見出し画像

成果主義の弊害

 近日中に就労経験は書くつもりではあるが、成果主義の企業にて働き、それについてつらつらと書いていきたいと思う。
 働き方改革が叫ばれて暫く立ち、同一業務、同一賃金などと言われている。確かめてはいないが、ヨーロッパでは非正規の最低賃金が非常に高いとか。アメリカはそうでもないような気がしたが。。。
 同一業務、同一賃金というか西洋の働き方はいわゆる「成果主義」のことだと私は思っている。最近ITを難なく駆使する若者が大企業や歴史ある企業に入社した際には、あまりITを使用できない効率のよろしくない上司を目の当たりにし、「自分の方が絶対仕事ができる」と思い、外資系(=成果主義)の会社に転職をするというケースもあるにはあるだろう。気持ちは分からないでもない。

 ただ、私は人事も3年ほどやったことはあるが成果主義には確かに弊害が存在する。またフェアかと言われるとそうでもない。そもそも万人が納得する人事制度というものは恐らくないと思っている。そうであればどの企業もそれを採用するはずではある。個人的に外資系と内資系で大きく違うのは働き方に関してで、人事評価制度の本質はあまり変わらない、と感じる。

 成果主義の人事評価の中核にあるのは、自分の業務範囲と目標範囲が決まっていて、それに対してどのぐらいできたかを評価する、というものだ。それとは別に素行のようなものも対象点になっていることがあり、これが悪いとそれはそれで減点、というとこともあり得る。
 例えば「あなたの職務範囲はこれです」「これに対して120%の成果を出したら凄い」という目標設定だとすると、それさえ達成できれば良い評価がつく、というものだ。もちろんこれは上司と一緒に相談して割り振られる、と思う。(そうではない、実質トップダウンケースも勿論ある)
 
 因みに上記のようにすると必然的に人間はそれを優先してやるようにし、且つそれ以外のことはやらないようになる。やっても得にならないからだ。いわゆる「隙間の業務」をやったとしても「ありがとう」と言われるのみで評価は直接的には上がらない。上手な人はこれらも間接的には自分の利益になって戻ってくると考えることはできるが、こういった「誰の業務か分からない」業務に対してのモチベーションが極端に落ちる人は多い。JD(Job Discription)のはっきりしていない日本企業でこれが嫌な部分と感じる人は多いだろう。そして前述のように去るのだろう。「おれはやたら忙しいけど、給料が変わらないぞ」ということだ。
 また、これは組織が大きい際に発生する事例でもある。中小企業では、そもそも一人ひとりの業務範囲が広く、誰が何をやっているかが把握しやすい。

 自分の範囲ではない業務をしない、という姿勢はある意味では正しい。ただ、私の理解ではこれは非正規の社員に最も当てはまるように思っている。派遣社員や契約社員の方はある特定の業務を正確に実行する為に雇われていおり、その一定の範囲での給与を支給されている。なので、彼らに新しい業務を頼むのであれば「同一業務、同一賃金」の原則に基づき、賃金を上げるべきなのである。その中で生産性を最大限にしてくれる必要がある。
 ただ、正社員というのは本来、誰もが管理職になる可能性を秘めており、雇われから雇い、の方に変わっていくことが前提とされている、と私は思っている。そうであれば、「この仕事はやりません。私の範囲ではないからです」とはなかなか言えないものなのではないかと個人的に思う。もちろん、他にやるべき人がいるのであればそれは主張しても良いが。
 そして成果主義であろうが、そうでなかろうが、仕事を断った場合の評価は高いものにならない。本来、成果主義であれば自分の範囲ではないような業務を断ったとしても影響はないはずだが、想像してみるとわかる通り、人間の感情的な部分もあってか、そうならない。

 上記のことから成果主義によって、「業務を行わないことへの正当性が担保される」ことと、「示されたことのみ成果を十二分に出せば良い」というシンプルな構造はあまり成り立たないことが分かる。ということは結局成果主義であろうと、序列であろうと、私からしてみると人事評価の仕組みはあまり変わらない。
 人事評価というのは往々にして人脈で決まる。社内の人脈だ。社内の人脈では直近の上司との人脈の影響がまず大きい。上司に気に入られれば、ウマが合えば昇格、昇給しやすくなるし、合わなければ難しい。出会いや運に左右されることが大きい。特に日本企業では文化的な背景なのか、マネジメントが上手な人が非常に少ないため、うまくハマったときは良いが、そうでなければそれこそブラック企業にいるのとさながら変わらないようなことになってしまう。

 私の尊敬する上司が「マネジメント、いかなるとき、どんなときも大切だ」と言っていた。その通りだと思う。直属の上司、周りの管理職、人の上に立つ人というのはどんな時でも大切なものだ。
 成果主義であれば、成果が出した人がより多くの成果を出すために上に上がる可能性がある。しかし、よく言われることだが、一流の選手が一流の監督になるわけではない。一流の選手が皆一流の人格者であることもない。
 成果主義の会社であれば、成果を出す人が上に上がっており、結果として自分も成長できる、ということであればその通りだろう。一部の業界ではそれも成り立つ。ただ、社会人人生は短距離走ではなく、どちらかというマラソンの近い。毎日ダッシュを繰り返すと、いずれケガする。
 成果主義の会社でも年功序列の会社でも仲間と安心して生きて楽しく働く、人事は天命に任せる、というものが私は個人的に良いと思う。もちろん若い人が駆け抜けるというのであれば、足を引っ張ることはしない。ただ、日本企業には安心して働けるゆとりのようなものがあり(昨今薄まってきているかもしれないが)、それは欧米に染まらず持ち続けて欲しいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?