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初めて90歳のわたしを思い描けた今日

突然ですが、あなたは何歳まで生きる見込みですか?

人生100年時代とか言うけど、100年って長すぎるなあ。平均寿命で85歳ぐらい?定年が60歳?どれも、遠くて想像できない。少し前のわたしは、半年先も生きているかわからないと感じていました。

生きているかわからないと言うのは、ず〜っと毎日死にたい死にたいと思っていたわけでもないんです。そんな「積極的な死」すらも思い浮かべられない状態で、とにかく半年後に生きている気がしないと思っていました。

少なくとも、ここ数年はずっとそんなような気持ちで過ごしてきて、「おばあちゃんになっても友達でいようね!」なんて言われても全然嬉しくなくて。そんなのわからないよと答えていました。

でも、今日、初めて90歳のおばあちゃんになった自分を想像できたんです。顔もしわしわ、手もしわしわ、きっと髪は白くなっていて、薄い花柄の長袖長ズボンのパジャマでベッドに横たわる自分。

家は木造の古民家で、裸足で歩くとすべすべして気持ちがいいようなこげ茶の床と太い柱が見えました。リクライニングベッドを少し起こして外を見ると、緑のお庭があります。

そよそよとやさしく吹く風と、さわさわと揺れる葉と、遠くに水の流れる音と、あたたかい日差し。ず〜っと見ていても飽きないような、穏やかな景色でした。

わたしは、90歳になって何を思うのか。25歳のわたしに声をかけるとしたら、「好きなようにやんな。どうせ止めてもしょんないんだから。」ということばがすっと出てきました。

自分のことだから、自分がよくわかっているんだろうなと思います。25歳のわたしは、未来にばかり目を向けて不安になったり焦ったり。でも、90歳のわたしは本当の意味でいまここに意識を向けている気がしました。

過去を振り返って「あの頃に戻りたい」とも思っていないし、未来を想像して「死ぬのが怖い」とも思っていない。ただただ、「今日もいい日だなあ」とか、「いいお天気だねえ」と目の前のしあわせをまるごと受け取る器があるように感じました。

おもしろかったのは、「世界に時計がなかったらいいのに」と言ったこと。体内時計を活性化させたら、時計なんていらないんじゃないかと思ったのです。の〜んびりひとりで暮らしているなら、そのうち時計を手放してしまうかもしれません。

わたしは今、「管理されている」感覚に苦しんで、疲れているようです。パソコンに管理され、スマホに管理され、時間に管理され、ミーティングに管理され、自分のやりたかったことなのに100%楽しみきれていません。

もっともっと余白が欲しくて、もっともっとひとりが欲しい。逆説的だけれど、ひとりの時間を楽しめたら孤独感が小さくなって、ひととの出会いや繋がりも増えるような気がしています。

恐れから生きるのではなく、源から生きる。誰からも愛されないと嘆くのではなく、自分で自分を愛する。

もっと小さなことで言えば、ながら作業ではなく、ひとつひとつに集中してこころを込める。夜は寝て、朝は起きる。眠くなったら寝る、調子が悪くなったら寝る。

ほんの少しずつ変容が起きてきた結果が、今日90歳のわたしを思い描けたことに繋がっているのだと思うと感慨深いなあと思います。今の気持ちを忘れずに、今日も早く寝るところから!おやすみなさい。

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