見出し画像

自然保護について考える

こんにちは。うつ病休職エンジニアの三十郎です。

現在、「二酸化炭素削減」、「SDGs」などの言葉が流行っていますが、私は違和感を覚えています。別に反対しているわけでは無く、勝手に増やした二酸化炭素のせいで、自然からしっぺ返しを喰らい、慌てて削減に走ろうとする姿が少し滑稽に感じるのです。

先ず、そもそも「自然」とは、どのような概念でしょうか? よく「自然」の反対語として「人工」を使いますが、それは正しいのでしょうか? 人工とは人間が作ったものですが、人間は自然に進化した存在に過ぎないのです。ただし、地球環境を変えるほどの発展を遂げたため、他の自然の生き物とは別の存在だと人間が勝手に思い込んでいるのです。

私はそこに人間の傲慢さを感じます。人間の進化など自然は織り込み済みなのでしょう。人間も含めて自然と考えるのが、本来の正しい考え方だと思います。これまでの考え方は、欧米のキリスト教的価値観に基づくものだと思います。神は「自然」とは別に「人間」を創造したのだと。でも、この考え方はダーウィンが見つけた「進化論」によって嘘だと分かりました。先ずは、その考えを一旦リセットすべきだと私は思います。人間は自然の一部に過ぎないのです。

確かに人間は他の生物と違い高度な知能を備え、周りの環境を自分たちの生存しやすいように作り替える能力を有する数少ない生き物です。数少ない生き物ですが、自然環境を変えたのは何も人間ばかりではありません。植物も自分たちが増える過程で、光合成により大気の二酸化炭素を減らし酸素を増やしました。海の生物たちも自分たちが生きやすいように勝手に珊瑚礁などを作っています。何も人間だけが地球環境を変えているわけではありません。

しかし、自分たちが変えた自然環境のせいで自分たちが生きづらくなり、自分たちの都合で勝手に騒いでいるのです。「自然保護」の名の下で勝手に騒いでいるのです。今の自然環境は、逆に植物にとっては、ありがたいものなのかもしれません。光合成の原料となる二酸化炭素が増え、大気が温暖化したことで生息域を増やすことができるからです。

周りの環境を自分勝手に変えるという発想が、そもそも傲慢なのです。人間が持続的に地球上で生き続けたいのならば、いわゆる自然と「共存」する考え方の方が正しいのでは? と思います。我々の祖先は、そのように考え里山のある風景を作ってきました。生物の多様性に富んだ世界を人間が作ったのです。アジアの国々にも似たような考え方のところが多いです。

「欧米的価値観」から「アジア的価値観」に変えてゆくことが21世紀以降をよりよい環境で生きることにつながるのでは無いかと考えます。欧米はルールを作るのが好きです。そしてそれを皆に従わせようと押しつけます。私からすれば大きなお世話です。自分の価値観を人に押しつけるのは好みません。お金儲けの経済最優先から、何が人間にとって幸せなのか幸福最優先の世界を考えてゆくのであれば、皆は賛成するでしょう。英語で言うところの「Well being」です。私たちが学ぶべきものは、私たちの先祖や途上国の考え方にあるような気がします。お金持ちの考え方には無いと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?