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海の向こう側の街 Ep.22<ジョーズの世界へエントリー>

 僕たちはだいたい、朝にテレビをつけてミュージック番組を見ていた。
この時に何と言っても流行りまくっていたのは「スパイス・ガールズ」「バックストリート・ボーイズ」「AQUA」「ハンソン」だった。兎にも角にも、パースシティに行ってもテレビをつけてもこの四組のどれかの曲を耳にしたし、いずれの曲もとても耳についた。
 僕たちは、特にやることがないと近くのフリーマントルには行かず、必ずパースシティに行っていた。それは『パース商店街』と揶揄されても、やっぱりフリーマントルより人が多いし、色々な場所から日本の情報がよく手に入る。(それだけ日本人が多いということでもあるのだけれど、地味にこの情報が多くて旬なほど重要なのである)
 その日は、タカのリクエストでサムライとパースシティのGPO前の日本人がよく集まる場所で、目新しいことがないか情報収集をしに行くことにした。GPO前の電車の駅側沿いにはアボリジニーの人たちが多くたむろし、そちらはちょっと物騒(とはいっても内輪揉めに近い感じで、それ以外の人種はそれを避けているイメージ)だったが、GPO前のシティ側のマレーストリート沿いとサムライにはなぜだか不思議と日本人がたむろする傾向にあった。(サムライはともかく、GPO前のシティ側のマレーストリート沿いにたむろするのは不思議だった)
僕は日本人がたむろしているところに行くのはあまり好まなかったが、タカはクリスマスや年末年始が近いこともあって、日本やパースの情報を収集しておきたかったようだった。
 僕たちがパースシティ側のGPO前に到着すると、南アジア出身っぽい男性と日本人女性がマレーストリートの真ん中で今にもコトをおっぱじめそうなほど熱烈にいちゃついていた。
そこには彼と彼女二人だけではなく、周りに沢山の日本人留学生たちが居た。(留学生は身なりが良いから、留学生かバックパッカーか簡単に見分けがついた)
その沢山の日本人留学生たちは、どうやら野次馬ではなく、熱烈にいちゃついている二人の友達のようだった。その中をタカはさり気なくいつもの笑顔で会話に入り込み、クリスマスやニューイヤーにイベントが無いか、日本で大きなニュースが無いかを、以前から知り合いだったかのように聞き出した。(凄いスキルだと感心した)
ニューイヤーにはシティで花火が上がること、クリスマスには特にこれといったイベントは無いこと、日本ではあの山一證券などが倒産したことを聞いた。日本の不況は底なしのように思えたが、そんな会話の最中も、相変わらず二人は手を休めることなく愛撫しあい、接着剤でくっついているのかと思うほどキスをし続けていた。その時、一人の留学生が、その周りを鑑みない行為に流石に嫌気が差したのか、日本人の女の子にここは公衆の面前だと注意した。(遅い!)
「どうして? ここは外国よ。わたしたちはこんなに愛し合っているのだから、わたしたちは日本の流儀には従わない」と言って、彼女は当てつけのようにより一層強く男性の腰を掴んだ。
それを見た僕たち全員は、完全に呆れた顔になっていた。
「自分な、正直、日本に帰ればそれほどモテへんし、こんなん初めてやろ? だから、止め時が判れへんねん。日本でも、ある程度モテてたら止め時判ってるもん。まして、この男もそない言うほど男前ちゃうし、ある程度エッチしたら捨てるだけやで」と、僕はズケっとその女の子に言った。
彼女は本当にモテる顔立ちじゃなかったし、正直、サナエさんの足元にも及ばない。男もそれほど男前でもないし、カズさんの足元にも及ばない程度だ。そして、ヤッたら乗り換える気満々の顔をしているのは、同性として目を見れば判る。彼女はこれほどまで男性に(しかも海外の男性に)ちやほやされたのは初めてで、路上でいちゃつくのも慣れていなかったんだろう。だから、外国ということも相まって文字通りのぼせ上がって、止め時が判らなかったんだろう。そして、きっと彼女の体は彼を欲していたに違いない。すると、より一層止め時が判らなくなる。
「お前、そのまんまやったら間違いなく周りの友達にも捨てられるからな」と僕は彼女に言うと、その友達たちも深く頷いていた。
「アホらしい、楽器屋かCD屋に行こう」と僕は言って、タカの袖を引っ張った。
彼は頷くとその場を離れ、僕たちはシティの中を散策した。
「いやぁ、お見事! 完璧やったね。気持ちよかった」と、タカが僕に言った。
「何が?」
「さっき、あの女の子たちに言ったことよ。まさにその通り、スカっとしたわ」
「そうか、それは良かった。実際、見ていてこっちも気分悪いしな」と僕が言うと、タカは深く頷いた。
「やるんやったら、とっととどっかでヤってこいってーの」と、タカが言った。
僕たちは『サムライ』の掲示板に目を通し『West Australia Student Service』の『Chi-Chiさん』と世間話をし、最後に「バックストリート・ボーイズ」の「バックストリートバック」というCDを、僕は買って帰ろうとした。
耳につくなら、とことん聴いてやれという作戦だ。
僕たちは、一週間に一度の買い出し以外はしないので、CDを買ってそのままシティを散策すると、ユーゴと出会った。以前、サムライで会ったあの少し癖のある青年だ。
「なぁ、自分知ってる? そこのネプチューン・ダイビングで、ダイビングライセンス格安セールしてるで。オープン・ウォーターが、たった百ドルやで。オレ今からエントリーするけど、自分らもどう? ライセンス取らへん? 百ドルやで?」と、彼は活き活きとした様子で熱心に僕たちに言った。
「もともとオーストラリアに来たからには取りたいと思ってたんやけど、高いから諦めてたんよ。本当にその値段やったらオレも取るわ」と、タカは快諾した。
「自分は?」と、ユーゴは僕に聞いた?
「いや、スキューバー・ダイビングには興味ないし遠慮しとくわ」と僕が言うと、タカとユーゴが二人揃って「絶対にもったいないって。日本じゃありえへん価格で、日本じゃありえへんキレイな海を泳げるんやで!」と、言い方は異なったが、よく似た事を熱心に僕に言った。
「一体、日本ではなんぼすんのよ、その料金は?」と、僕は言った。
二人は顔を合わせて「大体で……十万から二十万やね」と、タカが言った。
「だから、千ドルから二千ドルで日本の海やで。 それが、オーストラリアの海でたった一万で取れるんやから、めっちゃ安いやろ?」と、ユーゴが僕に言った。
「確かにその安さは半端ないなぁ。でも、ホンマにその金額なん?」と、僕は疑った。
「今から丁度、オレが入会手続きに行くから、一緒に来たらえぇねん。店員は基本的に日本人ばっかりやし、何でも聞けるで」と彼は言うと、そそくさとネプチューン・ダイビングに向かって歩いた。なんともマイペースな青年だ。
 『West Australia Student Service』を越えて、南側に下ったセント・ジョージテラス・ストリートの手前のところに『ネプチューン・ダイビング』があった(今はもう無い)。入口は狭いが中は広く、思っていたより人も多く、床は機材でごった返していた。
「いらっしゃいませ!」と、元気な声が店の中に反響した。
みんなスポーツマンらしく、店員の人全員とても元気が良い挨拶だった。
僕とタカは早速、超破格の百ドルダイビングライセンスの申し込みについて質問をしたら、実は人数制限のある期間限定セール価格とのことだった。残りユーゴを除いてあと三名で締め切りという状態だそうだ。(教え手と生徒の数のバランスが安全上崩れないように制限していた)
タカは鼻息が荒かったが、僕はライセンスの期限はいつまでなのか、更新は必要なのか等、あれこれ聞いていた。(無期限で、更新も不要とのことだった。つまり講習を受けて合格を貰えればそれでOKだった)
話を聞けば聞くほど、これほどお得な話はない事が判ると、気がつけば僕も入会申込書にサインしていた。お金を支払い、控えをもらい、まずは指定の病院で簡単な健康診断を受けて、問題がなければ学科の受講、プールで実地演習、海で実際に潜る練習を複数回して、ライセンス取得となるそうだ。
このライセンスは「PADI オープンウォーター・ダイバー・ライセンス」と言って、いわばスキューバー・ダイビングの入門ライセンスで、水深十八メートルまで潜ることが許される。(その深さでも色々な魚が見れるらしい)さらに「PADI アドヴァンスド・オープン・ウォーター・ダイバー・コース」を受講すると、最大水深三十メートルまで潜れるようになるらしく、海底トンネルや沈船なども見れるそうだ。(流石にタイタニックは無理だと言われた(かなり深い場所に沈んでいるらしい))
とりあえず、近日中にフリーマントルの病院に行って、簡易的な健康診断を受けなければならなくなってしまった。健康診断は簡易的なものなので特に問題ないが、問題はここがオーストラリアだということだ。
丁度、僕がこの地に訪れる数週間前に、コテスロービーチで「シャーク・アタック」があった場所だ。(日本に居た時にたまたまニュースで見たが、こんな近くだと思わなかった)
「シャーク・アタック」と聞くと、何かの戦隊モノの攻撃名みたいだが、実際はサメに生身を噛じられることだ。つまり、リアルジョーズ。向こうはもちろん死活問題なので、手加減なしで襲いにくる。
アメリカと、ここオーストラリアはとにかく「シャーク・アタック」が多いと有名な国だ。日本でも、ホオジロザメがビーチに出現したことで話題になったこともあるが、その頻度の比にならないほど多い。(そもそも水温もビーチの多さも違う)
だから僕は、一度だけコウたちとコテスロービーチに行ったことがあったが、全く海に足すらつけなかった。
それよりも、砂浜で「ジョーズのテーマ」を聴きながら楽しげに泳いでいるみんなを眺めて、ブロディ捜査官の気分を味わっていたくらいだ。(女の子の水着姿なんてどうでも良い)
 しかし、今度は足がつくところで泳ぐどころではなく海の中を潜るのだ。
むしろ、ホオジロザメのホームにビジターとして、百ドルも払って行くことになった。考えれば、こんな酔狂な話があるものか。わざわざお金を払って「シャーク・アタック」が盛んな国の海に潜るなんて、正気の沙汰じゃない。早速、お店の人にサメとの遭遇率について素直に聞いてみた。
「ん〜、数え切れないほど何度も潜ってますけど、実際に見たこと有るのは二〜三回くらいですかね」と、お店のベテランそうな人は笑いながら言っていた。
「それもかなり遠くにいる状態で、そういう時は腹ばいになって向こうの様子を伺います。そして、安全を確認したら全員をボートに案内します。もちろん僕たちも丸腰じゃありませんし、複数で必ず行動するので、安心してください」と、飾ってある黄色い水中銃を指差して、僕に説明した。僕たちは胸を撫で下ろし、家路についた。
「随分、熱心にサメのこと聞いとったね」と、タカが僕に言った。
「いや『ジョーズ』観たことある?あんなデカいのと会ったらおしまいやで」
「そりゃそうやけど、そんときゃそんときよ。大丈夫、大丈夫」と、タカは言った。
「なんかサメは鼻が弱いらしいから、鼻をどついたったらえぇねん」と、ユーゴは言った。
確かに僕が怖がり過ぎなのは自覚しているけど、海の中で出会ったら最後。きっと僕は、正気じゃいられなくなるだろう。そして、こんな悠長なことももちろん今の僕には考えられない。でも、丸腰じゃなく水中銃も見せてももらったし、一人じゃないんだ。プロが何人もついているんだから、確かになんとかなるだろう。
まぁ、人食いサメに出会わない事を祈る限りなんだけど……。
 僕たちはユーゴと一緒に家に帰り、急遽ユーゴが僕たちの家を見学することになった。もちろん、彼の「いっぺん、二人の家見せてぇや。今からかまへん?」から始まったのだが……。
「ところで、その『ビクトリア・ストリート』ってどんなとこなん? ガラえぇのん?」と、ユーゴはぶっきらぼうに僕たちに聞いた。
「まぁ、良い方じゃないかなぁ? パトカーの音とか聞いたこと無いよ」と、タカが言った。
「ニューヨークちゃうんやから、流石にパトカーブンブン走り回るのはこの国では無いでしょ」と言って、ユーゴは一人で笑った。
確かにそう考えると、アメリカは如何に治安が悪い街かよく分かるもので、オーストラリアのパースでは「この地域は危険」ってのは一度も聞いたことがない。
夜は一人で出歩いてはいけないなんて事も聞いたことがなかったし、むしろコウたちと夜遊びをしていたくらいだった。他の国は判らないけど、日本とオーストラリアはそれほど危ない国じゃないみたいだ。(海の中以外は……)
僕たち三人は、いつもの電車に乗ってパースシティからビクトリア・ストリート駅まで向かい、ユーゴに僕たちの家を案内した。
「ここ、二人でなんぼなん?」と、ユーゴが僕たちに聞いた。
「月額百ドルでフルファーニチャー(家具付き)」と、タカが言った。
「うぉ〜、ゲーム機まであるやん。めっちゃえぇやん。オレも住ませてぇや」と、彼は言った。
「いやいや、ここは僕ら二人で住むって決めてるし、部屋もないから諦めて」と、タカが言った。
「いやいや、おれならこのリビングでいいよ。頼むわ一緒に住ませてや、めっちゃえぇやんここ」と、ユーゴは食い下がった。
「大家に、二人で住むって申請してるから無理やねん、ゴメンな」と、僕はユーゴにしれっと嘘をついた。
「そっか、それやったらしゃあないなぁ。それにしてもめっちゃえぇやん。人空いたら声かけてな」と言って、彼はマジマジと部屋の隅々まで眺めていた。
「ありがとう! ほな次は、来月のスキューバーでよろしく!」とユーゴは言って、またマイペースに家から去って行った。
彼は、まるで竜巻みたいな青年だなと僕は思った。
 僕は、パースシティで買った「バックストリートボーイズ」のCD「バックストリート・バック」を、セガサターン(正確にはハイサターンだ)で再生した。
中の冊子を取り出して、飽きるほど聞き慣れた曲の作曲者や作詞者など、いわゆるクレジットをよく読んでいると、四曲目の作曲者があの『Tetsuya TK Komuro』と記載されていることに驚いた。(Wikipediaには「日本盤」と記載されているが、実は「オーストラリア盤」にも四曲目に「Missing You」はきちんと収録されている)
その事に気がついた僕は、四曲目があの小室哲哉だということをタカに伝えると、僕たち二人は顔を合わせて「凄ぇじゃん!」と、声を揃えて言った。
 僕は、このアルバムから一曲目の「Everybody」から「Am i 〜」の疑問形を、二曲目の「As long as you love me」から「As long as 〜」を学び、実際に使用して通用した。聞き飽きて、耳についても辞書とやる気があれば、どんな音楽からでも英語は学べることを知った。
ともあれ、色々とあった一日だが、実に実りの大きい一日だったと思う。
ホオジロザメは不安だけど……。

率直に申し上げます。 もし、お金に余力がございましたら、遠慮なくこちらまで・・・。 ありがたく、キチンと無駄なく活動費に使わせて頂きます。 一つよしなに。