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鹿野の昔話「正月餅」

山口県周南市鹿野を応援する「まちづくり応援団えーる」団長のふみぞうです。
今回は、鹿野に伝わる昔話のひとつ「正月餅」をご紹介します。

「正月餅」

ある年の正月のこと、庄屋さんはいつものように一臼三升の餅をついて、一升で三重ねの祝い餅を作り、年神様と、仏様と、荒神こうじん様(かまどの神様)へお供えをしていました。

祝い餅を作った残りで雑煮用の丸餅を作り、その丸餅の数を数えてみると、その数が、なんと四十九であることに気が付きました。

人が亡くなっての四十九日法事の時は、わざわざ四十九の丸餅を作って仏様にお供えし、供養するものなのです。

正月の祝い餅が、法事と同じ四十九個であったので、

「残ったお餅が49個か。こりゃあ縁起が悪い、わしが死ぬということなんじゃろうか」

と、庄屋さんは頭を抱えておりました。

そこに旅のお坊さんがやって来たものだから、ますます法事めいてきて余計に打ちひしがれ、声も出なかったそうです。

しょんぼりする庄屋さんに訳を聞いたお坊さん。
すると、笑いながら庄屋さんにこう言ったとか。

「ああ、それはそれはよかったことだ。正月に49個のお餅は願ってもないこと。庄屋さん、7枚の皿を準備しなさい。それに7つずつ丸餅を乗せて、七福神の神様にお供えしなされ。神様も大喜びじゃろう」

それから庄屋さんの家では、毎年繁盛餅と、49個のお餅を欠かさず作るようになったのだとか。

コラム「新正月の餅つき」

昔は1月1日を新正月といい、1日だけ正月休みとしていました。2月1日から3日までを旧正月といい、三が日を正月休みとしました。

その頃の新正月の餅つきは、一臼だけついて祝い餅としましたが、一臼が三升で、その内の一升分を鏡餅として神様や仏様にお供えしました。

正月の一升餅を祝い餅にするには訳がありました。

「一生繁盛・繁盛・繁盛」

一升は一生、一生の半分の五合は半升で繁盛、残りの半升を2つに分けて繁盛・繁盛と結び付けて、家が反映し栄えるようにとの願いを込めています。

新正月の祝い餅を三重ね作り、半升を年神様へ、残りの半升餅を2つにして、仏様と荒神様にお供えして祝ったものなのだそうですよ。

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