休職生活を支える読書
もともと本が好きだが休職してからも読書が生活を支えている。
とくに夜は仕事やこれからの人生のことなど深刻に考えがちなので、自分の考えから逃れるために本を読んでいるところがある。
最近は闘病記、介護体験記など大変な経験をされた人の本を読むことが多い。そのなかには私よりはるかに若い年齢で亡くなってしまった人もいる。
死を前にして、その恐怖と闘いながら懸命に生きようとしている人が世の中にはたくさんいる。
私は「人間いつ何が起こって死んでもおかしくない」ということをよく口にする方だが、なんだかんだ平均寿命くらいまで生きるのかなと一方では思っている。
だからいつも漠然とした10年後、数十年後の未来を考えて怖くなる。
今は仕事を休んでいるし、一緒にいられるパートナーのような人もいないし、この先生きていけるのかな?
いつも、先のこと、先のことが怖いのだ。
今日という日が生きているかどうかわからない未来を前に埋もれている感じ。
色々な本を読むたびに、そこには今が大事だと書いてある。
そういえば今に立ち返る習慣をつけようと始めた朝のプチ座禅、実家に戻ってからさぼっている。
私はたまにネットで過去に起きた凶悪犯罪を調べることがある。正直なところ、怖いもの見たさというか興味本位である部分が多い。
文字にするのも恐ろしい犯罪に、なぜ人間として生まれてこんなことができるのだろうと考える。
最近、神戸で起きた酒鬼薔薇聖斗の事件をふと思い出した。あの当時、小学生だった私は近隣に住んでいたわけではないが、挑戦状が出された報道を見て「自分も殺されてしまうのではないか?」ととても怖かったのを覚えている。
遺族の方が本を出されていることは知っていたが、読むことで暗く悲しい気持ちになると想像し、手をのばすことはなかった。
だが今になって読んでみよう、という気持ちが生まれ土師守さんと山下京子さんの本を読んだ。
いずれも多くのことを考えさせられるものだったのだが、私は犠牲となった山下彩花さんのお母さんである京子さんの事件を経ての考えの変移の様子が心に残った。
娘さんの突然の死から京子さんが苦しみの中で自らの日常を取り戻そうと立ち上がっていくまでのことが書かれているのだが、幸福についてこんな記載があった。
幸福とは障害があっても自分の人生を投げ出さないことだと。そうやって生きていくことができることが幸福なのだと。
私はこの間、個人的に色々な辛いことがあり、どうして私は幸せになれないんだろうと打ちのめされる思いがした。(一時期よりこういった悲観は落ち着いたつもりだが、気を抜くとまた考えに飲まれそうになることがある)
仕事で評価される。すぐ話せる友人がいる。仲の良い家族が毎日帰りを待っていてくれる。健康である。などなど。
人生で人並みになること。派手ではなくてもそこそこ成功すること。それらが幸せだと思い、手に入らないことに焦る一方でいた。
そんな中で前述の京子さんの言葉に触れ、自分の頑なな幸福観が少し揺らいだ気がする。そして励まされる思いもした。
不慮の出来事で大切な人とこの世で二度と会えなくなっても、なお人生のなかで幸福を感じることはできる。どんなに苦しい出来事に遭っても自分次第で生き方は変えられる。
これは私の感想だが、やはり自分を必要以上に辛く生きにくくしてしまうのは出来事でも誰かのせいでもなく、最後には自分自身の心の持ちようなのかと考えさせられた。
彩花へ、ふたたび―あなたがいてくれるから (河出文庫)
この本は京子さんが出された2冊目の本のようなので、近く1冊目も読んでみたい。
毎日悩みは尽きないが、ときに本の言葉などに力をもらいながら進んでいけたらと思う。
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