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イタリアから帰れなくてアラブに行った話(前編)

私も親友のNも1週間以上の海外旅行は初めてだった。
2人とも20歳になったばかりで若くてまだまだ知識が足りないところがたくさんあったけれどその度調べたり、Nは特に19歳の時に10ヶ月メルボルンに留学に行ってたことも含め年齢の割には知識量が多くてとても頼りになった。

私もNも何故か旅行に行くととんでもない目に合うことが多かった。
理由は明らかに私たちの詰めが甘いからなのだけど、お互いに性格が良くも悪くも似てるところがあって、反省はするけど解決して30分くらいすると笑い話になってしまうところがあった。

2人で初めてヨーロッパに行った。

行き先はイタリアで、5泊7日。
ツアーでは無く、ホテルと航空機(アリタリア航空)のパックで10万円。
ベネチア、フィレンツェ、ナポリに日帰りで行って、ローマのトレビの泉に徒歩3分で行けるような場所のホテルに5日間滞在した。

毎日何かしらの小さい事件は起きていたけど、現地の人達に何度も助けられて5日目にはローマの街も地下鉄も住んでいるレベルで覚え始めていたのでとにかく「帰りたくない」の一言だった。

14時発の飛行機に乗るために少し早めのお昼を食べて私達はフィウミチーノ空港に向かった。


このピザを食べるあたりまでは順調だった。
このピザの写真を見ると、味よりもこの後の事件のことを思い出す。

空港に着いてチェックインをして出国手続きも終えてあとは呼ばれたら飛行機に乗るだけだった。

「成田からローマに来た時は確か、搭乗時間が出発の30分前だったよね」「そうだったね。じゃああと1時間以上あるしお土産見れるね」「しかも30分前に全員並んだところですぐ入らないからまあ多少30分過ぎても大丈夫だよね」

今思えば自分たちを殴りたい。
なぜ成田からローマに来た時の話をしてるのか、ローマから成田行きのチケットを見ろ???

私たちはしばらくの時間楽しんでお土産を見ていた。案の定、お土産を見ていたら外人の添乗員がこの世の終わりみたいな顔で走ってこちらに向かってきた。

「あんたらが日本人の女の子の○○様?!
さっきから何回も呼んでるんだけど?!早くして!飛行機行っちゃうから!」

英語力が中学生レベルの私でもそう言っているのがわかったけど、お土産のお金を支払っている途中だったのですぐ終わるから、支払ったら走って向かおうと思った。

何回もアナウンスしていたらしいが、その声はお土産屋さんの外までしか届かないアナウンスだった。

チケットに書いてある出発の時間まであと15分程あった。


走ってゲートまで向かうとゲートは封鎖されていた。日本人の添乗員が「この飛行機のキャプテンがNOと言ったので乗せることはできません。」と言った。

「まだ出発時間まで少しありますよね?飛行機それ(目の前)ですよね?乗れます!」
「キャプテンがNOと言ったので。」

キャプテンーーーーーーー!

イタリアにいた5日間、本当にイタリア人は適当だ、と思った。
電車に乗り間違えたと言ったら手書きの即席切符を手渡されたり、カットフルーツの分量は同じ値段なのにバラバラだし、街にある時計は全て違う時間を指していたし。

今日の今までその適当っぷりを見せつけられてとても面白い、良い、日本と全然違くって素敵!と思ってたのに。

ここにきて10分前の私たちを乗せないってなによキャプテン?!
なんでも適当な国だったじゃない!!

キャプテンはイタリア人だったらしいけど、イタリア人全員がちゃらんぽらんなわけでは無かった(当たり前)。確かにパイロットがちゃらんぽらんなのも嫌だ。

しかもその時期はちょうどパリのレストランで起きたISによるテロから4ヶ月経ったくらいの時期で、ヨーロッパはとても危険な状態だった。
実際に私たちが滞在していた5日間の間にブリュッセルでテロがあったばかりだった。

「時間を守れない人間というだけで危険な人物かもしれない、と見なされますので。」と言われた。私たちはまるでテロリストだった。

「今あなたたちのスーツケースを探していますので少々お待ちください。10分程かかると思います。」

いやスーツケース探すより私たちが乗った方が早いでしょ!

諦めきれない私たちだったが、CAの顔を見るともう無理な様子だった。何を言っても、この目の前にある成田行きの飛行機にはもう乗れない。

「お察ししますが、ご自身で新しいチケットをとって頂くしかないですね。」

反省とか、愚痴とか、怒りとかそんなこと言ってる場合じゃなかった。
私たちはローマから帰らなきゃいけない。

3時間前までは
「さらばイタリア、、、また絶対くるからね、、、(泣)(泣)」だったのに、今は
「ローマで死す?!!!!!」だった。

Wi-Fiを持っていなかったのでiPhoneはフィウミチーノ空港の非常に使えないWi-Fiに充電を消耗されながら繋がる奇跡を待つしかなかった。
現金はほとんど使い切っていて、クレジットカードは私もNもあと少しで上限だったからあまり期待は出来なかった。
日曜日だったから、日本大使館に助けを求めることも出来なかった。
成田行きの便は明後日まで満席だった。  

絶望的だった。私とNはとにかく帰るために20歳の頭をフル回転させるのだった。

あの時食べたピザなんて。もうこんなん。

中編につづく

#日記 #コラム  #エッセイ #旅行 #イタリア #アラブ


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