パーソナライズドラーニングを「常識」に

複数の生徒が教室に集まり、先生の教えの元、同じ教科書を使って同じ課題に取り組む。これは日本にとって当たり前の風景です。ほとんどの人がこのような教育を受けてきたと思います。

しかし、通常学校の教育に馴染まない子どもたちもいます。例えば学習障害(LD)の子どもたち。

LDは知的な発達に遅れがないにも関わらず、「聞く」「話す」「書く」「計算・推論する」能力のうち、特定のものの習得と使用に著しい困難を示す様々な状態を指します。

中でもよく知られているのはディスレクシア(読字障害)です。ディスレクシは文字を音に変換することが苦手なため、読むことに対する困難が生じます。通常の学校では先生が黒板に書いたものをノートに写すことが多いですが、ディスレクシアは読みに困難があるため、このような作業が著しく苦手です。

私がフリースクールの教員時代に担当していた生徒も読みに困難があり、算数の文章になると途端にやる気をなくしていました。しかし、こちらが問題を読み上げるとスラスラと問題を解いてしまうのです。

当然のことながら、このような困難を持つ子が通常学校の教育で学力を伸ばすことは困難です。さらに言えば、苦手なことを多くやらされるため、モチベーションを維持するのも困難です。

LDと同様、ギフテッドの子どもたちも特殊な教育が必要です。

ギフテッドについては以前こんな記事も書きました。

ギフテッドの子どもたちは特定の分野で著しく高い能力を持っており、通常の学校ではその子の才能を適切に伸ばすことは困難です。自分のレベルに合わず、簡単なことしか習うことができなければいずれ無気力に陥ってしまうからです。

また、ギフテッドのもう一つの側面として、発達障害をはじめとした問題を抱えやすいという特徴があります。
(「2E (twice-exceptional):二重に例外な」という特徴です。)

能力に「峰」と「谷」を併せ持つようなイメージですね。ギフテッドの子供たちがより豊かな生活を送るためにはこの「峰」と「谷」の両方からアプローチする必要があります。これがギフテッド教育の本質です。

LDとギフテッドはもちろんですが、教育機会の均等の観点から考えたら、その子のレベルに合った教育を施さなければいけないのは当然のことです。

そのような学習スタイルが効果的な生徒もいれば、逆に進度が早すぎて十分に学ぶことができないという生徒もいるはずです。個々人の能力や認知特性、家庭環境、発育のスピード、習得度がそれぞれ異なることを前提に考えれば、全員が同じ条件を与えらていても、質の高い学びができる環境を得るという観点から言えば、不平等であると言わざるを得ないのです。

そのような「不平等」を解決する手段として、アメリカや欧米諸国では「パーソナライズドラーニング」がトレンドになり始めているそうです。

パーソナライズドラーニングとは、個々の生徒の能力や進度に合わせた学習環境を提供していくこと。

海外ではコンピュータ教材ソフトによって学習を進めていくケースもあるといいます。コンピュータが学習進度を分析、判断し、カリキュラムを作成していきます。(日本でもそのようなアプリが作られ始めていますね。)

コンピュータが作成したカリキュラムの元、出題された問題に取り組みます。回答の傾向や正解率によって次の課題が出題されるようなイメージです。

LDやギフテッドの場合はコンピュータによる分析や判断が難しいかもしれませんが、海外ではパーソナルライズドラーニングが確実に進んでいるのは事実です。

日本も真の意味で教育機会の均等を手に入れなければなりません。


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