孫子の兵法について 3

              令和4年12月30日

12月28日に「will」の1月号別冊を購入した。「ルーズヴェルトとコミンテルンに翻弄された日本」(中西輝政と北村稔の対談)の内容が知りたかったからである。この中で中西輝政は日本の昭和史家が何故か研究しようとしない2つの争点を提起している。

1つは「今後国民政府を対手とせず。新興の政権の成立を期待し、日支両国の国交を調整する」という政府声明が出された背景事情、特に尾崎秀実らのスパイ活動との関係の解明と、もう1つは南京陥落後の和平交渉に反対した近衛ら文官と海軍の米内光政との連携の歴史的検証作業である。

陸軍の事実上のトップであった参謀次長多田駿(はやお)の動きに強く反対した米内光政ら海軍の動きを何故か検証しようとしない昭和史家の姿勢を鋭く批判している。

陸軍参謀本部は石原莞爾路線に従い、「満州に専念したい」と強く主張したのに、米内光政ら海軍首脳部がこれに強く反対した。そのことが日支事変を長引かせ、やがては第二次世界大戦開戦の原因となったことを指摘し、その背景事実の批判的検証を日本の昭和史家がやらないのは何故なのか、と鋭く指摘しているのである。

世に言う海軍善玉論は全くの嘘であることがここに示されている。

戦前の歴史は正しく伝えられていない。歴史学者よ。日本昭和史の検証を急ぎ、正しい事実を国民に伝えよ。

「必ず人に取りて敵の情を知るなり」という孫子の兵法を実践していたのは八路軍側であり、コミンテルン側であって、その言葉は知っていても少しもそれを実践することが出来ていなかったのが、陸大、海大卒のエリート達であり、中でもひどかったのが摂関家を中心とする文官のエリート達であった、ということになる。

従って、日本の昭和史家達は、まず日本昭和史における外国勢力のスパイ活動の実態を資料によって詳しく解明することを研究の第一テーマとすべきであろう。

岸田総理は現政権の閣僚の首を些細な理由で切ることよりも、終戦から70年以上経過した戦前の公務員に関するあらゆる極秘資料を開示させることに意を注いで、戦前史の全容を明らかにさせるべきであるし、それらの極秘資料の開示に特に抵抗している宮内庁関係職員は一斉に遠慮なく全員馘首し元首且つ行政部のトップとして威厳を示すべきであろう。

昭和天皇の日支事変終戦の意向を無視して軍部独走に率先して協力した旧皇族達の実態も資料に基づいて全て明らかにすることが、日本を真の民主主義国にする為の不可欠の作業と言うべきである。

石原莞爾路線に進んでいたら、日本農村の貧困問題も徐々に解消して行った可能性はあったし、国際連盟から脱退することも避けられたかも知れない。日本がナチスに根拠なく期待しないで、国際関係重視の方向に徐々に進んだかも知れないではないか。

明治憲法を改正して政軍関係を徐々に改善してゆく可能性さえ、希望がなかったわけでもあるまい。明治維新の前には多くの若者を海外に送り出す気力があり、国際関係を注意深く研究する姿勢があった。それが「お勉強馬鹿」重視路線に移行した昭和時代になって、そうした真っ当な思考方法を急速に失ってしまったのである。

それは何故なのか。そのことも昭和史の研究によって、やがて明らかになるはずである。国際的孤立は滅亡への道である。日本は英才をどんどん海外に送り出し、各国の長所を謙虚に取り入れることを忘れてはならない。外国に暮らす日本人の中から「故国へのレポーター職」を委嘱する人材を多選して「必ず人に取りて敵の情をしるなり」という孫子の兵法を実践すべきである。

この方策を充実すればキャリア外交官などいらなくなるはずである。今大事なことは、日米関係を分断されないことである。その為にも、お勉強馬鹿のキャリア外交官よりも、欧米諸国に進出して現地の中で逞しく暮し、生の情報を日々収得している庶民大使を選任することの方が余程確かな情報が得られるはずである。孫子の兵法に学ぶべき、とは、そういうことだ。


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