見出し画像

好きなこと、嫌いなこと

嫌いなこと

1. 「ネチケット」という言葉が嫌い

 この「ネット」と「エチケット」に『掛けたった感』が、どうも癇に障るんです。
どこの誰が、これを言い始めたのか判らないけれど、物凄く嫌い。大嫌い。
ネットでも、現実社会でも、やっちゃいけない事は「エチケット」で統一出来るのに、わざわざ「ネチケット」と言う言葉を作ったの?
こんなくだらない言葉を作って、運良く周知したことによって、この日本の何処かで達成感に満たされた奴がいるかと思うと、無性に腹が立って仕方がない。「エチケット」でいいじゃない? 何なんその「ネチケット」って?滑ってるよ、豪快に。いやマジで。
大人げないのは十分判っているんだけれど、どうしても許せない。
 今は「ネットリテラシー」という言葉に置き換わっているんだけど、こっちの方は嫌いじゃないし好きでもない。
「インターネットを正しく使いこなすための知識や能力」良いじゃないか?
全く違和感が無いし、スッキリと胃の腑に落ちる。まして、使ってみるとまるで頭が良くなかったかと錯覚するような知的さも感じられる言葉だ。
それに比べて「ネチケット」の出来の悪さは一体なんなんだ。
使っても、いかにも頭が悪そうに聞こえる。
「今後のことを鑑みると、社員のネチケットを高める必要があります。」
 ダセーな。
「今後のことを鑑みると、社員のネットリテラシーを高める必要があります。」
 コレだよ。もう、全然違う。
あと「ネチケット」と「ネットリテラシー」は、意味合い的には違って云々カンヌン・・・とか言う奴も嫌い。
マジでうざい。
ともあれ、僕は「「ネチケット」という言葉」が嫌いです。

2. 「A-JAX(コナミ)の移植」を真っ直ぐに受け止めている奴が嫌い

 これは、ちょっとマニアックなお話。
「A-JAX」とは、1987年にコナミからアーケードゲームとしてリリースされたテレビゲームです。
古くは、X68000に、最近ではPlayStation 4、Xbox One、Nintendo Switchと移植されていますが、個人的に「Nintendo Switch」以外は全て駄目。
このゲームは、2Dの縦スクロールで進むパターンと、疑似3Dで進むパターンの2種類で構成されている、当時としては画期的なゲームでした。
1面目は、赤いヘリコプターを操縦して、2Dの縦縦スクロールで前方の敵と下方の敵をやっつけなから進めます。
最後にボスを倒すと、ヘリコプターは空中空母?に着艦し、次にトムキャットのような戦闘機が勢いよく飛び出して2面目が始まります。
問題なのがこの2面目。
どれだけ完璧に移植しても、「Nintendo Switch」以外は完全に移植したと言えない。
というのも、この2面目は疑似3Dで進むパターンなんですが、ポイントは、「戦闘機が降下しながら敵と戦う」という点なんです。
「Nintendo Switch」以外は、全てテレビ(ディスプレイ)を前に見ながらゲームしますが、アーケードはテーブル型の機体に座って下を向いて遊びます。するとインベーダーゲームのように、頭を下げて下を見てプレイしているので「戦闘機がしながら敵と戦っている感覚」が最高に良いんです。
この絶妙な一体感は、その当時はよく考えられているなぁと感心して遊んでいました。ですが、家庭用ゲーム機の性能がグングン向上し「A-JAX」を完全移植するのは珍しくなくなりました。
ただ、この「降下する感覚」も含めて完璧に再現出来るのは現時点では「Nintendo Switch」だけなんです。
ですので、2面目だけは、ちゃんとSwitchを手に持って下を向いてプレイしなければなりません。そりゃ、「降下」するんですから。
これはある意味、意図して製作された製作者に対しての礼儀でもあります。
他の移植物は、もちろんテレビに繋いで遊ぶことしか出来ませんから、前を向いてプレイするスタイルのみとなります。となるとこの2面目は迫力のない「アフターバーナー」の出来損ないくらいにしか感じられない。
違う、違うんだ!!
「A-JAX」の2面目は、下を向いてプレイするからこそ楽しいんだ!
それ以降のステージは、「Nintendo Switch」をドックに差し込んで、目線は前を向いてしっかりとテレビを見て、ちゃんとプロコンで楽しむ。
すると、5面目と8面目(ラストステージ)は、当時達成できなかった製作者の意図通り、真っ直ぐ突き進む臨場感のあるステージが楽しめます!!
その楽しみ方こそ、正に「A-JAX」の心技体が整った瞬間。
これぞ真の「A-JAX」のあるべき姿!!
そうやって遊ぶのが、正しい「A-JAX」の嗜み方と私は強く思うのです。
だから僕は「A-JAXの移植」を真っ直ぐに受け止めている奴」が嫌いです。

3. 東京オリンピック記念のエンブレムをシールで隠した、
白ナンバーの軽自動車が嫌い

 いやね、これはマジでダサいし見ていて虚しさまで覚えるくらい。
そもそも、自分の車を否定しちゃ駄目よ。
軽自動車だって良いじゃん、燃費安いし高機能だし、5ナンバー並みに広い車もあるし、今では地味に高いから軽自動車=安物じゃない。
(下手すりゃ軽自動車の方が高い!)
自分が選んだ車なんだから、堂々と軽のナンバープレートで走れば良いじゃん。なんで、見栄を張って白ナンバーを欲しがるの?
東京オリンピック記念だから?
だったら、最低金額のたった1,000円でも寄付して図柄入りにすれば良いじゃん。東京オリンピック記念の記念ナンバープレートを選んでいる時点で、既に7,300円も追加料金を払ってるんだから。
私も東京オリンピック記念の記念ナンバーですが、寄付金を入れてもちろん図柄入りです。
確かに図柄入りは派手すぎる。
「だから、私はエンブレムのみにしました。」ってなら話は判る。
しっかり理解できます。
実際、めちゃくちゃ目立つのは乗っていて判りますから。
でもね、「東京オリンピック・パラリンピックのエンブレムを白のテープとか違う白いシールを上から貼る奴」これは、本当にまじでダサい。
「軽自動車はかっこ悪い乗り物」って自分で言いながら乗ってるのと全く同じ。
いや違うから。軽自動車は、良い車です。
生産されなくなったけど、「パジェロミニ」は軽自動車ながらエンジンは縦で搭載されてるし、高速でも安定した走りをします。
「ワゴンR」は、今では軽自動車の代表選手ですが、最新テクノロジーが惜しみなく注ぎ込まれています。
日産の「サクラ」は電気自動車だし、ホンダの「N-BOX」なんて軽と思えない広さ。(ターボ付きだと中古の外車を超えちゃう価格!)
自分の乗っている車くらいは、誰よりも愛して乗って欲しい。
僕も子供が増えるまでは軽自動車に乗っていたけど、少なくとも自分の車は好きでした。
ある日、Aクラスのメルセデスに乗っていた人に「Aクラスは軽ですよ」って言われて本気でムカついたのを今でも覚えてます。
「だったらSクラス買えよ」ってちょっとした言い合いになった事を今でも覚えています。
せめて自分が選んだ車は堂々と乗れよと。
だから、僕は「東京オリンピック記念のエンブレムをシールで隠した白ナンバーの軽自動車」が嫌いです。

好きなこと

1. 調べながら食べることが好き

 例えば、日清食品の「どん兵衛」。
ただ、お湯を入れて出来上がったら食べるだけではなく、日清食品のホームページやWikipediaで「どん兵衛」調べて読みながら食べる。
どうやって出来たのか?
どんな苦労があったのか?
どこが変わったのか?
そんなことを読みながら食べると、不思議と味わい深くなるところが好きなんです。マクドナルドやドミノ・ピザなど、何でも調べながら食べます。
もちろん、一人で家で食べる時に限ってですよ。
調べながら食べると、口に慣れた物でも「そのもの自体の見方」が変わるんですよ。だから、一人で食事する時は「そうか~、そうだったのか~」と感心しながら食べる。
行儀は悪いけど、一人の時だからまぁ別に関係ないしね。
どうやってマクドナルドが出来たのか?
どのように管理されて、提供されているのか?
企業を知ることも出来れば、商品が発明される経緯、栄枯衰退等も学べます。きっと、大学院で企業経営を学んでいた時からの、ある種の癖なんだと思うんですが、僕は「調べながら食べること」が好きなんです。

2. 終わりが見えるもので、コツコツと単調な事をやり続けるのが好き

 例えばマラソン。
実は私、2008年~2012年頃まで10kmマラソンの大会に出場していました。
まずは、近くの公園で少しずつ距離を伸ばし、体が慣れてきたら少しずつタイムを縮めるように努めて、粛々と毎週土曜日に走り続けていました。
ある時は雨の公園を走ったり、快晴の日に難波まで走ったり、北堀江まで走ったり、走る道に飽きてきたら、今まで走ったことの無い道を選んで往復10kmになるように調整して走っていました。
「堺シティマラソン」に2回、「なにわ淀川マラソン」に1回出場し、いずれも全て完走しています。
 その後、体を壊してしまい暫くは運動から離れなければならなくなりました。徐々に心身ともに回復はしてきた頃、体にかかる負荷が少ない水泳はドクターからのOKを頂き、2年前から週一で近く?の市民プールに通っています。水泳は、オーストラリアに留学していた際に、ひょんなことから学んだ事があったので、ちょうど手頃な距離でそこそこ本格的な市民プールを近所で見つけたので、そこに毎週金曜日に仕事帰りに通う事にしました。
コンスタントに毎週通える時は2,000kmを目標に、ちょっとドタバタしてプールに通えない日が続くと、目標距離を落として粛々と泳いでいます。
 仕事もIT関係を長くやっていたので、その際は粛々とサーバー構築をしたり、クライアントPCやiPhoneのキッティングをしたりするのは大好きでした。サーバーの構築等は難しいイメージはありますが、慣れてしまえばやる手順はだいたいは同じなんです。クライアントPCやiPhoneはもっと簡単ですがこっちは数が多くなります。
とは言え、気を抜いてやっているとろくな結果を生まないので、ある程度の集中力は必要とします。これはやはり仕事ですから、気は抜けません。
 そして今、長編小説の執筆も同じです。
奇跡的に草稿は1ヶ月で出来ましたが、その後の推敲を繰り返して現在は6回目に取り組んでいる最中です。400字詰めの原稿用紙に換算すると、約550ページ分を読んでは書き直しを繰り返しておりますが、これが全く嫌にならないんです。
嫌いな人には、全く駄目なものだとは思いますが、私は「終わりが見えるもので、コツコツと単調な事をやり続ける」事が好きです。

3. そんなに難しくない画期的な先進技術が好き

 わかりやすい例が「iPhone」。
日本で発売された当初は、まあ叩かれました。
携帯サイトが見れないだの、メールがプッシュじゃないだの、コピペが出来ないだの、アドレス帳は全て手動で移行するしか出来ないなどまあ色々言われました。
でも、当時としては「そんなに難しくない画期的な先進技術」です。
もちろん、多少の苦労はすれどプログラムをゴリゴリ書いて難解な機械とケーブルを沢山繋いで、専門書を読みふけって・・・なんてことないです。
手動でアドレス帳をコツコツと移行するなんて地味なもんです。
で、手元には「画期的な先進技術」の塊があるわけです。
もちろん当時は不便な点はありましたが、先進的なものが詰まっているのは確かです。
だって携帯って機能を変える(改善する)のは、当時は「機種変更」しかなかったのですが、「iOSのアップデート」で最終的には殆どの問題が無くなりました。
元々がIT関連の仕事をしていたというのもあるんですが、「画期的な先進技術」には強い興味があります。
なので発売される高機能なゲーム機を手に入れて、どこまで凄くなったかを特にリアルレーシングゲームで感嘆の声を上げたり、薄くなった高性能なMacを購入して驚いたり、Airtagでどこまで出来るのか試してみたりしています。
今は急激な進歩を遂げた「A.I」が楽しくてしょうがないのです。
「Midjourney」であれやこれやと呪文を書いて小説の表紙を作成し、
「GPT-4」で小説の校正や推敲をしてみたりしています。
なので私は「そんなに難しくない画期的な先進技術」が好きです。


率直に申し上げます。 もし、お金に余力がございましたら、遠慮なくこちらまで・・・。 ありがたく、キチンと無駄なく活動費に使わせて頂きます。 一つよしなに。