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パリ,旅の最後.寝坊で危機一髪

30年近く前の旅の記憶.続き.

そもそも,パリを旅の最終地点に選んだのは,もちろん当時の僕にとってもっとも憧れの場所であったことは否定できない.大義名分としては建築を巡る旅,ということだが,もともと西洋文化への興味から建築へ流れ着いた僕にとって,建築だけでなく,アート,音楽,ファッション,また,車などのデザイン,その背後の思想,あるいは言語...そういった混沌としたものの密度が当時の僕にとって最も高かったのがパリという街だった.

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ただ,フランス人は気難しいよ,という話もいろんな人から聞いていた.ただ,それほどじっくりと誰かと話が出来るわけでもなく,旅の途中での何かを買ったり尋ねたりという程度のコミュニケーションではそれほど実感することもなかった.フランス人は英語を(たとえ分かっていても)喋らない,という話も聞いていたが,窓口でのやりとりで困ることはほとんどなかった.ただ,彼らの言葉は美しい響きだった.英語とは違う,調べのような響き.それを意識したのは中学生の頃に夜中のテレビでやっていたお色気なフランス映画をこっそり見た時だったんだけど.

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パリでの数日間はあっという間だった.当然時間は足りないから,見るものは選択を迫られる.例えばベルサイユ宮殿か,サヴォア邸か.モンマルトルかデファンスか.サヴォア邸,そしてデファンス.当時はモダニズム~現代建築への関心が勝っていたから,そういった選択は自然だった.デファンスのグラン・アルシュは,当時建築関係の人間であれば誰もが訪れてみたい場所だったはずだ.一辺100mにもなる直方体のゲートの形をした現代建築.メトロ(地下鉄)でデファンス駅について,地下から地上に上がった時にすでに身体が感じる巨大なものの存在感.ケルンで味わった感覚が呼び起こされる.今考えれば,ナポレオン時代から現代にいたるまでの都市デザインの総括的な最後の一手に近いものだったのではないだろうか.その後,社会はリアルな空間から別の次元へ拡散し,この手の都市デザインがもはや有効なものかどうかは疑わしい.もちろん,ランドマーク的なものはどの都市にでも新しく作られし,フィクションとしての「都市」を描くシナリオとしては依然ある種のアイデンティティを与える意味では有効かもしれないが,20世紀の締めくくりの建築だったという指摘はそれほどおかしなものではないだろう.

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また,当時のサヴォア邸はきれいに修復された状態をキープしている今と比べると,まだ荒れていた.今思えばむしろ貴重だったかもしれない.この3年後に再訪した時には随分きれいに直されていたから.

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パリでは,結局ムフタール通りの宿でずっと寝泊まりをした.街の居心地はとても良かった.途中で,同じように旅行中の同世代の日本人に出会って,僕の旅の最後の夜にせっかくだったら飯でも一緒に食べようという話になった.彼はいずれフランスに料理の修行をしに戻ってくるつもりなのだと話した.そして,僕たちはお互いの学んでいることや旅の思い出について話しながら,通りにあったチャイニーズレストランのテラス席でビールを飲みながら過ごした.そういえば,彼は僕に「男性から声をかけられたことは無いか?」と尋ねたな.「なかったね」と僕は答えた.彼は何度も声をかけられたらしい.彼が言うには,彼らは「見定める」そうだ.「断るのが大変だよ」と彼は笑った.つられて曖昧に笑いながら,僕は自分の身の上に起きたアテネでの出来事を話した.いや,確かに,美女に踊ろうと誘われて悪い気はしなかったのだ.シャンペンをお互いの手にかけて手をつなぐまでは夢心地だったよって.時計が10時を回るころ,やっと暗くなったパリの空の下でお互いにエールを送り,それぞれの宿に戻った.明日の朝は6時に起きて空港に向かう予定だった.列車の時刻や空港までのルートは調べてある.僕は腕時計のアラームをいつものようにセットしてベッドに入った.

その夜は寝苦しかった.ビールを飲んだ後,水も随分飲んだのだが,気温が高く,夜中にたびたび目が覚めた.一度目が覚めて時計を見ると5時半だった.まだ30分あるし,アラームをセットしているからと安心して再び寝入ったのだが...次に目が覚めたとき,時計を見ると,小さなデジタルの文字は7:15を示していた.

何が起こったのか.意識がふーっと遠のいていきそうになるのをどこかで必死で食い止めながら,状況を把握しようと体中の血が脳にあつまるような感覚を味わった.とにかく一刻も早く空港に向かわないと,飛行機に間に合わない!

僕は慌てて荷物をまとめて部屋を出た.レセプションには人影がなかったが宿代は事前に支払済みなので構わず外に飛び出し,メトロに飛び乗る.メトロに乗っている間は気ばかりが焦る.アラームをよく見てみると,こんな時に限ってどうやら夕方の6時にセットしていたことに気付かなかったのだ.アルコールに強くない自分を責めてもしょうがないが他にすることもない.飛行機の出発時間は9時半.チェックインの最終時間は出発の25分前.もう時計と時刻表との睨めっこが続く.メトロを降りたらバスでターミナルに向かう予定だが,その時間が読めない.ひとり車内で冷汗が止まらなかった.

空港の駅に着くと,改札を飛び越えるように出て,ちょうど運よく発車寸前のターミナル行きのバスに飛び乗った.ターミナルまで何分かかるかと近くに人に聞くと,5分だという.時刻は8時45分を過ぎていた.このあたりで,やっと何とか間に合いそうだという事が理解できて,僕は深くため息をつきながら落ち着くことが出来た.「どうかしたのか?」とその乗客が聞いてきたのだが,僕はあいまいな笑顔で「it's okay, thank you」としか答える余裕がなかった.結局,9時5分前にはチェックインカウンターで手続きをして,完全に安心した僕は,無事パリからロンドンまでのフライトを終え,ロンドンのヒースローから予定通り British Airways 1017便で,日本へ無事戻ってくることができたのであった.

当時のメモにはこう書いてある.
”あと10分起きるのが遅かったら僕はどうなっていただろう”

今となっては,帰れなかったらどうしていたか,と想像するのも悪くないな,と思うけど.

(きっと終わり)

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