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何も起きない楽しさ、何もしないという幸せ

なぜ今の家に決めたかというと、南側にある窓だらけの寝室の日の入り方が素敵だったから。

他の条件もそこそこ満たしてはいたけど、その窓さえなければ私がピン!と来ることは恐らく無かった。

南から東側まで、部屋の3分の1が窓という独特な間取り。
カーテンレールは窓に剃って急カーブしていて、ベランダもL字に広い。

そんなこんなで引越し当初はいいサイズのカーテンが無くてお金はかかるわ寒いわで、「窓が好きで選んだのに窓に苦しめられるなんて…」と文句を垂れ流していた。

結局のところ、今はその窓から入る朝日が大好きで堪らないし、特別なことなんて何もないこの家をすごく気に入っている。



この家で春を迎えてからはもはや、「朝が好き」という感情まで芽生え始めた。

本当に本当に、朝に日の光を浴びるのが気持ちいい。

小学校の時の先生が「本当に」と「すごかったです」は作文で使うなと言っていたのに、無視してこんな文章を書いてしまうくらいには気持ちいい。

朝起きるのは確かに恨めしいけど、カーテンを開ければスッキリと目が覚める。

寝室とリビング(リビングの窓もこれまたデカい)のカーテンを全て開けると、朝の6時台でも電気をつけなくて良いほど明るい。電気代も浮くし、最高だね。

そんな感じで、朝は大抵機嫌が良くてニコニコしてしまう。



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実家を出るのも同棲を始めるのも不安だった時に、すでに同棲をして1年以上経っている親友に

「ねえ同棲って楽しい??楽しいって言って!!!」と不安を消し去ってもらおうとしたことがある。

そんな言葉で消える程度の不安なら自分でどうにかしろよって感じなのだけど、その時は1人ではどうしようもできなかったのだ。

「海外旅行が10なら、同棲は3って感じ。私は生活に楽しいっていう感情がないから…」

親友はそう答えた。その時の私は「確かに生活に楽しいも楽しくないも無いか」って、妙に納得してしまった。

旅行、デート、仕事、遊び。

そうやって、何かが起きてこそ、何かをしてこそ“楽しい”のだ。

事件なんて起きるべきではない、ただただ平和であるべき日常というものに、私は何を求めていたんだろうか。

楽しさばかり求めないで、ただただ優しく平和に、なんか、ほわんとした日常が過ぎていくといいな。とにかくそれだけ願おう。そう思った。


けれど生活が始まった今は、この毎日が楽しいという気持ちが明らかにある。

ちなみに実家にいた時は、親友の言うように「生活に楽しいという感情が無い」状態だった。
遊びに行って、いっぱい働いて、学んで、ようやく楽しかった。

そう思うと確実に楽しい毎日だ。何が楽しいって、理由なく何もしない毎日が楽しい。

それこそ、朝日を浴びることなんていう小さいことが、なんか楽しいのだ。


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まだまだ手慣れない料理は、無心で野菜を切るのも好きだし、鍋のぐつぐついう音も好き。

美味しい匂いがすると、思い切り深呼吸する。ほかほかに炊けたご飯はツヤツヤでなんか可愛い。


新しく買ったダイソンの掃除機は、実家でにもあって使い慣れていたのもあってノンストレス。まあ買いたてホヤホヤだから私はまだ使ってないんだけど、そうに違いない。


排水溝の汚れは気持ち悪いけど、朝急いでゴミを集めるのも慣れてきた。やらなくていいなら、やりたくない家事もある。


洗濯物を干してる時に見える桜が綺麗。家が高台だから色んなものが見えるのも気に入っている。静か過ぎなくてうるさくないのも、ちょうど良い。


この間、広いベランダに猫が入ってきたらしい。住み着かれるのは嫌だな、って言っちゃったけど私も見たいからまた来ないかなって気持ちが少しある。


新たな通勤ルートはまだまだ見慣れなくて、「ふうん、ここに大きな川があるんだね。ところでここはどこの駅が近いの?」とか1人で考えている。



手の届く範囲に恋人がいつもいるのも、当たり前に嬉しい。嬉しくって話しかけまくっちゃうし、隙あらばちょっかいかけてしまうのでもう少し落ち着きたいとは思っている。


でも、そんな彼がいない時間もこれまた楽しい。「家に自分しかいない」という謎のワクワク感は小学校の時から変わらない。好きなことしちゃおー!って思いながらも、ただお菓子を食べて終わる。


彼が誕生日にくれた桜は、2〜3日に一度水をあげるだけでグングン育って、とても綺麗に花を咲かせた。手のかからない優秀な子だ。とても可愛い。

まだ咲いているのに、来年も咲くと思うとなんだか我が子を思う気持ちのようだ。子供いたことないから知らんけど。

毎日が、そんな感じで楽しくて幸せだ。

何もしていないというのに。


自分の選んだ家。自分で選ぶ食材と、自分で作るご飯。

自分で散らかして自分で片付けて、自分のためにある生活。

誰のものでもない朝日が、まるで私のためにあるみたいに感じる生活。

何もしない、何も起こさない、この平和の楽しさの正体は、

全てが自分で手に入れたものだから、だと思う。

実家では勝手に手元にあった色んなものが、私の力によって手元にある。

そんな当たり前の生活するためだけの取捨選択が、今はとにかく楽しくて、私を幸せにしてくれる。

旅行に行かなくても、デートをしなくても、わざわざ楽しいことを求めなくても、生活は十分に楽しい。この幸せを、私は今まで知らなかった。



この家の、何もしない、何も起きない普通の時間が、ただただ好きで心地よい。






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