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パリ初日,最古の教会でコンサートに出会う.

25年近く前の旅の記憶の続き.

水色のジャンパースカートを着た青い瞳の少女が降り際にくれたキャンディーを口に放り込んで,しばらく車窓の風景をコンパートメントの窓際の席から頭を窓ガラスに委ねながら眺めて過ごした.早朝にベルフォート(ベルフォール)を出発して,何時間が経っただろう.長距離を移動する時は夜行列車を頻繁に使ったが,こんなに明るい時間を移動に費やすのはちょっと勿体なかったかもしれないと思いつつ,今回の旅の中でも長時間列車に揺られてようやくパリに到着した.時刻はもう正午はとうに過ぎていた.さて,これから宿泊の予約をしなければならない.

ガイドブックのリストから,直感的に候補を選んで電話をかけてみる.あるいは,直接宿まで行って交渉する.この旅の中で新しい街に着く度にやってきたことだが,そこに寄せられたレビューに書かれたことを想像して,ここだと思う宿を選ぶのはかなり賭けに近かった.もちろん,最初の候補の宿が生憎満杯で取れないこともあったし,第2第3の候補の宿,もうレビューを読んでも特に期待するポイントも見当たらなかった宿でも,案外いい思いをすることもあったりで,当たり外れという意味ではそれほど意味はなかった.でもまあ,当たりにせよ外れにせよ,同時に同じ街の他の宿と比べることはないから,あくまでも個人的によほどの不具合でも起きない限り問題ない.そもそも学生一人のバックパックの旅で泊まるのは,安いところで一泊数百円から高くても2,3千円くらいの安宿だからそもそも高望みはしていなかった.歩き疲れた身体を休めるためのベッドと,できればちゃんとお湯の出るシャワーさえあれば満足だった.今はもう旅に出てもそんな安宿をさすがに利用することはほぼ無いから現在のヨーロッパの安宿情報には疎いが,当時はまだそんな宿は多くあった.そういう意味で,当たり外れがあるとすれば,シャワーからちゃんとお湯が出るか,ということだった.

パリでは,結果的にムフタール通り,別名「パリの胃袋」と呼ばれているエリアにある宿を取った.ガイドブックによると食材屋が集まった通りで,多くのカフェやレストランもひしめき合っているらしい.とりあえず,公衆電話を見つけて宿に電話をかけて,パリに滞在する数日分のベッドが空いているか聞く.当時はまだフランス語を学ぶ前だから,辿々しく英語で問い合わせる.取り敢えず,細かい交渉は現地に着いてからですることにして,どうやら希望の期間の部屋が取れそうだということが分かると,大きなバックパックを背負い直して宿に向かった.

パリはこのひと月に渡るヨーロッパ周遊建築見学の旅の最終目的地,という位置付けだった.ロンドンやローマと並んで,一つの都市の中に見たい建築が山ほどあって,いくら日にちがあっても足りないほどだった.宿に着いて,パリに滞在する日数分の宿が取れることや,朝食についての確認をして,問題もなさそうだから歩き回る時間も勿体ないので即決した.シャワーからちゃんとお湯が出るかどうかについては,あえて聞かないようにしていた.真夏の旅だから,正直水のシャワーでもそれほど困ることはなかったのと,なぜかその「当たりか外れか」を運に任せるというのを自分の中の密かな愉しみにしていたといえば少し大袈裟だろうか.案内された部屋は,小さな窓の付いた6畳ほどで,2段ベッドが2つ添え付けられていた.窓に近いベッドの下側が今日から数日の自分のベッドだった.取り敢えず,部屋を確認して,大きなバックパックを部屋に置いて,小さなリュックにカメラやフィルムを詰めて,街に再び出た.まずは近隣の街の様子と,近くにあるいくつかの建築をサッとみて回るためだ.取り敢えず,セーヌ側方面に向かって歩いてみる.パリのパンテオンをかすめ,サン・ジュヌヴィエーブ図書館の横を通り,ソルボンヌ大学の前を通り過ぎながら,サンジェルマン・デ・プレ教会を目指した.

実は,パリのパンテオンにも,サント・ジュヌヴィエーブ図書館にも入ることが出来なかった.また数日の間に戻って来られるだろうと思ったまま,結局その時間が取れずにいくつかの建築を見られなかったということはこれまでにもあった.これらの建築もその類だ.そういう時には,また数日の間,というフレーズを,また数年後,に変えて,いつかまたこの街に戻ってくるだろう自分を想像して諦めることにしている.そして,その後実際に幾つかは戻れたが,幾つかは戻れていない,例えその後にその街に行ったとしても.パリはその後二度訪れたが,結局まだこれらを含めた幾つかの建築にはちゃんと訪問できていない.何度も訪れたくなる建築もあれば,訪れたいと思いながらもどこか機会を失い続けているものもある.それはまさに人生というと大袈裟だが,日常生活に似ている.結局のところ,人一人に与えられた時間はそれほど多くないということかもしれないし,それほど意識せずに自分の中で何か物事の優先順位を付けているのかもしれないなと思う.

さて,テクテクと歩いてしばらくすると,まさに学生街らしくカフェや本屋や文具店などが集まる通りに出て,大通りの交差点まで歩くと,パリで最古の教会のひとつともいわれるサンジェルマン・デ・プレ教会が見えてきた.石積みの外観は,例えば同じパリのノートルダムなどの有名なゴシック教会に比べて大人しく,その分,どこか静かながら力強い表情だ.パリ最古の,という言葉にある通り,ゴシック様式よりも先の時代,ロマネスク様式に分類される.その分,木訥な佇まいは重厚感を感じさせる.もちろん,幾度かの火災の被害などでの修復時に,当時の技術で改修されていたりするから,いくつもの時代を超えた職人技術のパッチワークのようになっているのが実際のところだ.教会の足元まで行ってみる.基本的にはこのような教会は地元の人にも観光客にも開放されている.中は薄暗く,荘厳な雰囲気である.これまで,いくつかの大都市で教会の空間を味わってきたが,そのどれもがそれぞれ独特の雰囲気を宿していた.本物,という文字が頭をいつも過ぎる.当時日本では,いや,今でも,教会といえば結婚式の華やかな舞台というような理解のされ方が一般的だろうと思う.中には,ハリボテのような「チャペル」がそのために作られたりする.なにが本物でなにが本物ではないという議論は野暮というものかもしれないが,そこには何かしらかの決定的な違いを感じることは否めない.建築を学び始めると,そういう日本のまだ未消化で付け焼き刃的な西洋文化の模倣が戦後の西洋化プロセスと資本主義の発達の中で歪められてきた事実と向き合わざるを得ない状況が出てくる.無論,文化の交流とは常にそういう誤解や政治経済的な理由での歪曲を孕むことは避けられないのは承知していても,また,自分の思想が教条的になりすぎることを避けたいと思う気持ちも強く持ちつつも,どうにもハリボテ建築だけは許しがたい存在なのである.それが無自覚であればあるほど悲しい.そう,許しがたいというよりはむしろ悲しいのだ.この点においてはどうしても頑固なのだ,我ながら.

話が横道に逸れてしまった.そう,サンジェルマン・デ・プレ教会と学生街カルチェラタンの素敵な思い出について書こうとしたのだった.

さて,一通り中を見学して,外に出た時に,ふと目にした控えめな貼り紙に目が止まった.どうやら,今日の夕方にここで行われるコンサートの告知だった.しかも無料らしい.それほど有名なプレイヤーの演奏ではないのかもしれないが,この機会を逃す手はない.コンサートが始まる時間を確認して,その時間に戻ってくることにした.あと数時間ほどある.地下鉄に乗って他のエリアの建築を幾つか見て,その間に,ガイドブックに書かれていた,教会でのコンサートにはジャケットを着用しないといけない,という一文を見つけて適当に見つけた古着屋で数百円でシャツを購入した.ジャケットは,季節外れだがロンドンで購入した黒の別珍のジャケットを着れば済むが,さすがにその下がヨレヨレのTシャツではバツが悪い.一度宿に戻り,そのシャツを羽織り,冬物のジャケットを手に抱えて再度カルチェラタンに向かった.コンサートの時間まで,教会の近くにある文房具屋に入り,誰にあげるつもりでもなく適当なお土産になりそうなものを物色した.僕の身の回りでは,文房具は定番のお土産だった.なぜなら,日本のメーカーにはないデザインの素敵なものが多くあり,値段も手頃で小さいときている.ペンや鉛筆,消ゴムなどのものですらどこか素敵に思えた.

時間になると,教会にはすでにたくさんの人がコンサート目当てに集まって来ていた.近づきながら遠目に人々の格好を観察した,もちろん,自分が大きく文化的な暗黙のルールを乱していないかということを確認するためだった.多くの人は,無料の気軽そうなコンサートにもかかわらず,確かに立派そうなドレスやスーツで着飾っていた.きっと地元の人だろうが,そういった生活モードの切り替えによる自分の生活の演出を丁寧にやっているような印象を受けた.それで少し気後れしたが,よく観察すると,旅行者らしきラフな服装の人も混じっている.何とかなりそうだ.僕は列に並び入場した.教会の中は,天井の高い大きな気積の空間に人々のお喋りが反響して何とも言えない高揚感を感じさせた.音響的には反響しすぎるのかもしれないが,リハーサルで鳴っているバイオリンの音でその音の広がりにすでにゾクゾクした.席はほぼ埋まっており,多くの人が立ち見で,僕も控えめに柱にもたれかかれる位置にスペースを見つけて,開演を待った.

程なく,祭壇近くに6名程度の演奏家がスタンバイした.一人がフランス語で挨拶をし,会場が拍手を送り,それが静まり返ると,合図の息遣いと共に,最初の旋律が空間に響く.確かモーツァルトの有名な曲だ,フレーズに聞き覚えがあった.曲の名前までは分からない.クラシックにはそれほど詳しくないのだ.でも,満足だった.音楽家たちの演奏が止むと,観客は割れんばかりの拍手を送る.とにかく音の広がりがその感動を増幅させた.偶然にも,パリ最古の教会でパリに着いてその日の夜にこんな素敵な場に出会えるとは.さて,もし自分がここに住んでいるのであれば,素敵なパートナーと来ていて,帰りにどこかのレストランで夕食を楽しむのかもしれないなどといった妄想をしたものの,現実は冬物のジャケットの下で汗ばんだ古着のシャツを羽織ったバックパッカーだった.夕食はホテルのすぐ下にひしめき合っている食べ物屋で適当に買うことにした.何せパリの胃袋,という別名がついた通りなのだから.それでも十分素敵だ,と自分に言い聞かせた.夏のパリの日は長い.まだほんの少し空は青かった.





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