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建築が消える日,または,状況としての建築

”Architecture does not exist.” 建築は存在しない.
これは,アメリカの建築家,Louis I Kahn(ルイス・カーン,1901-1974) が,講義の中で語った言葉で,彼の「建築」に対する思想を端的に表している言葉として知られている.この後に”建築物が存在するだけだ”,と付け加える.彼にとって,建築物とは,見ることができる,触れることができる「建築」の仮の姿であり,建築とは,目に見えない「善くあろうとする意志」そのものだというわけだ.そしてその意志に背かないようそれぞれのプロジェクトは混迷を極めた上で,最終的には現代における古典あるいはすでに遺跡のような佇まいを見せることになる...

カーンの建築とその思想は,当時大学生だった僕に建築の神秘,あるいは,哲学,もっというと,ある種の人間の業のようなものも含めた何か尊いものを植えつけて,僕は今だにその中を迷いながら進んでいるような気がする.もちろん,カーンから学んだといっても,カーンの弟子であった工藤国雄さんの情熱的な著書「ルイス・カーン論」「私のルイス・カーン」,カーンの娘であるアン・ティンの記した「Beginnings」のような書物からだったり,間接的に彼を知る人のや研究者の言葉だったりからだったりするから,直接的な繋がりはないから,単に心の師,ということになるわけだが,昨年,その工藤国雄さんと直接お会いできる機会に恵まれ,他の数名の建築家たちとともに食事を共にひと時を過ごした.それで,気持ち的には何となく,カーンの存在が少しだけ近くなったような,そんな貴重な機会だった.

(しらべたら,これらの多くは現在入手困難のようです...)

カーンと同時代もしくはほんの僅か後の世代のオーストリアの建築家ハンス・ホラインは,すでに「すべては建築である」という宣言と共に,あらゆるものの中にある”建築的なもの”をグラフィカルに表現した.1970年代に完成したフランスが誇る文化の伝道,ポンピドゥー・センターも,見方によったら建築に見えない建築ということができる.実現しなかったものの,それ以前にイギリスのセドリック・プライスによる,ファン・パレスが計画されたその頃から,すでに権威としての建築の役割は終焉を迎えていたと言うことができるだろう.

今年,担当する建築史の講義をオンライン授業で実施することになり,授業資料を大幅に刷新した.ギリシャ神殿から現代建築までを網羅するなかで,「建築」という存在が人間や社会とどう関わってきたのか,人間や社会の思いがどう建築を変化させていったのか,その意匠的な特徴や技術的な進化の背景にある「理念」にできるだけフォーカスして話題を提供してきた.方針や骨子は同じだが,今年は海外の動画資料などを大いに活用することにした.実際,実に優れているものが多くあった.そして,それに伴って全体を見通した時,4000年ほどの歴史のなかで,建築はいま再び,環境に戻ろうとしているという仮説が見えてきた.自然の景観を損ねないように控えめに建てられたり,20世紀以降ガラスという建材がもたらす透明性だったり,流動的で内外が曖昧な空間であったり.もちろん現代建築はまだ現在進行形であるため,ある一部の表現をまとめて傾向を見出して結論づけるには無理があるが,環境優先の時代の中で,建築は自らその存在を消し去ろうとしているのかもしれないと思った.

2020年のいま,世界の見方が変わるほど大きな変化が正に現在進行形で起きている.過密に都市化してきた産業革命以降の数百年の積み重ねが大きなパラダイムシフトを起こそうとしているなかで,建築も,ますます都市や環境,つまりは社会のあり方との関係性の中で大きな変化を遂げるだろう.面積や空間の再分配,外部環境との接続のしかたなどを中心に,機能のフレキシビリティがますます求められるだろう.20世紀,設備と建築は分かち難く同一階層に計画されてきたが,これからは分化が進むかもしれない.建築はますます,場所をつくることや,ある種,インフラというか,プラットフォームを作ることにシフトするかもしれない.しかし,面白いことに,これらの流れは実はすでにコロナ時代以前から現代建築のメインストリームでもあった.70年代に日本からメタボリズムと呼ばれる動きが出てきたことは,この流れの予兆でもあったのかもしれない.これが何を意味しているのかまだうまく整理できないが,ある種の予言みたいなものを,建築の歴史を含む流れの中に見ることはできるのかもしれない.

工藤さんといた時,たまたま1対1でパーソナルな会話をしていた時のこと.工藤さんは建築の話でなく,最近はアメリカで英語が日本語化している,と話してくれた.どんどんストラクチャーが崩れて,単語の繋ぎ合わせで,余白で意味を伝えようとしていると.それを,日本語のようだ,と話していた.逆説的に,僕には建築を含めた社会の状況がそこに反映されているような気がした.

そこで,再起されるのは,冒頭のカーンの言葉である.
建築は存在しない.そう考えながら1960年代にカーンが生み出した遺跡のような建築は,堂々として象徴的に見えるものの,要求された機能に応えるべくそのモノの始まり(ビギニングス)まで遡って,どうあるべきかを考えた結果だったと言える.設備などに必要な空間を,部屋のように用意周到に設計し”奉仕される空間”と”奉仕する空間”を隔てることで,人の過ごす空間のフレキシビリティを保とうとした.現代,その根拠となる機能や,物事のヒエラルキーがもはや希薄になってきた.社会もまた,ストラクチャーとヒエラルキーを失っているのだ.カーンならどう現代の建築をつくるだろうか,と考えずにはいられない.

ただ,機能が信頼できなくなったとしても,その機能を見る眼の解像度を高めていけば,それらは,人間の振る舞いをどう扱うか,人間の過ごす場所がどうあるべきか,という根源的な問いに立ち返るだろう.人間や社会の自由度が増すということは,建築の規制(ある意味で建築というのは行為を規制すると言うこともできるわけだ)が緩くなる,よく知られた言葉で言えば,ミース・ファン・デル・ローエの "Less is more" ということだし,またそれをロバート・ベンチューリが "Less is bore: 退屈だ" と一笑に付したことが逆説的に示しているように,誤解を恐れずに言えば「退屈でいい」のだ.建築はもはや殊更に主張してくる類のものでなく,ただ空間,あるいは背景としてその場に佇んでいるような.純粋なプラットフォームとしての場所,そして,刹那的に用意される機能に応じた設備類.それは,状況としての建築.環境にアダプテーションする,方法論を伴った場所の作り方そのものだという気がする.カーンの言葉を裏返せば,もはや,建築物である必要がない.

空間を構成する物理的なエレメントだけでなく,空気,音,そういう時間を含む体験としての建築.その場にいる人間を包むように,それは環境の中に溶けて消えてしまってもいいとさえ思う.建築が消える日.将来の建築の姿を,そんな風に夢想してみる.




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