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気づいてびっくり、だいすきな夫はモラルハラスメントだった *休職1カ月記*
適応障害という診断のもと、会社を休職し、ひと月たちました。
このひと月は、わたしにとって
仕事について考える
家庭について考える
とても大事な時間になりました。
適応障害になってよかった、休めてよかった、というのが、今の素直なわたしの気もちです。
文章が上手ではないけれど、これまでnoteにちょこちょこと書いてきたことで、自分の考えの変革を見て取ることができます。
たったひと月前の出来事なのに、自分はこうやって考えていたのだなと知ることができるのは、あのときの自分の気もち(だいぶはずかしいけれど)をいま客観視しているということなのかな。
現在、まだもやもやの整理期間中ですが、夫との関係について、ひとつ、しっかりとした自分なりの結論がでました。
なんと、だいすきな夫は、モラルハラスメントだったのです。
仲良しだと思っていた夫が、モラルハラスメントだと気づくまで
①休職直前、夫がすきなはずなのに、ひどいもやもやを抱えていた。
15年のつきあいをお祝いしてくれるマメな夫のことが、いまでもけっこうすきです。
でもすでに、このときとても辛い思いを抱えて、眠れない夜を過ごしていたようですね、わたし。
②休職の理由は仕事だけではなく、頑張りすぎてしまったこと。
そもそもわたしは頑張りすぎる傾向があります。
頑張りすぎてキャパを越えたため、疲れきって仕事を休ませてもらうことになりました。
このときは、仕事だけではなく、生活、子育て、その他すべてのことに疲れ切ってへとへとの状態でした。
③夫の思うようにできるように頑張らないと、と自分を追いつめる思考。
このときのわたしは、こう書いています。
思い返せば、彼の正論は、わたしにはできないことばかりなのですよね。
同じやり方で合わせてほしいといわれても、努力してもできないので、正直こういうやりとりはほんとうに不毛だなと感じるし、疲弊してストレスになります。
(ただ、困ったことに、今でも本当に彼のことがすきだし、尊敬していることに変わりはないのです。ぜったい真似できないからすてきだと、今でも思ってはいるんですよね。苦しいときもたくさんあるのだけれど。)
モラルハラスメントをうけると、自分が悪い、自分のせいだと思い込んで追い詰められて、すべては自分が至らないせいだ、という思考になってしまうそうです。
ほんとうに、まったくもってわたしは上記の通りの状態だったように思うのです。
ちなみにこれらについて、わたしはすべて無自覚でしたし、幸せな結婚生活を送れているなぁと感じて生きてきました。
お気楽ですね。
こんなことならお気楽なままでいられたらよかったのですが、仕事や子どもたちのことがひとりで処理しきれなくなったので、お気楽でいられなくなったのです。
価値観は人それぞれです。
違う物差しをもった者同士が、譲り合い、助け合いながら生きていくのが結婚生活だと思うのです。
でもわたしは知らず知らずのうちに、少しずつ、少しずつ、夫の物差しに合わせなくては。あわせるためにも頑張らなくては。
と思い込むようになっていたのだと思います。
いい意味では、すきだからがんばってこられました。
でも、夫の物差しとわたしの物差しはあまりに違いすぎて、これ以上合わせることはできない、と思いました。
もう、すきとかきらいとか関係ない。
とにかく夫の求める子育ての基準にわたしは達することが出来ない。
それがとにかく辛い、と思っていました。
ひとりですべてを抱え込んでいたので、生活が限界を迎えてしまい、幸せなはず、という思い込みがくだけちりました。
わたしは幸運にも、このタイミングで休職させていただくことができたので、よかったとしか言えません。
休めていなかったらどうなっていたか、想像するのも怖いです。
しかし、これに気がついて一番ショックだったのは、もちろんわたし本人です。
モラハラって今わりとよく聞く単語だし、たまにマンガや本に出てくるので、読んだこともありました。
そういったものに触れたときには、世の中にはこんなにつらい思いをするひとがいるんだなぁ、と、他人事なのに胸を痛めたこともあります。
なんなら、わりと仲の良い友達の一人に、夫のモラハラで子どもふたりを連れて家を逃げ出した子もいます。
でも、まさか自分がモラハラを受けていたなんて、正直全く気がつきませんでした。
もしや?まさか?と思ってからも、受け入れるまでに時間がかかりました。
わが家の夫は、確かにきつい物言いがあったり、こどものしつけに厳しいことがありました。
でも、わたしのことも、子どもたちのことも愛してくれているという実感がわたしにはきちんと、付き合っているころからずっとありました。
ましてや、暴力という言葉はあまりにも夫に不似合いです。
今までただの一度も、怒鳴られたこともなければ、たたかれたことも殴られたこともありません。
でも苦しかったんです。
本当に、苦しくて苦しくてつらかったです。
④モラハラに気づいたきっかけ【1】
では、どうしてモラハラという言葉に無縁のはずのわたしが、それに気が付いたのか。
休職に入り、わたしは心を許せる友達数人に会って、今の状況などを話したり、気晴らしにランチしに行ったりしていました。
ブライダル業界のときの同期4人でランチをしていたときに
『うちの夫もだけど、美明のとこもYのとこも、ちょっとモラ入ってるよね。』
と明るくさらっと言われました。
同期たちには、それぞれ子どもが2人いました。
そして夫が高収入。
わたし以外の3人は、専業主婦やパートをしていました。
生活状況や、「夫と妻」としてみたときの家族構成や夫婦関係が、とてもよく似ています。
ん? モラ?
全く身に覚えのない言葉に、一瞬ドキリとし、体と思考が凍り付きました。
そのあと何を話したかはよく覚えていないのですが、家に帰ってからもこの言葉が頭にこびりつき、離れませんでした。
どうにかしたいと思って、気づいたときには区の女性センターの相談の予約を入れていました。
わたしはいつだって、気になることに対しては即行動したいタイプなのです。
➄モラハラに気づいたきっかけ【2】
同期とのランチの数日後、夫の弟と二人でランチをする機会がありました。
夫の弟と二人で会うのは初めてでした。
きっかけは、彼がちょうど私たち住んでいる隣の区に引っ越したことと、8年付き合った彼女と別れて婚活始めたから相談乗ってよ、という気軽なひとことでした。
近くで落ち合って、色々話しました。
そういえば昔から、夫の弟とわたしはとても性格似ているように感じることが多かったのですが、やはりその通りで、兄弟でも価値観って全然違うのだな、と感じます。
実の弟よりも夫の弟とわたしのほうがよっぽど考え方が似ている、と感じました。不思議です。
彼の婚活話を聞いて、そのあとも、とりとめなく色々な話をしていたのですが。
ふと
『夫はモラハラだよね~、美明ちゃん、だいじょうぶなの?』
と言われ、唖然としました。
夫の弟は、夫がわたしにモラハラをしている、とずっと思っていたそうなのです。
今まで夫と一緒のときにしか彼と話す機会がなかったので、彼が感じていたことをこのときに初めて聞いて、心から驚きました。
『夫が、こどもたちにかける言葉もやりすぎだよね。あれ聞くと、俺胸がきゅっと苦しくなるんだよ。だから、俺がいるときは場を和ませる役なんだよ。』
と。
娘たちは、夫の弟にはとても懐いており、ときたま会うときはとても楽しそうに過ごしています。
同期との話のあとの、夫の弟からのこの話。
やはり夫との関係について自分の考えをまとめないことには、きっとわたしは先へは進めない、と感じました。
いったいいつから、どうしてこんなことになってしまったのだろう。
⑥区の相談室を利用してみた。
『女性センターには、女性の持つさまざまな悩みを解決するお手伝いをするための相談室があります。「こんなこと、人に話せない」、「いつももやもやとした不安がある」、「どうしていいかわからない」、など悩んでいたら一人で悩まず、お気軽にご相談ください。』
夫とのことを相談するにはうってつけだと思えました。
ここで出会った相談員さんには、まず
『わたしは医者ではないので、カウンセリング治療については、専門機関を受診してくださいね』
と言われました。
適応障害については受診済みだったので、その旨を伝え、夫との関係について悩んでいる、という話をしました。
生い立ち含め、適応障害になるまでのいきさつを話し、その上で、夫とうまくいかなかったときのエピソードなどを話しました。
『それは夫さんの価値観の押し付けですね、立派なモラハラですよ』
と言われ、再度、愕然とするわたし。
こうもはっきり言われてしまっては、否定のしようもない。
そうなのか、価値観の押し付けだったのか。
だからこんなにももやもやして辛かったんだなと、このときはっきり気づくことができました。
⑦もやもやに名前が付いたら楽になった。
というわけで、まだ信じられない気もするけれど、わが家の夫はどこからどうみても立派なモラハラ夫でした。
ただ真逆なだけだったらよかったけれど、モラハラだったのです。
今まで、夫と意見が合わないときやけんかしたとき、すべては自分が至らないせいだと思っていたけれど、そういう訳ではなかったのだなと思いました。
そもそも、意見の相違なんかは、そんなに高頻度にあったわけではありません。
あって年に数回くらいのもので、それ以外のときはいたって平和で幸せでしたので、余計に気が付くことができなかったのだろうな、と自分では思っています。
でも、それでも辛かった。
ちょっとずつちょっとずつ、自分の領域を狭められていたのだと思います。
そんなとき、辛い気もちに名前がついた。
これはほんとうに大きな一歩だと思うのです。
もし次に意見の食い違いがあったとき、価値観を押し付けられていないか、考えることができるのではないかと思うのです。
まだまだ人生あと半分あるぞ
かわいいざかりのふたりの娘たち。
モラルハラスメントではあるけれど、だいすきなはずの夫。
現在、適応障害で休職中のわたし。
さて。
『わたしはこれからどうやって生きていこうか』
『わたしたち家族の幸せの形はどういうかたちなのだろう』
名前のついたこの敵に、これからどうやって立ち向かっていくのか。
それを考えるためのエンジンが、今やっとかかりました。
わたしは、もう絶対に頑張りすぎない。
これからは、ここちよく笑顔で生きていくために、無理をしすぎない方法を考えてみよう。
幸いわたしには、わたしをすきで、大事にしてくれるひとがびっくりするほどたくさんいる。
だからこれからも、わたしはわたしのことを大切にできるはず。
#エンジンがかかった瞬間 #2021年の学び #休職 #適応障害
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