美しさや可愛さには、ほんの少しの“新しさ”が不可欠
仕事でデザインや企画をする上で、人が何かを「可愛い!」「美しい!」「ステキ!」って思うのはどんな時なんだろう、と考えたりする。
答えは一つではないと思うけど、最近気づいたことは、
「鮮度」がかなり関係あるってこと。
ほんの少しのでいいから、新しいエッセンスを加えてみる。
デティールとか、コンセプトとか、素材とか。ほんの少しでいい。
そういう目新しさが、人々をときめかせる要素のひとつだと思う。
私が海外旅行に行くのが好きな理由の一つは、「美しいものがたくさん見れるから」なのだけど
日本にも美しいものはたくさんあるじゃん!!
って言われたら、うーん、まあ、そうなのだけどね…ってなる。
なぜかって、私の「美しい」の概念に“鮮度”がある限り、国内にあるもののほとんどが鮮度に欠けているから。
神社もお寺もそこら中にあるし、文字なんて日常のものだし、レトロな木材家屋なんかもまあ…うん。って感じだ。
けれど海外に行くと、何もかもが新鮮だ。
イスラム建築や数々の教会、何千年も前に描かれた壁の絵やタイルアート、全く読める気がしない文字…
普段目にしないもの、私の生活から遠いもの。
そういうものに美しさや可愛さや、とにかくときめきを覚えるのだ。
毎日のルーティンにマンネリして、身近なものがくすんで見えるとしても、
海外旅行に行けば、最も簡単にときめきに出会える。
「新しい」ということは、やっぱり私にはとても必要なことで、
だからこそなるべく、時代の変化には敏感でいたいとも思う。
仕事の難しさはここにあって、
常に新しいものや新鮮なものを作ることを求められる。
服は明日出来上がるものではないから、数ヶ月先にそうやって目新しさを感じてもらえるものを作らないといけない。
生みの苦しみは、ここに多く隠されてるとも思っていて、
これは発売される時期にまだ新しいかな?とか
もっとここに新鮮さを盛り込んでみようかな?とか、
“鮮度ポイント”をどこに入れ込むかにいつも悩む。
色んなものを見過ぎて何が新しいのかわからなくなることもあるし。
それに、簡単に見つかるものならときめきなんてしないのだから、新しさなんてそこら中に転がっているものでは無いだろう。
新鮮な物を見つけるのは当たり前に簡単なことではない。
そんな難しさと闘いながら働いてるし、
自分自身も新しさを求めてる。
苦しみながらじゃなくて、楽しみながら「新しい物探し」が出来るようになりたい。
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