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かわいいドーナツ

先日、横浜のバンクシー展に行った。

1800円という強気の値段設定であるが、バンクシーの「絵画」がテーマごとに展示されており、ちょっとした解説も付いていて個人的には値段に見合った価値があった。(解説の大抵が「このアートワークの解釈はあなた自身に委ねられている」で締められていたが、致し方ないことだろう。)

個人的に1番刺さった作品は、以下であった。

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バンクシーの大きなテーマの一つに、「反資本主義」がある。(正確に言えば、私を含めた大勢のバンクシー鑑賞者がそのように作品を評価している。)

「Destroy Capitalism(資本主義をぶっ壊せ!)」と書かれたTシャツを買い求めに並ぶ人々が描かれている。この作品も紛れもなく、資本主義の精神を皮肉ったものだ。

また更に恐ろしいことに、この作品を見に来る人にも、同様のことが言える。我々は「1800円」というお金を払って「反資本主義」「反消費社会」を皮肉るバンクシー展を見に来ている。我々鑑賞者を作品たらしめてしまう大いなる皮肉の仕掛けがこの作品には込められているのだ。


ところで、この作品の隣にはこんな絵があった。

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ドーナツを軍隊のような集団が護衛している作品だ。ドーナツとは資本主義の象徴であり、言うまでもなくこのアートワークも資本主義批判を繰り広げていると言える。

しかし、この絵を見ていた隣のカップルがこんなことを言い合っていたのだ。

ねえ見て、ドーナツ。 ピンクでかわいい~。

私は耳を疑った。「かわいいドーナツが描いてある」という表面的な事象しか捉えられないのだろうか、と。「かわいい~」しか感想が出てこない対象に1800円も払うのはいかがなものか。それならばカラオケで2,3時間ほど歌っていた方が幾分かマシだろう。

私の意見に対し「『バンクシーの作品が一般層に広まっている』といえるのだから、よいことではないか」という更なる批判があるかもしれない。しかし、バンクシー展に行っても「ドーナツかわいい」という感想で止まってしまうことが、果たしてバンクシーの裾野を広げていることになるのだろうか?私にはそうは思えない。


だが ここまでの話は、あくまでも/どこまでも私の意見である。繰り返すが、私はこの絵を見て「ドーナツかわいい」という感想で止まってしまうことに否定的な立場を取る。しかし、バンクシーは作品の評価軸を一元化せず、批評を個人の主観に任せる。故に「正しい見方」など存在しない。「ドーナツかわいい」という見解も、バンクシーの絵を「(表面上の)イラストのキャッチーさ」という一つの評価軸で見た時の感想として十分に「正解」足り得るのだ。もっとも、私が「バンクシーのアートはこのように見なければいけない!」と言っていたら、その方がおかしいことだろう。

私は「ドーナツかわいい」というだけの感想を許さないが、バンクシーはそんな感想が出てくることを見越して、キャッチ―なアイコンをあえて差し込んでいるのだろう。つくづくやることがニクい。

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