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自分の就職活動について⑤

☆ ☆ ☆

長い2カ月間の夏休みが明け、秋になった。私は就職活動をのんびりと続けていた。

夏のインターンでの収穫は、「楽しんで仕事がしたい」ということであった。
自分は使命感に突き動かされるよりも、楽しんで仕事を進めた方がモチベーションがどうやら上がっていくということまでは分かったのだ。

ただ、どんな企業でどんな仕事をしたら楽しく仕事が出来るのか?という所を考え抜くまでには至らなかった。この時点で、しっかりと業界・職種を絞っていくべきなのだ。しかし、私はこの時点でも、様々な業界を見続けていた。このツケは後で大きく跳ね返ってくる。

秋から冬にかけてのエピソードは、期間の割にほとんど無い。いや、思い出せない。
後から振り返ってみてほとんど思い出せないということは、それだけダラダラと時間を無益に使っていたということだ。

トピックがあるとすれば、以下の2つ。

①民放キー局の本選考
②ベンチャー企業

就職活動は、一般に4年の6月解禁と言われる。しかしこれは実質的な拘束力を持たないルールであるため、半ば形骸化していると言っても過言ではない。
実際、多くの企業が6月より前に面接を行ったり、挙句の果てには秘密裏に内定を出したりしている。ただ、6月前には大っぴらには採用活動を行っている企業は少ない。

例外的な企業が、外資系企業、メディア系(特に民放キー局)、そしてベンチャー企業である。
私はこの時期、民放キー局/ベンチャーを視野に入れて就職活動を行っていた。

☆ ☆ ☆

まずは、「民放キー局の本選考」について語ろう。

就活を始めたモチベが「メディア系に進もう!」だったことから、3年の夏から私はメディア系、特にテレビ局のインターンに行っていた。

夏に通ったメディア局は、とあるキー局1つ。
内容は、半日で局内を見学できたり、番組企画案を考えたりとありきたりなものではあった。

ただ、衝撃的だったことが、インターンで通る導線上のソファに、おそらく夜勤明けの社員(もしくは制作会社の方だろうか)が大きないびきを掻きながら寝ていた。

私は、率直に「移動させないんだ!?」と思った。
勿論、テレビ局が激務であることは存じていた。しかし、就職活動の一環で来たインターン生(しかも3年の夏であるから、まだ採用選考に進むことも確定していない、”視聴者”に戻る可能性の高い若者たち)にそんな姿を見せるのか…。少し違和感のようなものを感じたことを覚えている。

秋には、別のキー局の2daysインターンに参加した。
結論から言えば、前述の自分の中に芽生えた違和感のようなものが、ここで大きく膨らんでしまった。

インターンの内容は、テレビマンによる講義や企画プレゼンといった、夏よりも高度で興味深いものだった。
講義では、有名な番組の若きディレクターが登壇し、彼自身の入局後の紆余曲折を面白おかしく話してくれた。所謂、武勇伝といった所だろう。インターン生も一方的に聞いているだけではなく、時折挙手して回答を行うことが出来たのも良かった。

だが、番組ディレクターとして成功した理由を話している時に、彼は言った。

「さっきから手を挙げているのが男子ばっかりだな~。たまには女子も手を挙げてよ。男じゃなくて、女の子から褒められたいんだよね~。もっと僕の良い所言ってよ。」

私はこれを聞いて、果たしてテレビマンにはコンプラ意識が備わっているのかを疑問に思った。
関係性が構築されている上での発言(それでも問題になることだって多々ある)ならばまだ良い。我々は、つい30分前に顔を合わせた「インターン生と社員」という関係でしかない。それなのに、セクハラとも捉えられかねない発言を繰り広げているのはいかがなものか。

他の業界では、企業側の代表として登壇している以上、閉鎖空間だとしても人事はそんな危うい発言を絶対に口にしない。だが、そもそもテレビ業界とはそういった発言が問題視されていない場所なのだ。

その局が一番好きだった私は、深く失意の念を覚えた。
テレビ業界は、旧態依然と言われ続けながらも、変革に向かおうとしているのだと思っていた。だがその実態は、古き時代を大きく引きずっているようだった。

無論、今考えれば、その人がとりわけコンプラ意識が無かっただけかもしれない。早計だったと言われれば、それまでである。しかし、当時の私には、決して小さくない衝撃を与えたのだった。

私は、メディア業界に進むことを迷い始めてしまった。

そんな状態のまま、12月頃からテレビ業界の本選考が始まってしまった。私はとりあえず、選考に進むことにした。だが、「とりあえず」で出す人を採用するほどテレビ業界は甘い場所ではない。

当然、私は見事にES、もしくは一次面接でキー局に落ちた


⑥に続く


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