夜中におじさんと逆上がりをする日課
僕は大学入学を機に、東北の田舎から千葉県の田舎へ住まいを移した。
当時、大学1年生だった僕は、大学が決まってから大学に通うまでに、他人に話せないような妄想をパンパンに膨張させていたため、コロナ禍で大学に通えないという現状に嫌気がさしていた。
コロナ禍のオンライン授業は課題ばかり多く、僕みたいな神経質で心配性という生まれながらの持病を持つ人間はどうしても無駄に時間を浪費してしまう。何度提出した課題を確認しても、細かなミスが気になり、提出できているかを不安に思ってしまう。こんな生活の中で僕には夜中に課題を片付けた後、コンビニで買った夜食を公園で食べるというルーティンが出来上がっていった。
その日も公園のベンチに座り夜風にあたりながら、コンビニで買った500円のお寿司をミルクティーで流し込む背徳感を味わっていた。僕が一点を見つめてお寿司を食べているところに、
「その食べ合わせ合うの?」
とおじさんが僕の顔を覗き込みながらお節介なことを言ってきた。これが僕とおじさんの出会いである。
僕はおじさんからの一言に対して
「あぁ、えぇと、寿司にはお茶が合いますからねぇ」
と、質問の回答になっているのか否か分からないような返事をしてしまった。
これは、オンライン授業によるコミュニケーション不足の賜物である。僕は人見知りであるが、話し下手ではないと自分に言い聞かせて生きてきたのに大変遺憾である。
その後私は、残りの2巻のお寿司を口に放り込み、おじさんに会釈をしてそそくさと公園を出て帰宅した。
ところが、その日以降、夜食のメニューに、おじさんとの会話という味の濃い副菜が追加されてしまった。そこから私のルーティンは、課題を片付け、パジャマ姿のままコンビニで買った夜食を公園で食べ、おじさんの身の上話を聞くことになった。
おじさんはかなり良い大学に出て営業職についていること、大学で出会った奥さんが綺麗なこと、営業職は給料は良いが残業で帰りが遅くなることが多いこと、ここ4、5年給料が横ばいで懐が寂しいこと、子供が女の子しかおらず家の中で孤立感を感じていること、奥さんが夜ご飯を段々と作ってくれなくなったことなど様々なリアルな男の人生を自慢混じりに説明してくれた。おじさんとの会話の途中で僕は、
それにしても帰りが遅すぎないか?という疑問を持ってしまったので
「でも、流石に夜遅すぎないっすか?」
と質問するとおじさんはニヤリとほくそ笑みながら、僕と視線を逸らして
「最近奥さんがさ、大人の土ドラにはまってさ、ドラマの途中に帰ると気まずいんだよね」
と呟いた。この時僕はそんな悲しい生活をするなら、絶対に亭主関白になってやろうと決意した。冗談まじりに話したおじさんの表情が、少し寂しそうで不憫に思った僕は話題を変えるために、
「おじさんって趣味ってありますか?」
と、身の上を詳しくしてくれた相手に対する話題の転換としてはあまりに下手くそな質問をした。これも、オンライン授業による…
するとおじさんは、少し考えた後に
「今時の子は多分聴いてないと思うけど、夜な夜なラジオを聴きながら寝てるから、ラジオが趣味といえば趣味かなぁ」
と、説明をしてくれた。その時私は感動していた、何を隠そう私は深夜ラジオのムジナである。深夜ラジオが趣味なおじさんと会話が盛り上がることを確信したのである。話題を変えなければと弱腰で振った話が芯を捉えた瞬間である。私はその感動をそのままに興奮した眼差しで
「僕も聴きます!深夜ラジオ聴きますよ!芸人のラジオは一通り聞いてます。今好きなのはハライチのラジオで、オードリーのラジオは昔から好きで、あぁ、最近はポッドキャストで蛙亭のラジオ聴きますねぇ…あぁ、あとパンサー向井のラジオ聞くためにradikoに課金してますよ!」
と、自分の好きなトークテーマになると濁流のように喋り続けるオタク気質を誇示した。すると、おじさんは
「むかしゃべねぇ、昨日聞いたけど面白かったねぇ」
と、何気なく呟いた。僕はこのオヤジはなに何気なく呟いてんだ?と思った。理由は、むかしゃべリスナーと出会うことなんで、東京でタヌキを見るくらいの奇跡なのにと思ったからである。そんなことを思いながら僕は今週のむかしゃべの内容を思い出していた。
その週の内容は、中堅芸人となりつつあるパンサー向井が、芸風が故にボケきれず、司会をしてもうまく回せず、自信を喪失して昼間の公園で休憩していると、親子が公園で逆上がりの練習をしている場面に遭遇した。その日を境に親子を観察していると、ついに子供が逆上がり成功させ母親が大袈裟に誉めている姿を目撃した。その日以降、なにも出来なかったなと自信を喪失しそうな日は、公園の鉄棒で逆上がりをして、自信を保つことを習慣としているという内容だった。
おじさんと僕は、ラジオの内容を共有しながら楽しく盛り上がっていた。すると、おじさんが悟ったような目をして
「そこに、鉄棒あるね」
と呟いた。僕は大学の授業が思い描くものとかけ離れ、刺激のない毎日になんとも言えない不安と不満で大学で学ぶ意味を見失っていた。僕にはおじさんの発言の真意はわからなかったが、おじさんはおじさんで思うところがあったのかなと思いを巡らせていた。そんなことを思いながら私たちは、ダラダラと荷物をまとめ鉄棒に向かい、鉄棒を握りしめ息を合わせて地面を蹴り上げた。力強く蹴り上げた2人の足は、円の頂点に届くことなく、踵からドサッと音を立てて力なく地面に叩きつけられた。おじさんはヘラヘラしながら
「太田くんは出来なきゃダメだよ」
と、呟いた。その後は、会話もそこそこに切り上げ、帰宅した。
その日以降も私は課題に追われながら、起伏のない日々を送っていた。変わったことは、夏休みが近づき、課題がより忙しくなることで課題が終わる頃には、クタクタでそのまま寝てしまい、夜食を食べに公園に通っていないことくらいであった。
そんな日々が1週間ほど続いたある日、課題が一段落して、時計を見ると午前12時20分夜食のゴールデンタイムであった。私はコンビニで、お寿司とミルクティーを買い、公園のベンチに向かった。すると、ベンチに座っていた小太りな先客が僕を見るなりにっこりとして
「太田くんこっちきて、みて!」
と、話しかけてきた。そう、あのおじさんであった。おじさんが呼ぶ方には鉄棒があり、おじさんはおもむろに鉄棒を握りしめると、力強く地面を蹴り上げ、くるっと綺麗な逆上がりを僕に披露した。そして、
「意外とやれるもんだね」
と僕に呟いて笑っていた。その後、僕も逆上がりに挑戦する流れになったが、前回と同様に踵を強く地面にぶつけるだけだった。
少しおじさんと会話をした後、帰宅した僕は、
おじさん逆上がりの練習したってことかなぁ
なにしてんだろうなぁあのオヤジは…
とぼんやりと考えを巡らせていたが、勝手におじさんが僕を元気付けてくれたと都合よく解釈して少しほくほくした気持ちになりながらその日は気持ちよく眠ることができた。
そのおかげもあってか、僕は大学2年生になった現在でも真面目につまらない授業を受け、だらだらとした日々を真剣に過ごしている。
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