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緩やかな絶望

久方ぶりに、真面目な話をしようと思います。思いつくままに、いくつか。


検察庁法改正案について

Twitterで非常に話題となっているので、もうご存知の方も多いかと思います。コロナ渦でてんやわんやの今、なんとまあ酷いこと。言葉も出ずに唖然としてしまいました。もう、泣きたくすらなってきます。

大袈裟に言えば「お先真っ暗」。ここまで私利私欲に塗れた政治があっていいのでしょうか。一人、部屋で頭を抱えてしまいました。

つい先日の、雷鳴凄まじい夜、「良くないことは重なるね」と妹と話していました。コロナ、地震、雷……そんな中、一番の災害は"人"なのかもしれませんね。人を傷つけるのが人であり、それを癒すのもまた別の人。だんだん馬鹿らしくなってきます。
こっちは一生懸命に福祉の仕事をして、微力だけれど、せめて関わっている子どもや保護者の方々を支えられたら、と思っているのに。どんなにどんなに(時には傲慢であったとしても、)誰かを救おうとしたところで、自分勝手な政治家がいて、日常的に差別をする人がいて、乳幼児の命を大切にできないお役所仕事が容認されている。もう、何のために仕事をしているのか、税金を納めているのか、分からなくなってきます。


緩やかな絶望

現代の20代を取り巻く状況を一言で表すと「緩やかな絶望」だろうな、と日頃感じています。これは私の主観によるものなので、全員がそうとは限りません。でも、少なくとも私は、日々緩やかに絶望しています。(また同時に、幸せや希望もちゃんと見つけています。一応。)
例としていくつか、日常の中で暗い気持ちになった、でも大切だと思う話を挙げていきますね。

まず、家族とのやりとり。家族と言い合いになりかけた話題は、覚えている限りで、タトゥー・天皇制・韓国との関係性・映画「東京物語」の解釈について。東京物語では、終盤、喪服を持っていくか否かについて母親と意見が分かれました。私は持っていきたくありません。

また、以前お付き合いしていた恋人とは、社会的弱者に対する態度や考え方で衝突しました。私には優しかったけれど、他人には冷たいところのある人でした。(良いところも沢山ありましたよ。本当に沢山。)
だから、私は本気で「優しい人と付き合いたい」のです。好きなタイプは優しい人、ってありきたりな答えですけど、でも本当に大切なことだと思います。子ども、高齢者、妊婦、障害のある方、性的マイノリティ、そういう方々に対して、思慮深い人たちと一緒にいたいし、自分もそうでありたいです。「健常者で、シスジェンダーで、異性愛者だったら他人事」じゃないんです。そうやって線引きして、他者を排除していった先に待つのは、きっと寂しくて貧しい世界です。


「お弁当、自分で作ってるの?」

これは半分愚痴の、箸休め的話題です。

大学生や新社会人、職場(或いはバイト先)で、年上の方に「お弁当、自分で作ってるの?」と聞かれる率が異常に高いのです。もう放っておいてほしい……。
若者の"面倒だな〜"と思う会話ランキング、トップ10入り間違いないでしょうね。他には「○○ちゃんは、彼氏いるの?」「いい人見つかるといいね」(放っておいてほしい)


レイプされる女は"可哀想"か

以前、映画館で『怒り』を観たときの話です。(ネタバレ有ります。)

うろ覚えですが、広瀬すずちゃんの演じる女の子が、夜の公園で外国人にレイプされるシーンがあったんです。本編の中でもかなり辛いシーンで、エンドロールの後も心にずっしりと残るものがありました。
観賞後、明るくなった館内で男の子2人組が、「広瀬すずにあんなことさせるなんて可哀想だったな」という会話をしていました。何故だか、この言葉が異様に私の中に引っかかって。数年経っても忘れられないのです。
広瀬すずちゃんは、映画鑑賞後の第一声に「可哀想だったな」と言われなきゃいけなかったのでしょうか。彼女や監督たちは、可哀想なことをさせるために/するために映画を撮ったのでしょうか。もっと伝えたいことがあって、話の核を描くために必要なシーンだったから撮影したのじゃないでしょうか。

男の子たちの会話は純粋な感想で、面倒くさいのは自分だってことくらい、分かってるんです。でも、私は誰かに対して簡単に「可哀想」という言葉を使うことがすごく苦手で、抵抗を感じます。可哀想って、どこか他人行儀で、自分は上から、穴の中を見下ろしているみたいじゃないですか。
"可哀想だと思われたい人間"なんて、この世にほとんどいないと思います。(ミュンヒハウゼンとかは、また別の課題としてありますが。)
「可哀想」は、きっと、簡単に人を傷つることのできる言葉です。

また、私はレイプシーンを見た時、とても他人事とは思えませんでした。自分のことのように辛くて、自分がいつ彼女の立場になってもおかしくないと思いました。それはきっと、過去の経験によるものです。
いつでも性犯罪の被害者になり得る人間として生きるというのは、中々に恐怖です。だからこそ、男の子たちが開口一番「可哀想だったな」と言ったことが、まるで「ま、俺たちには関係ないけど」と言われているようで、身勝手ながら暗い気持ちになってしまったのです。


「俺、やっぱりゲイの話の映画苦手だわ」

これは友達の元恋人の言葉です。勝手に拝借してごめんね。

でも、こういうこと言う人たまにいますよね。ゲイとか、レズビアン、バイセクシャルに対して否定的、嘲笑的な人。何様なのでしょうか。

わたしはジェンダー問題に触れる映画が好きなのですが、そういう映画を「俺にはまだ早かった」だの、今回の「俺、やっぱりゲイの話の映画苦手だわ」だのと言われると、「思考停止も甚だしい」と思ってしまうのです。早いなら今から考えればいいし、苦手だと思ってもその感想を彼女に言うのはちょっと……いただけないな……と思います。

ここ数日、無性にジェンダーのことを考えたい、学びたい気持ちに駆られているので、おすすめの本や映画、論文などあったら教えてください。わたしのおすすめは、映画『わたしはロランス』、『キンキーブーツ』です。



おわりに

今夜(もう朝ですが)は、この辺で。久々に溜まっていた考えごとを書き出してスッキリしました。

最近は夜毎友だちと電話しているのですが、彼女とはこういう話ができるので、本当にありがたいなと思っています。
真面目な話もしつつ、お酒も飲み、美味しいものを食べ、惰眠を貪り、それなりに生きていきましょうね。

おやすみなさい。

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