ラリーは長く続かなかった。網の部分ではなく金属の部分ばかりにシャトルが当たるので、甲高い音が響いた。それでも彼らは楽しげに笑い合っていた。

 私は自分が完璧を追い求めすぎたのか、それとも彼女がそうだったのかが未だに分からないままだった。小一時間の滞在を終えると、若い男女は幻のように去っていった。

 そして、私はまた孤独になった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?