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「言葉」は私の、味方じゃないの。

 私の言葉を、褒めてくれる人がいる。とても光栄なことに。私の言葉を、辿ってくれる人がいる。信じられないことに。

 

 私は「言葉」のことを好きみたいなフリをする。それは実は「フリ」なんだ、と言ったら読んでいるあなたは怒るだろうか。いつも。自分のことも騙すように。自分まで騙されてしまえばいいと、そう思って。いっそ自分が「言葉」のことを好きになれればいいのにと思って。そんな「フリ」をする。そうすれば、私はもっと優しくなれるだろうって。

 「言葉」の容器は、余りにも小さい。私が感じた、その瞬間にも、「言葉」は少しも優しくなんかしてくれない。少しも妥協なんてしてくれない。「言葉」は、例外なく残酷だ。

 表したいものほど零れていく。そう感じるのは私だけだろうか。そこにあるのに、なんて言い訳は通用しなくて。

 「言葉にする」ということは、「解釈する」ということだ。それはもう、何の例外もなく。

 それは酷く自分勝手なことだ。都合のいいように切り刻んで、それは酷く残酷な図柄だ。切り貼りして、それを知らないフリなんてしていられない。傷口を作ったのも血を絞ったのも何の言い訳もなく私なのだから。その残酷な姿を望んでしまったのは、紛れもなく私なのだから。

 息が詰まりそうな夜がある。それはまるで絶望の色をしていて、余りにも苦しい。余りにも、狂おしい。

 月とか、星とか、そんなものを眩しすぎると感じる私がいる。読んでいるあなたには分からないだろうか。上なんて見ていられない。私には、涙を隠す雨に、傘を差さずに打たれるぐらいが良く似合う。

 余りにも苦しい。息なんてできるわけがない。吸っても吸っても、足りないんだよ、弱いから。だから私は「言葉」にする。真正面から見つめるには余りにも泣きそうだから。劣化した「言葉」じゃないと、私は受け止められないんだ。

 そんな弱さのためだけに、私は「言葉」を見つめている。

 そのせいなのだろうか。拾い集めて飾りたいものが沢山ある。それはもう、数えきれないほど。数えては、いけないほど。今の狂おしさを、全て。それなのに私は「言葉」にしか頼ることが出来ないんだ。

 拾ったものは、一つだって美しくないんだ。吐き気がするほどに。

 どうすればいい。

 

 私が辿る言葉全ては、妥協でできている。私が伝う言葉全ては、泣き声でできているんだよ。だから心に響くんです、と読んでいるあなたが言うのなら好きにすればいい。勝手にすればいい。何も残らなくても、何の意味もなくても、私は書くのだから。

 書いていないとやっていられない。だから私は書くんだよ。

  

 あなたの為、なんかじゃない。

 だからどうかあなただけは、雨の中で嗤わずに済むように。

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