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労働について考えた。

40代になってから、人生について色々と考えることが増えた。
ここでいう「人生」という言葉の中には、様々な要素が含まれている。
私の考える「人生」の要素の一つである、キャリアの事についてポッドキャストで話してみた。

いよいよ来るぞ。少子高齢化。いや、もう来てる。

令和13年に人口1億2,000万人を下回った後も減少を続け、令和38年には1億人を割って9,965万人となり、令和52年には8,700万人になると推計されている。

(令和5年版高齢社会白書(全体版)より)

「日本人の人口は1億2千万人。」
幼少期よりその認識で生きてきたものだから、日本の人口が1億人を割るという未来は私にとって、どうもイメージができない。

人口が減っていく。
それはどんな影響を、世の中に及ぼすのだろう。

ちょっと考えただけで、逃げたくなる。
どうしてだろう。
あまり良いイメージがわかない。

ふと、人間増えすぎだし、地球の為には減少でも良いのかしら。なんて思ったりもする。悪い事ばかりでも無いような気もするが、やっぱり良いイメージで終わらない。

そう思うと、人口減少より心配なのは、労働できる人口の減少なのかもしれない。
国は定年制度の廃止などを企業に義務付けたり、働ける可能性のある人を増やそうとしている。

労働するモチベーション

よし。国のためにみんな、働こうじゃないか!
と言われて、奮い立つような時代じゃない。

私は、表面的には先進国である国に住んでおり、自国が他国に何かしらの形で支配され、生理的な欲求を満たせず、人権を侵害されるような国に住んでいない。(もちろん例外はある。個人的にはそれを無視しないが、ここでは語らない。)
だからなのか、かつての時代にそうだったように、国の為にどうだとか、正直あまりピンと来ていない。

国の為に。
を、モチベーションに
死ぬまで労働は、出来ない。

それならば、という訳ではないが
どうせ生まれてきたのだから、楽しく生きようじゃないか!
この言葉で、皆さんが奮い立つのかはさておき、
私は「まぁそうだな。楽しい方がいいか」とは思うのだ。

「労働=楽しい」
が、実現できたら、私は働けなくなるまで、労働しても嫌ではないかなと思う。

今の所、私の労働に対する印象は以下のような感じです。
労働=お金を稼ぐ
労働=しんどい
労働=勘弁して

この印象を変えることが出来ないまま、
はいはい皆さん。日本は少子高齢化。あなたが90歳手前になる頃は
3人に1人は高齢者の時代になりますから、動けるまで労働しようね!
と、言われましても、よろこんで!!とはならないのではないでしょうか。

ましてや、
欲しいものがあるでしょう?
知らないものを知りたいでしょう?
あの人たちみたいに煌びやかな人生を送りたいでしょう?
と、私の劣等感を焚きつけられた状態で、死ぬまで働くなんて、私はちょっと辛くて、出来れば勘弁してください。と思ったりしている。

だから、まずは自分で実験してみたい。
労働=楽しいになったら、どんな印象を受けるのか。

きっと、良い感じなのでは無いだろうかと推察しているのだが、
何事も体験してみないと分からない。

しかし、今の私にとっては「労働=楽しい」は、
想像の世界で行われているもので、一体どうしたら良いものかと試行錯誤している。

これは私の癖でもあるが、私の場合はこうだけど、他の人の場合だとどうだろう。
様々なケースを考えて更に分からなくなる。

なので、先に書いたように、一旦自分で実験してみたいと思う。
その実験は実は今年から始まっている。
いつか、体系的に整理して話せたらいいな。その為には、まずは「労働=楽しい」の実感を得られるように、工夫していきたいと思っている。

ポッドキャスト内でも話したが、自分が世の中に提供できるものを持っていない。
その事だけが、唯一、世の中に提供できるものだった。

そう思うと、提供できものが無ければ無いほど良い。

有るものだけに、価値がある訳じゃない。
資本主義に踊らされてきた、現代の中年たちよ。
うん。私たちの本能に刻まれている倫理観と社会性を信じて、その上で好きなように生きてみようぜ。

な〜んて。かっこつけちゃったりしたい中年のポッドキャストはこちらです。
良かったら聞いてくださいね。






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