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恐怖を解剖分解する



恐怖の中心は扁桃体である。


そして、扁桃体から大脳皮質の各部に向かう経路が、大脳皮質から扁桃体えと戻る経路よりもずっと数が多い。

虎に出くわした時、その瞬間に人間の頭の中では扁桃体が他の部分に向けて警報を打ち鳴らす。「危険発生!他の仕事は当面ストップ!」と大声で警告している。大脳皮質の高次の領域からは大丈夫、これは攻撃してこないと言うメッセージが送られてはきたが、原始的な恐怖の反応を留めることができなかった。

戦うにせよ、静止するにせよ、逃げるにせよ、ともかく恐怖は人間を助けることだとわかる。だが恐怖の作用は、その時人間を行動に向かわせることだけではない。恐怖の記憶は人の思考や判断や行動や感情にまで長期的な影響を与える。個々の性格形成にもその影響が及ぶ。

恐怖のシステムにおいて肝心なのはともかく〈生き延びる〉ことであり、感情は、恐怖反応がもたらす生理現象− 手のひらの破壊や血中アドレナリンが増加や行動の高まり− など、と同程度の重みしか持たない。
感情の出番が来るのは、恐怖のシステムが仕事を終えたその後だ。 

高校生の頃、学校に着いてすげえキレ出した女子がいた。電車で痴漢に遭ったらしい。クラスの友達の側という安心できる場所に来て、ようやく、脳の恐怖のシステムによって止められていた感情が顔を出し、ふつふつと怒りが湧いてきたのだろう。彼女はしばらく炎のなかにいた。

ヘビや虎だけでなく、何百万年の始祖にとって脅威だったものごとは、みな同様の反応をもたらす。このようにして脳は何を恐怖すべきかを人間にあれこれ指図している。原始的な危険が今なお人間の脳に強い力を振っているのは明らかだ。

抵抗しない=肯定ではない
ただ待っていても助けなどこない

ことは、子供のうちから教えておいた方が良さそう。

恐怖を感じた時の、人間の取れる行動は3つ。
闘うか、逃げるか、死んだふり

近年になって、女が闘う映画が増えだしたのは、
逃げられない場面では、闘うか死んだふりをするしかないからだ。

ハーレイクイン


今までは、ずっと死んだフリをしてきたが、
(レ・ミゼラブルのファンティーヌは、
娘のために髪の毛を売り、歯を売り、最後に身体を売ったことを思い出した。買った男はドブネズミとして蔑む意味で:ラッドと呼ばれている)

そこに終止符を打つ時代になったのだ。
闘うにしても、武器がないと部が悪いがね。

また、あえて死んだフリをとることで治療するカルトじみたことをするアプリ ーチをしたのが、『エルトポ』『DUNE』『リアリティのダンス』などのホドロフスキー。

ホドロフスキー

苦しみを抱えた自分ごと実際に土に埋めたり、南瓜をにくい人に見立てて叩き割ってみたりまるで儀式のようだからカルトと言われてしまうが、斬新だけど、こうした彼の試みも非常に面白いものがあり、ジョン・レノンをはじめ、さまざまなアーティストに支持されている。



さて、恐怖の回路は人間が目の前の危機を切り抜けるのを助けるが、そうした切迫した状況家で重要なのは思考や感情ではなく、まず行動だ。進化の過程で脳はそのように形作られたのだとルドゥーは説く。

とは言え、人間が恐怖を感じるのは明らかだ。凶暴そうな犬が生き返り狂ったように突進してきたときの嫌な気持ちや、重要な試験の結果を待つ落ち着かない気持ちは誰もが知っているはずだ。こうした恐怖などの感情を人間は常に肉体的感覚の結果として経験するという説がある。

アメリカの心理学者ウィリアム・ジェームズは「人間は逃げるから恐怖を感じるのであり、その逆ではない」と言う。

もしも感情が本当に肉体的な感覚から生じているのなら、肉体の反応が鋭敏になればなるほど、人は恐怖の感情を強く感じるようになっていくのではなか?という仮説をもとに行われた研究で新たにわかったことがある。

音の現れ方と心拍との関係にうまく気づくことができる人は「自分は恐怖や心拍を強く感じる方だ」と自認していた。そしてジェームズの理論通り自分の肉体の反応を敏感に認識する人は、本能的な感情をより強く経験していたのだ。

快楽と同じく、恐怖を司どる回路全体にもアクセルとブレーキの両方の機能がある。扁桃体からくる警報のスイッチを完全に切ることはできない。そこには解剖学的な事情がある。扁桃体から大脳皮質に向かう経路の数は逆方向の経路よりもずっと多く、そのせいで、扁桃体という原始的な組織がもっと高次な大脳皮質に対して、過剰なほど大きな力を振るえるのだ。だからこそ、トラに出くわしたコリン・スタンフォード・ジョンソンは、相手が攻撃してこないと頭で理解していても、その場から一歩も動くことができなかった。これは、恐怖などの原始的な感情がなぜ認識や記憶に大きな影響を与えるのかも説明している。



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