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【えーる】空は青々、山高く

去る8月21日、母校である鹿野小学校で、創立150 周年記念事業キックオフミーティングが開催された。

明治6年に創立された周南市立鹿野小学校は、改名や改築などを繰り返しながら、令和5年3月で創立150周年を迎える。そこをめざして、記念誌発行やイベント実施など、記念事業を行うその第一歩として開催されたのである。当日はあいにくの雨模様ながら、多くの人が会場に駆け付けた。

思い出の学び舎はすでに無く

記事の先頭に掲げた鹿野小学校校舎の写真だが、自分にはなじみのない校舎だ。卒業後に建て替わってしまったものだから、鹿野小学校と同じ名前はついていても、知らない学校のようだと感じてしまう。

昔の思い出を振り返ってすぐに思い起こされるのは、ギシギシときしむ木の床だ。幾年、もしかすると幾十年と掃除の時間に雑巾がけをされてきた床は、深い茶色に不思議なツヤが加わった、長い年月を経た木材が見せる風合いを見せていた。

古くなっていたからか床の間には隙間が空いていて、自分も消しゴムか鉛筆だったか、とにかく筆箱の中の何かしらをその隙間に落とした記憶がある。

おそらく、解体作業の頃には同じように隙間に落ちた文房具たちがさぞかし多く見つかったことだろうと勝手に推測している。

飛び入り参加

LEDライトでカノ150

会場の準備はPTAや先生方で行われており、ただの下見で足を運んだつもりが、いつの間にやら準備を手伝うことになっていた。

外にランタンを飾ったり、イベント内の撮影頼むな、と気が付けば撮影班になっていたり、鹿野小OBだからとスタッフTシャツを購入したり……気が付けば、飛び入りでスタッフまがいのことをしていた。

しかし、なんとなく最初に声を掛けられた時から、多分こうなるだろうな、という予感はしていたから、単にそれが現実になっただけである。

なんだかんだと、出来上がっていく会場を見ているのは、どこか心がウキウキしてくるというか、なんだか不思議な気持ちになってくる。

これからここで何かが起こる、そんな予感を感じると、汗だくになって体を動かすのもいいものだなと思えるようになってくる。

忘れていない思い出

まうんてんまうす (3)

キックオフミーティングの会場を盛り上げたのは、鹿野の子どもたちで結成されたバンドの演奏を始めとした音楽だった。

十分に距離を開けてコロナ対策に努めながら、大きな体育館の中に響く演奏を楽しむ。時間にすれば1時間弱といったところであったが、気が付けば時間は過ぎていて、記念事業の始まりを飾るにふさわしいステージだった。

鹿野小校歌 (1)-2

ステージが終わり、最後に参加者全員で「鹿野小学校校歌」を斉唱した。

体育館の壁に掛けられた校歌のフレーズが聞こえてくると、ああ久しぶりに母校の歌だ、と感慨深い思いがした。シャッターを切る手が少し緩んで、代わりに思わず涙ぐみそうな思いがあふれてくる。

そういえば、朝の始業前に、校歌が流れていたことがあったっけ。ふと、そんなことを思い出した。始業前にグラウンドで、体操服に半パン姿で駆け回って、ふと校歌が流れてきて、それが終わったら教室に戻って授業が始まる……そんな毎日を送っていたのだ。

ここを巣立って30年弱になるけれども、ふっと一瞬、まだ小さかったあの頃に戻ったような、そんな思いがした。いつまでたっても、母校のことは忘れていないものだ。

150周年へ向けて

かくして終わりを告げたキックオフミーティングであるが、名前の通り、それは始まりに過ぎない。コロナ禍の中、どのようにして事業を展開していくことになるだろうか。

鹿野を離れた身では、そこまで積極的に関わりを持ち続けることは難しい。だが、何か自分にできることがあれば、微力ながらに力になりたいと思う。

さしあたっては、「えーる!」紙面でもキックオフミーティングの紹介を行っていく予定である。鹿野を離れた人にも、母校の記念日を一緒に感じてもらうために、SNSの展開などもしてゆきたい。

自分だからこそできることを駆使して、母校の記念事業を応援してゆきたい。

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