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森博嗣『笑わない数学者』

この前までは、1日に何冊でも読める気がしていたのに、そんなモードは呆気なく終焉を迎え、そんなつもりじゃなかった返却期限に脅えながら、図書館の目の前のカフェで最後の1ページを読み終えた、今日。

裏表紙に書かれていた北村薫氏の解説に、「以下数行は帯の下に逆向きで書く」という粋なことがしてあったのに、図書館の本ゆえ帯はなく、かつ逆向きに書かれた文字の一部に図書館のバーコードが貼られていて皮肉だった。
北村薫氏といえば、いつぞやに久しぶりの読書で読んだ短編集の作家のひとりだったということを思い出しながら、冷えたアイスティーを口に運ぶ。カフェでは読書に適していそうな音楽が流れているのに私の耳にはイヤホンからダイレクトに椎名林檎の歌声が聴こえる。最近のブームです。

『笑わない数学者』。英題は『Mathematical Goodbye』。
彼は英題からつけるらしい。実はこの作品は、S&Mシリーズの正しい順番を調べているときに見つけた森氏のHP(浮遊工作室)を先に読んでしまっていたので若干ネタバレを喰らっていた。ちなみにミステリーはネタバレを読んだ後でも楽しめるくちだし、むしろネタバレを読んでから読むこともある人間である。
トリックに本当に気付くのが苦手な人間だが、この場合はいちばん最初の謎に犀川先生よりも先に気付き、なんだかもやもやしていたが、犀川先生が本気で解決しようとしなかったのはそれが本質的なものではないからなのかもな、なんて思っていた。つまり、私はいつでも彼らの掌の上。そして、数学者は笑わない。

この作品は、これまでの作品で感じていた親近感を更に近くに感じる話だった。中学生の頃読んでいたら感じなかっただろうから、やっぱり本は読むべきときに出会うのだろうと思う。先日、職場の後輩がコンセプチュアルアートについて話をしていた。彼は赤瀬川原平の『宇宙の缶詰(蟹缶)』が好きだと語っていた。建物の内と外が逆になった三ツ星館はまるで蟹缶だった。何が内で、なにが外かは、自分で定義する。「正面にオリオン像はない」という命題は真なのだ。

文系の学部に通っていたが、学部棟の1階には製図室があり建築学科の人が夜中まで模型を作っていた。夜中まで明かりの消えない製図室も、そこを通りかかる私も、大学って感じ。犀川先生と萌絵ちゃんの話で、建築は数学的か、あるいはアートか(これが文系的か?という文脈だった気がしたけど再読してないので先入観かもしれない)、のような話があったので思い出していた。私の大学でも建築学科は理系だったのに、大学院ではかなり近しい領域に内包されていて不思議だったことを思い出す。

萌絵ちゃんになれてきたのか、あるいは萌絵ちゃんの違う面が見えてきたからか、前回ほどの苦手意識は感じなくなってきた。一方で、犀川先生への崇拝のような気持ちは薄れていく。人間的な言葉で語ってくれるようになってきたからだろうか。犀川先生が博士に失望したように。あるいはせざるを得なかったように。

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