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鹿野に、エールを

文章、写真、イラスト、音楽、動画……さまざまな方法で、山口県周南市鹿野を紹介したい。#かなえたい夢 への道のひとつと信じて、そう思う理由を書き綴ってみたいと思います。

山口県周南市鹿野

山口県周南市の北部、20年前に合併し、自治体「山口県都濃郡鹿野町」から「山口県周南市鹿野」になった鹿野。

中国山地に位置する豊かな自然に包まれた鹿野は、四季折々の様相を見せてくれます。

春に咲く花は、サクラだけじゃない
清流に舞うホタル
秋の紅葉
雪深い冬

縄文時代の遺跡が見つかるほどの昔から人が暮らす鹿野には、さまざまな歴史が息づいています。

例えば、7月30日の鹿野天神祭。
大宰府天満宮で有名な、菅原道真公を祭る菅原神社のお祭りで、奉納行事の網代あじろ堤区宿入奴つつみくしゅくいりやっこなどは、多くの人が見物し、またその様子を撮影しようとたくさんの人でにぎわいます。

勇壮な裸坊たちが魅せる網代
身長の何倍もある道具を操る堤区宿入奴

長く人の営みが続く鹿野。
しかし今、鹿野は消滅への道を、確実に進み始めています。

若年層の地域外流出による住民の高齢化、次世代を担う子どもたちの減少など、そのほとんどは、人口減少に関するものである、と自分は認識しています。

先に挙げた網代や堤区宿入奴も、毎回、人員確保で頭を悩ませていますし、草刈りなどの地域保全もままならなくなってきています。

「自分たちの町が消えていく」
そんな危機感は、常に生活の隣にある身近なものなのです。

そんな鹿野のため、志を持って活動されている人たちがいます。
60代、70代、人によっては80代になっても、地域維持のために活動し、さまざまなプロジェクトを展開し、地域の活性化を図ろうとしています。

「まちづくり応援団えーる」

自分も鹿野のために何かができればと、鹿野の人・歴史・イベントなどを取材し、フリーペーパーやSNSを利用して発信する「まちづくり応援団えーる」として、2009年から活動しています。

もともと小説を趣味で書いていたこともあり、文章を書くことには抵抗がありませんでしたから、この方法は極めて自分に合っているものでした。

フリーペーパーの原稿や、noteなどのSNSなど、インターネットを活用した活動も行っています。

山口県がどこにあるのか知らない、という人もいるでしょう。
その山口県にある一都市である周南市、さらにその一部である鹿野を知っている人など、本当にごくわずかだと感じています。

だからこそ、1人でも多くの人に鹿野を伝えたいと考えています。

鹿野を知ってもらい、訪れてもらい、移住してもらい、次世代までつなげていきたい。
そのために、伝える、という形のまちづくりを進めています。

伝えることが、確実に移住までつながるとは言い切れません。
しかし、自分が知らない場所に訪れる人はいません。

そう信じて、自分のできることを続けています。

応援の理由

故郷のためとはいえ、なぜ自分がここまで鹿野のために活動しているのか……それは、大学卒業後、他県で就職して心身ともにボロボロになり、退職・帰郷したことに端を発します。

コンビニもない、駅もない、ショッピングモールもない。
「ない」ものばかりが目につき、就職したらもう帰らない、と思っていた学生時代。

しかし、その何もないと思っていた鹿野に戻ってきて、癒され、元気を取り戻すことができました。

都市部にはない、きれいな水、豊かな山々、四季折々の風景……たくさんのものが「ある」場所だったから、と思っています。

こうした経験は、鹿野という場所に興味を持つきっかけになりました。
歴史、催し、自然、そこに暮らす人たち。
知ろうともしなかった鹿野を伝えたいと思うようになり、まちづくり応援団えーるとしての活動を始めました。

癒やしをくれた町

皆の力で鹿野をPR

フリーペーパーにSNS、さまざまな手段で発信を続ける中、「なかなか情報発信がうまくいかない」「SNSの知名度が低すぎて情報が届かない」と痛感しています。

自分でも努力は続けるにしろ、1人だけの力では限界があります。
そこで、他のクリエイターと一緒に鹿野の情報をまとめ、本として出版することはできないか、と考えました。

例えば写真とテキストをメインの構成にし、二次元コードなどを利用して動画サイトにつなげるなどすれば、一冊の本という形でも、さまざまなメディアにリンクすることができますし、さまざまなジャンルのクリエイターも参加できる企画にすることができそうです。

その企画に鹿野で活動する仲間も加わり、一緒になって作品を創り上げることができないでしょうか。

昭和の時代、鹿野の古刹・漢陽寺かんようじの庭園が、著名な作庭家である、重森三玲氏の手によって造られました。
作庭には多くの住民がボランティアとして参加し、一緒に巨岩を運び、並べ、庭を形作ったと伝わっています。

重森氏と鹿野の住民が造った漢陽寺庭園は、国の登録記念物にも選定されました

かつて、昭和の時代、庭園作庭に鹿野住民が加わったように、今、この令和に、クリエイターと鹿野住民の力で、鹿野を盛り上げるための作品を創りたい。

こうした作品が最終目標である「移住」につながるのか、やってみなければわかりませんが、愛する故郷のため、今自分ができることをやっていきたいと思います。

すべては故郷のために。
鹿野に、エールを。

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