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バスケットボール天皇杯優勝、おめでとう! ジョン・パトリック監督!


ドイツから戻ってきたばかりで天皇杯を制したJohn Patrick!



WBCでの大谷選手の活躍に目を奪われていた私のもとに、ナイキジャパン時代、私がスポーツマーケティング・バスケットボールチームのマネージャーをしていた時のチームの一員であり、かつ日本のバスケットボールに精通し、今は日本バスケットボール協会にいる”I氏”から、「J.Pがやりました!」というFacebookメッセージが届いた。

そのメッセージに添えられていたのが、下記のツィート!
黒いマスクをしたのが、”J.P"ことJohn Patrick
彼はスタンフォード大学時代はPoint GuardとしてAll American Academic Teamにも選出された文武両道の人物で、一時ナイキジャパンのコンサルタント(契約社員)として、私たちと共に、日本のバスケットボールを変えるべく様々な活動をした。


今の日本バスケットボールの躍進への寄与の礎の一部・・・。



当時、私を含めスポーツマーケティング・バスケットボールチームにいたのは4人。私はNBAには超詳しいのに日本のバスケットボールは能代工業以外はよくわかっていない変なマネージャー。そして”I君"は、日本のバスケットボール界に精通する大黒柱。そして私と同じタイミングで中途入社した、ジョン・ローンに似ていたため"ジョン"と呼ばれていた"N”。
もう一人が"J.P"こと、John Patrickだった。

いずれまた詳細を書く機会があると思うけど、私たち4人は今思うと、随分といろんなことをした。
NIKE All Japan Camp(その後Asian Campに)の開催。そして初代のキャンプ・ディレクターを務めたのがJ.Pだった。
・NIKE All Japan Campに参加し、アメリカのNCAAを目指すことを決めた能代工業のスーパーポイントガードの田臥勇太選手の後押しをするために、フロリダのディズニーワールドで毎年開催され全米に中継される、全米高校選抜vsグローバル高校選抜のゲームであるNIKE HOOP SUMMITに選出されるよう働きかけ、田臥選手が渡米するきっかけを作った。
・高校バスケの大会、Winter Cupのスポンサーシップを得るにあたり、公式試合球をNIKEのボールにし、男子準々決勝の8チーム中4チームがNIKEのユニフォームを着用するまでになったこと。
WJBLのトップ選手が海外でプレイする機会が得られるよう、プロモーションビデオを作成し、ヨーロッパなどのチームに送って手助けしたこと(その時はだめだったが、確か次のシーズンでヨーロッパのリーグで活躍することに)。

その後のJ.Pの活躍



彼がナイキで果たしたことはウィキペディアには記されていないが、ナイキを離れた後のコーチ、監督としての功績は輝かしい。
トヨタの監督として、リーグ優勝をしているし、奥さんがドイツの人だったこともあってかその後はドイツに渡り、何度もコーチ・オブ・ザ・イヤーを獲得していた。もうずっとドイツにいるのかと思ったら、今シーズンから日本に戻り、千葉ジェッツの監督に。
Bリーグで連勝記録が更新されたというニュースはテレビで見ていたが、それがJ.Pのチームだとも知らず、また天皇杯で優勝したことも知らずで、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
J.P、本当にすごいね!おめでとう!
リーグ優勝も期待しています!

最後までお読みいただき、誠にありがとうございました!

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