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海の向こう側の街 Ep.18<素敵な隣人とスキンヘッドと言葉の壁>

 僕は朝起きると服を着替え、行きつけの店に向かうのが日課になっていた。
家の前のギボン・ストリートを駅側に向かい、ビクトリア・ストリートを右手に曲がると、個人経営をしている小さな商店があった。(残念ながら今はもう無い)
日本でいうと、最近ではめっきり数少なくなった個人経営でパンとお菓子の販売を行っている「神戸屋」に近いイメージだった。
お店には、愛想の良いおばさんとおじさんが居て、オーストラリアというか海外ならではのポテトチップスやスナック菓子と、コーラやスポーツドリンクの様な糖分がたっぷり入っていたり色鮮やかだったりする飲み物を取り扱っているだけのお店だった。(この当時オーストラリアには、ミネラルウォーターすらカジュアルに売っていなかった。スポーツドリンクも、本当に各種色鮮やかだった)
人によっては「何でそんな店に足を運ぶの?」と思うかもしれないが、僕には幼き頃の思い出の懐かしさと、その個人商店特有の温かみを感じられる、とても不思議な空気感のある店内がとても気に入ってしまい、買いすぎない程度に毎日せっせと足しげく通っていた。
海外なのに懐かしさと愛しさを感じる独特のお店の雰囲気が、とてつもなく僕のツボに嵌ったのだ。
ある時は「SMITH'S」という独特の味のポテトチップスを、またある時は「Tim Tam」という、これもまた独特の味のチョコレート菓子を買っては、家で朝食代わりに食べていた。(どちらも、日本では万人に好まれにくいかもしれないが、とても美味しいお菓子だ。)
何でも揃う今の日本の価格より「上乗せされる分」が無いため、当然だが現地調達は圧倒的に安い!(しかも二十年以上も昔の物価だ)
それらを食べながら、日々の中で経験した出来事をこうやって文字でスケッチを取ったり、僕が書こうとしている小説の設定をメモったりしながら、タカがプレイしているゲーム画面をぼんやりと遠目に眺めたりしていた。
そんな毎朝の繰り返しが僕の定番だったし、それで僕はとても満足していた。
しかし、ある日突然、タカが「スキンヘッドにしたい」と、朝食を食べている僕に言ってきた。
「スキンヘッド!?」と、朝食を吹き出しそうになりながら彼に聞き返した。
「そう、スキンヘッド。日本では絶対に出来ない髪型にしたいと考えていたんよ。モヒカンが良いかなとか、半分だけ坊主とか考えたんだけど、スキンヘッドが一番インパクトが強いって思って決めたんよ」
「で?」と、僕は彼に聞いた。
「一人でスキンヘッドにするには手の届かない所も自分で剃り上げないといけないし、無理して一人で刈り上げたら危ないと思うんで、協力してくれん?」と、彼は僕に言った。
「そりゃかまわへんけど、ホンマに大丈夫? スキンヘッドにしたら、頭に何か物が当たったらモロやで」と確認してみたが、彼の決意は僕が思っていたより固く、これはかなり前から考えて決めたことなんだなと彼の表情を見て判った。
まぁ彼がそう言うなら、とりあえず散髪には道具がいるので、パースシティに行ってハサミとカミソリを買い揃える事にした。(もちろん、彼の支払いだ)
僕たちが家を出ようとした丁度その時、隣に引っ越してきたとてもオシャレな日本人カップルと出会った。
男性はカズさんといって、階下から見下ろすと丁度、サーフボードを抱えて水色のボルボ240ワゴンに乗せている所だった。
カズさんはロン毛でハンサムで体つきもよく、見た目だけで絶対にサーフィンが上手くて、絶対にモテる人だ!と、僕は勝手に決めつけたが、タカもその意見に賛同していた。
隣にいる黒髪のストレートロングヘアが似合うスレンダーな女性はサナエさんと言って、こちらはボディボードを抱えて丁度部屋を出て鍵を閉めたタイミングで、僕たちの前に居た。
「あら、おはよう! 今から出かけるの?」と聞かれた。
 とても美人でチャーミングなのに、ゲームばっかりしているボサボサ頭の僕たちを気持ち悪がることもせず、とてもフレンドリーに挨拶をしてくれる方だった。
この方も、絶対にボディボードが上手くてモテる人だと、僕たちは信じて疑わなかった。オーストラリアで始めたタイプではなくて、二人揃って筋金入りの波乗りだというのは、出会った時にすぐに判った。それは、ボードを車に乗せて海に向かうまでの段取りが完全に板につき、全く無駄のない動きをするその後ろ姿を何度も目にしたからだ。なにより二人はとびっきりクールだ。
「そうなんです。今からスキンヘッドにするための道具を買いに行くんです」と、僕は言った。
「二人揃ってスキンヘッドにするの?!」と、サナエさんが驚いた。
「いやいや、僕がするんですよ。オーストラリアでしか出来ない髪型かなって思って」と、タカが言った。
「そっか、ビックリした。まぁ、日本に帰ったらスキンヘッドは出来へんもんね、また出来栄えを楽しみにしてるわ」と、サナエさんが笑いながらドアの鍵を閉めて施錠確認をした。(サナエさんは僕と同じ大阪出身で、カズさんは東京出身だった)
僕たちはサナエさんに挨拶をして、後ろをついていく形でアパートの階段を降りていくと、カズさんが丁度サーフボードを乗せ終わった所だった。
「おっ、ユキオとタカ! おはよう!!」と、いつも元気なカズさんのとてもパワフルな挨拶が聞こえる。挨拶を交わすと、サナエさんが車の助手席に乗りこむ。
「じゃあ行ってくるよ!!」と、二人揃って元気に車でどこかの海に向かった。
「めちゃくちゃ元気な人達やな」と、僕が言う。
「いやぁ、いつもながら今日もかなり本気でサーフィンをしてるね。プロとか目指しているのかな?」と、僕がタカに言った。
「そうじゃない? この間、雨の日に出かけていたの見たからきっとそうだよ」と、タカが僕に言った。
 僕たちがあっけにとられるほど、二人はサーフィンとボディボードに真剣に、かつ熱心に取り組んでいた。
我に返って、僕たちはいつもの電車でパースシティに向かい「Coles」というスーパーで、タカは散髪用のハサミとカミソリとシェービングクリームを買った。
この際、シティに出たついでに他に買う物はないかと考え、今日の夕飯のメニューとしてパスタと「Newman's Own」のパスタソースを買った。

Newman's Own Spaghetti Sauce

 映画俳優のポール・ニューマンは「Newman's Own」というブランドでパスタソースやドレッシング等を作っており、その純利益のいくらかを貧困に喘ぐ子供たちに寄付しているという、少し変わった商品なのだが、映画が大好きな僕は好んで「Newman's Own」を毎回、各種類買っては、取っておいた空瓶をキッチンの窓に並べていた。(もちろん二人で一瓶だ)

Newman's Own 一気通貫

 「Coles」からの帰り道、ノースブリッジのウィリアム・ストリートにあるキオスクでマルボロを一つ買って(海外でも本当に『キオスク』だったし『煙草』で通じたことに驚いた)僕たちは一通り買い物を済ませた。
 家に帰るやいなや、タカは早速スキンヘッドにする準備を整え始めた。スキンヘッドにする手順としては、シャワールームでタカが裸になり、彼一人で排水口に詰まらないように細かく髪をカットしていく。あとは、シェービングクリームで頭を泡立て、カミソリを使って鏡で見える範囲を彼自身が剃り上げていく(ついでに髭も剃っていた)。もちろん、頭からお湯を流して、僕が彼の手の届かなかった部分(主に後頭部)を確認し、シェービングクリームをつけて丁寧に剃っていく。
最後にしっかりと洗い流して、無事にスキンヘッドが完成?した。
 日本では友人も親族も含めてスキンヘッドなんて一人も居なかったので、頭皮を直接手で触ることは今まで一度も無かったが、こんなに柔らかいものなのかとタカの頭を触って驚いた(同時に、髪の毛が如何に重要なクッションの役割をしているかがよく判った)。
ついでなので、僕はタカの柔らかな頭をペチペチと何度か叩く。
「ペチペチはいかんよ~」という彼の返答が面白かったので、僕は何度か繰り返してタカの頭を叩いて暫く遊んでいた。
気がつけば、外は夕焼けになっており、そろそろ夕飯の支度をすることになった。
夕飯は、毎日交代制で担当する事になっていて、この日は僕だった。
タカはまた『ときめきメモリアル』を立ち上げ、朝比奈さんとの仮想デートにせっせと勤しんでいた(結局、彼は何回クリアしたんだろう?)。
僕は、麺を茹でてパスタソースを流し込むだけという横着メニューだったが、彼は文句一つ言わなかった(その代わり、僕はパスタの茹で加減には絶対の自信があった)。
一方、彼が料理をする時は、オーストラリアの牛肉が日本の牛肉と比べてかなり安いこともあってステーキの時が多かったが、焼き加減が抜群で、テーブル塩とテーブル胡椒だけの安っぽく単純な味付けにも関わらず、とても美味しかった。
ちなみに、オーストラリアのスーパーでは、日本とは価格が全く逆で、魚がとても値段が高く、鮭の切り身は一つ千円くらいだった(少なくとも当時は)。
まぁ、周りが海に囲まれている日本と、広い大陸で放牧し放題のオーストラリアとでは価格が異なるのは判っていたが、ここまで商品との価格差が出るとは思わなかった。
 そんな彼とはアレヤコレヤと冗談交じりによく笑い合っていたが、僕たちは「たった一度」だけしか喧嘩をしたことがなかった。
その「たった一度の喧嘩」は、僕が頻繁に「アホ」という言葉を会話の中で口にしている事に、彼が我慢できなくなった時だった。
これは、関西人の方にしか判らない事だと思うが「アホ」という言葉は心から馬鹿にする言葉ではなく、距離が近くなればなるほどとてもカジュアルに使う言葉だ。
霜降り明星さんたちや、明石家さんまさんを見ていると判ってもらえるかと思うが、ある種の褒め言葉としても使うこともあるし、ツッコミに使うこともある。とにかく多様な意味合いを持ち、相手の人格を否定したり侮辱したりするほどの言葉ではない。大阪生まれの大阪育ちの僕にとっては、ごく自然と出る単語だった。
きっと、パース行きの機内で出会った大阪の本町出身のCAさんなら判るし、隣に住むサナエさんももちろん判るのだが、ただタカは違った
彼は広島生まれの広島育ちで、むしろ「バカ」がカジュアルな言葉であり「アホ」はとても侮辱的な言葉で、話の流れによっては「アホ」という言葉は、人格を否定されている気分になる言葉として受け取ってしまうとのことだった。
僕は、関東のお笑いも好きなので「バカ」も「アホ」も同義で受け取れるのだが、あいにく彼は全く違った。
ある日、何気ない会話で僕が使った「アホ」という言葉に彼の我慢は限界を越えて、彼は僕に対してとても怒った。今まで、彼が僕に見せていた柔らかい笑顔とは一転し、別人のような恐ろしい形相に変わって激昂した。
 僕は彼に対して謝ったし、同時に言葉と文化の意味合いを説明した。僕たち二人が生まれ育ってきた環境の違いが喧嘩の原因なので、なんとか懸命に誤解を解いた。この時の彼の話では、どうやらこれまでの間、僕との会話においてずっと何度も我慢をしていたみたいだったが、その時は遂に我慢の限界を迎えたとの事だった。
最終的には、隣に住んでいるカズさんとサナエさんにも参戦してもらって「アホ」という言葉についてタカに説明してもらった。少なくとも「アホ」という言葉は「人格を否定すること」でも無ければ「他人を侮辱する気持ち」でも無い言葉だという事に対して、タカは一定の理解を示してくれた。逆に、タカの方の気持ちは、東京出身のカズさんが一定の理解を示してくれた。僕は極力使わないように努めてみたが、根っからの大阪人のサナエさんと一緒になって話す機会も増え、気がつけばこれまで以上に普通に「アホ」という言葉を使っていた。
ちなみに、大阪生まれの大阪育ちのサナエさんと住んでいるカズさんは、東京生まれの東京育ちだったが、僕と同じで「バカ」も「アホ」も同義で受け取っていた。
「確かに気持ちは判らなくはないんだよ、俺も最初はよく似た感覚だったからさ。でも考えようによっては、なんか「アホ」って言われるのが面白いじゃん!と思えるようになったんだよね」とカズさんは、同意はするけどプラスに転化して乗り切った経験談を話してくれた。
 結果、一応はカズさんがタカ側についてくれてはいたが「アホ」という言葉を酷くマイナスに受け止めるのはタカ一人となり、一緒に話していてタカは半ば渋々納得していた部分がある事も否めなかった(申し訳ない気持ちで一杯になった)。
ともあれ、僕はパスタを作り一緒に食べ、何度かタカの頭をペチペチと叩きながら笑い合い、食器を洗った。
言葉の壁とは言うが、同じ日本(しかも大きく分ければ同じ西日本)なのに「アホ」と「バカ」でこんなにも大きくぶつかることがあるんだなと痛感した。
きっと僕だけではきちんと納得してもらうことが出来なかっただろうし、東京のカズさんと大阪のサナエさんが仲介に入ってくれたから、なんとか「アホ」という言葉の最悪の誤解を防ぐことが出来たんだと思う。僕からするとカジュアルに出る「アホ」を封じられると、正直会話一つ出来なくなってしまうので本当に有り難かった。
英語はもちろんのこと、日本語一つでさえもなかなか難しいものなんだなと心から思った。

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