昔の話

前回、昔の話でもしようかな。なんて確か言ったと思うので、過去の話をしますね。

私が記憶する最後の記憶は、父と二人でボロいマンション(マンションと言っていいか怪しいが)に住んでいた記憶だ。そこには、テープの飛び出たビデオがある整頓されているとは言えない部屋だ。情景が出てくるだけで、なんの物語もない記憶。

しっかりと記憶に残っているという話であれば、私の昔話は曾祖母と暮らしていた頃からのものになるだろう。
初めの頃は、母もその家にいた。家というには家らしくない場所で、そこは旅館だった。曾祖母が経営している旅館で生活をしていたのだ。
自分の部屋という概念はなかったし、家族の集まるリビングにずっと居たことを覚えている。
母は、仕事で夜はいないし昼間は寝ている。私の過ごした保育園生の頃から小学生までの記憶はほとんどが、その曾祖母と暮らしていたという記憶だ。
保育園の送り迎えもほとんど、曾祖母がやってくれていたと記憶している。母親が来る日は嬉しかったという記憶もあるのだが。私にとって本当の親は曾祖母なのだという気持ちになっていた(そんな事を子供の頃に考えれる訳もなく、今考えるとだが)のだろう。

曾祖母という人は、とても優しくいい人であった。
怒られたという経験は一度しかない。その一度も、私が居なくなり心配してのことで、怒ったというより叱ったと言った方が正しいのだろう。
自分で言うのもなんだが、この頃の私はいい子であったと思う。それは、悪いことをしないとか品行方正とかって意味ではない。お調子者で周りを楽しませることに喜びを感じる、子どもらしいいい子だった。
この頃の僕は、仮面をつける演じるなんてことを一切したこともなく、いい子であろうと思ったこともなかった。ただただ、充実していて幸せだった。

小学校の入学時は、母親に写真を撮ってもらったりした覚えがあり、保育園から小学校という大きな世界に羽ばたいていく楽しみがあった。不安なんて一切感じていなかっただろう。
小学校時代も、持ち前の目立ちたがり屋な部分と明るい部分が発揮されすぐに皆と仲良くなって行ったように記憶している。
それは、旅館という場所に暮らしていて、様々な人と会話をしていたこともあるのだろう。この頃から少しだけ、人見知りのけはあったがそれ以上に目立つことに喜びを感じていた。

旅館の話をしていて、思い出した記憶がある。
まだ、保育園生だった頃、私にはとても仲良くしていた友人がいた。その友人は、保育園卒園時には、引っ越してしまい、それからの交流はなくなってしまったのだが、よく私の家で遊んでいた。
よく遊んでいた中で、長期休暇の時期に旅館に泊まりに来ていた女の子とその友人とで仲良くなったことがあった。皆同い年で(そう記憶しているが違うかもしれない)きっと、ウマもあったのだろう。
三人で結婚式ごっこなんかをしていた覚えがある。あの頃は、恋という感情を理解していなかったが、今になって思うと、私と友人はその子のことを意識していたのだろうと思う。
一期一会の出会いというものは、大切なものだ。
その時の関係は、続くものではない。それでも、美しい思い出として心の中には残り続けている。


過去の記憶を思い返すと、美しい思い出ばかりが思い起こされる。それは、時間の経過とともに美化しているものなのかもしれない。
それでも、あの頃の打算のない生き方は、今は失われた美しさなのだろう。

何も考えずにいれる美しさをもう手にすることは出来ない。

過去の事を話すとたくさんの思い出が蘇る。
これは、今書きたいと思えた美しい思い出達だ。
まだ、沢山書きたいことがあるがそれは次回にしようと思う。
私が変わっていく失っていくまでの話も書いていきたいと思う。悲しい出来事も書きたいと思う。
楽しんでいただけたのなら、次回を待っていただければなと思うばかりだ。

ここまで読んでいただきありがとうございます。
また次回お会いしましょう。

髙木 春楡

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