見出し画像

【人生はエンタメ】わたしもあなたも名役者

【わたしはわたしを生きるシリーズ】
「人生何が起きても大丈夫!」
夫の鬱も、娘の不登校も、
わたし自身の強烈な自己否定も。
ぜ〜んぶ大丈夫でした!

でね。
診察室で緊張の面持ちと思いきや、


次の瞬間。
なんと、わたし。
笑いが出てきた。(内心よ)


診察室で、
お医者さんと向き合っている
わたし自身が、わたし自身を
幽体離脱のような視点で
外側から見てしまったのだ。

「…マジかーっ!
わたしの人生に
こんなことが起こるの⁈
予想外の展開!
ちょっと…ウケるんですけど〜」


つい。
思ってしまったのよ。

もうね、
そう思ったら最後、
二度と深刻にはなれんですよ。

演出家目線なのか、
脚本家目線なのか、
わたしの上のほうが騒がしい!
(※イメージ)

「さぁさぁ!思い出せ!」


【わたしの人生はすべて、
地球での演劇エンターテイメントであり、
人生で起こることは、
魂を成長させるためのシナリオとして
自分で決めて生まれて来ている】


そうか!
わたしは生まれてくる前に、
「この場面、この瞬間に、
 そのことを思い出す」
そういうシナリオを書いていたのね!

はい!
わたしの魂さん、
ガッツポーズ出ました!
「やったーー!思い出した!」
(※イメージ)


「なーーんだ、そうだったのか。
それならもう、
思い出したから大丈夫じゃん」
不思議とホッとしたというのが、
その時の感覚。


そして同時に、
「あれだけドルフィン先生の本を
読み込んで来たのは、
この瞬間のための
予習だったのかーーー
‼︎」
とも思ったよね。

我ながら、
御膳立てはバッチリじゃないか!


ドルフィン先生によると、
人間(生命)の本質は、
螺旋振動するエネルギーであって、
身体はあくまでも着ぐるみ。

自分の魂エネルギーが誕生した時の
【ゼロポイント】の無限大の
超ハッピーな“楽で愉しい”螺旋振動数が、
いつの間にか、エネルギーが
だいぶ下がってしまったために、

あの、
楽で愉しいという感覚だけの
【ゼロポイント】にまた戻りたくて、

魂の螺旋振動数を上げるためには
わざわざ、
時間と空間の制限がある
地球という環境で
もがく必要があるんですって。

より大きなショックや、
辛い体験でもがくほど、
振動数を上げることができるらしい。


だから、わたしたちの魂は
自分で望んで、あえてもがくために、
自分で選んで
地球に生まれてきたんですって。


ドルフィン先生の説く世界は
今までにないエネルギーの捉え方で、
意識を自由にしてくれる。


意識が自由になったからこそ、
ドルフィン先生が伝えていることを、
実際に自分でも
体験してみたかったのかねぇ。


でね。
ということは、ですよ。

たとえ身体が無くなったとしても、
魂の螺旋振動エネルギーは永遠。
本当の意味では
“死”はあり得ないということね。


診察室で、つい笑ってしまった
あの瞬間に、わたしは
たくさんのパラレルの自分の中から、
ひとつを選んだのだね。

今ではハッキリわかる。


人生で体験することが、
地球での
演劇エンターテイメントなのであれば、
わたしは女優として演じているだけ。

病気も単にひとつの題材だし、
何かネガティブに見えることを
体験するのは、実際辛かったり、
痛かったりもするけれど、

人間として、
身体を持たないと体験できないことを
やりに来てるんだなぁ、と
妙に納得してしまった。


“死”に至っては、
それこそ、
この人生という映画作品の
クライマックスシーンなのだから、
なんにも怖がることはない。

死んだら、身体を持たない
自由な意識だけのエネルギー体に
戻るだけなのだから。


死ぬなら、美しく
穏やかなシーンにしよ〜っと。
そう思った。


ちょっと妄想してみると、

自分の螺旋振動数を上げたくて、
【ゼロポイント】に里帰りするために、
地球に生まれたがっている
魂たちはきっとた〜くさんいて、

彼らにとっては多分、
地球でのハードなストーリーほど、
「いいな〜
その体験してみた〜い!
振動数めっちゃ上がるやつや〜ん!」と、
垂涎の人気アトラクションに違いない。


お医者さんの話を聞きながら、
そんなことまで感じていたわたしは、
きっとニヤついていたに違いない。


じゃあ、
現実どうしたのかの話はまた次回。


いいなと思ったら応援しよう!