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四国高松に部屋を借りる 2/3

物理学者で随筆家である中谷宇吉郎の「生活の実験」というエッセイの存在を、新建築住宅特集を読んでいたときに、中村好文の作品解説の文章の中に発見した。直感的に面白そうだと思い、すぐに古本屋からそのエッセイが含まれている本を取り寄せた。本自体は昭和15年に出ており、届いたのは昭和20年に出された第10刷りのもので、旧書体がふんだんに使われており少々読みづらかったが、エッセイそのものは予想通り大変面白いものだった。中谷が北海道で生活をする際に家を建てる、その建て方を、北海道の厳冬を前提にしながらも、工夫すれば今でいうサステナブルでありながら簡素で凛とした日本風のものが可能ではないかという科学的な仮説に基づき実行した際の顛末を書いたものだ。

作家が自分の暮らす家や空間について記したエッセイや言葉は数あれど、吉田健一のエッセイ「長崎」の有名な一説も印象的だ。「戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである」書かれたのは昭和57年。2023年の今にまたこの文章の重要性が身に染みる。それと、現代ではやはり稲垣えみ子のインタビュー記事やエッセイが痛快である。彼女ほど極端なシフトは煩悩の多い自分には難しいものの、自分の嗜好というよりは、なるべく環境に負荷をかけずに省エネで暮らせるか、ということを一度試してみるには今回の一人暮らしは好都合だと思ったのである。 そこで、それらの試みを、暮らしの実験、と呼んで記録してみることにした。

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そのいくつかの候補の中に、2LD+K(個室がふたつと、リビングダイニング+キッチン、もちろん風呂とトイレはついている)で、海に近い広い河口にバルコニーが面した物件を見つけた。築年数がずいぶん経っているようだが、ジャストで予算に収まる。Googleマップで地域を調べてみる。建物自体も、各住戸を雁行させ、中廊下にも光と風が入るように設計されており、なかなか味わいのある佇まいである。その中の部屋が数戸空いているようだった。川沿いで眺めと抜けは申し分なさそうで、海も見えそうだった。ただ、南西に面しており、西陽が強そうなのと、バルコニーが他より広く川も見える手すりになっている2階がベストな気がしたが、1階がピロティなので床が冷えるかもしれないことが気になった。

会社が指名している不動産屋の担当者にコンタクトを取り、いくつかインターネット経由で調べてその気になった部屋の情報を送ってみた。入社2年目という若い担当者は、熱心に他にも候補を10ほど送ってくれた。彼の献身的な仕事ぶりに大いに感謝しつつも、その追加された候補物件はどれもこれまでに説明してきた僕にとってのNG物件ばかりだったことに苦笑した。僕は正直に「キッチン横を通って部屋に入る間取りはNGです」とか「なるべく広く、かつ、眺めが良い場所を探しています」という条件を付け加えたら「キッチン横を通らないとなると、かなり限られてきますね」と返してきた。それはそうだろう。

さらに、僕が一番気になっている、築41年の2LD+Kの物件について気になる部分の採寸を依頼した際、返事にはこう書いてあった。「やはり建物全体・室内・室内設備自体がかなり古めなものであるという印象でございます。例えば浴槽は昔ながらのステンレス製であったり、廊下もあまり日光が入らないような構造になっていたりということがございますので、何卒動画やお写真にてご確認をお願いいたします」まるで「本当に他にも新しい物件がいろいろあるのにここにされるおつもりですか?」と言いたそうではないか。そうなのだよ、君の年齢ではこれは逆にNG物件なのかもしれないね、と思った。

担当者は親切にも動画を撮影してくれたので、インターネット経由でも大体の部屋の様子は掴むことができた。部屋を借りるのは20年ぶりだったが、インターネットのおかげで随分と事前に詳細がわかるようになっていることが分かった。それでも、空気感や、街の雰囲気、やはり実際に暮らすとなると、一度訪れてみないと、と思い、日帰りで部屋の内見に行った。担当者は、僕が部屋を見てふむふむと自分の暮らしを想像しながらチェックするのをただ黒子のように控えて黙って見ていた。結局2階の部屋に決めた。それでも最後に送ってくれる車の中で「やはり古いとは思いますが大丈夫でしたか?」と聞いてきたのだった。

僕は、若い彼に、ピカピカの小さなワンルームより、古びてはいるが2LD+Kで川に面してバルコニーから海が見え、浴室やキッチンにも換気のための窓があり、何よりも適正な間取りであることが如何に大事なことかを少し雄弁に語ってみた。実際のところ、そのアパートメントは分譲賃貸のようだった。基本がしっかりしているのは確かだった。しかし、彼は「そうなんですね」と営業的な相槌を打つくらいで、僕の講釈にはあまり関心がないようだった。そうだろう、それくらいでないと不動産の営業はやって行けまい。良心的な心があれば、案内するのが嫌になるような部屋はいくらでもあるだろう。

(つづく)

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