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海の向こう側の街

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1997年の11月10日から約1年間、オーストラリアの『パース』という街で体験してきた事を約26年の時を超えて、過去の日記と資料と現在のインターネット技術を使って、より正確に振り…
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#この街が好き

海の向こう側の街 Ep.22<ジョーズの世界へエントリー>

海の向こう側の街 Ep.22<ジョーズの世界へエントリー>

 僕たちはだいたい、朝にテレビをつけてミュージック番組を見ていた。
この時に何と言っても流行りまくっていたのは「スパイス・ガールズ」「バックストリート・ボーイズ」「AQUA」「ハンソン」だった。兎にも角にも、パースシティに行ってもテレビをつけてもこの四組のどれかの曲を耳にしたし、いずれの曲もとても耳についた。
 僕たちは、特にやることがないと近くのフリーマントルには行かず、必ずパースシティに行って

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海の向こう側の街 Ep.18<素敵な隣人とスキンヘッドと言葉の壁>

海の向こう側の街 Ep.18<素敵な隣人とスキンヘッドと言葉の壁>

 僕は朝起きると服を着替え、行きつけの店に向かうのが日課になっていた。
家の前のギボン・ストリートを駅側に向かい、ビクトリア・ストリートを右手に曲がると、個人経営をしている小さな商店があった。(残念ながら今はもう無い)
日本でいうと、最近ではめっきり数少なくなった個人経営でパンとお菓子の販売を行っている「神戸屋」に近いイメージだった。
お店には、愛想の良いおばさんとおじさんが居て、オーストラリアと

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海の向こう側の街 Ep.15<知らない街とギター>

海の向こう側の街 Ep.15<知らない街とギター>

 僕の、旅行鞄の大半を占めていたのが「セガサターン一式」と「そのソフト三十本」だ。
今考えても正気の沙汰ではない荷造りなのだが、この当時はこれが「ベストの荷造り」だったのだから仕方がない。
ともあれ、さぁこれからタカと共に生活をするわけだが、あいにく備え付けのテレビは『PAL規格』だった。
この規格は全世界で統一されているわけではないし、民主主義と社会主義で分かれているのでもない。単純に色々な歴史

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海の向こう側の街 Ep.14<新しい生活>

海の向こう側の街 Ep.14<新しい生活>

 僕と、タカと、通訳兼オブザーバーのジュンと、再度フリーマントル線に乗り込みビクトリア・ストリート駅に到着した。
想像とは大きく異なり、とてもシンプルな駅で降りるとインド洋が直ぐ側に広がるとても綺麗な風景が印象的だった。
ジュンが流暢に通りすがりの人に、物件の「201 GIBBON COURT 13 Gibbon St, Mosman Park」の場所を聞きながら僕たちは見知らぬ街を歩いた。
意外

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