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受動的快感と能動的快感

noteほぼ毎日投稿5日目。

前回の投稿とほぼ同じような内容にはなるが、自分的に書きたいので書こうと思う。

自分にとっての受動的快感と能動的快感について考えてみようと思う。

まず自分にとっての受動的快感を考えてみようと思う。
受動的快感とは、基本的には自分に負荷をかけずに、受け身で感じられる快感。
自分にとってよくあるのは、酒、音楽、テレビなど。
今だとyoutubeがかなりそういう感じ。    観れば観るほど、他の興味がある動画が出てくるので、無抵抗で楽しいと思って観ることができる。                    ゲームもその一つ。また漫画もその一つ。   漫画は最近はスマホでよく読んでいる。スマホで漫画を読んでいるとCMが入り、その宣伝内容がゲームアプリである為、ついダウンロードしてしまうことがある。が、自分としてはゲームはハマるとずっとやってしまうので、意図的にやらないようにしている。なので勢いでダウンロードしてしまっても、翌日には消すようにしている。
また、食べ物ではカップラーメンやインスタント食品、リーズナブルな外食チェーンなど、簡単に手に入るもの。疲れているとつい頼りがち。これがたまらなく美味しいと感じることはよくある。一回やるとしばらく続いてしまったりする。

逆に自分にとっての能動的快感とはなにか。  
自分にとっての代表は読書である。
学生の頃から読書にはずっと抵抗がある。   読んでいるとすぐ眠くなる。ある程度読みやすい物でも眠くなる。
ただそれでも、読書は最近は意識的にするようにしている。図書館でたくさん借りて読もうとはしている(大体は読めずに返す)。
それらを読んだ時、読み終えた時には達成感がある。読めば知識にもなるので、人との会話にも繋がるという良さがある。が、その快感の前に負荷がかかる。頑張って読んでいる。そんな負荷をかけてまで自分はなぜまたやろうとするのか謎だが、やろうという気持ちになる。これが自分にとって能動的快感だと思う。

あともう一つは美術、絵などのアートである。
時間があれば美術館に行くようにしている。
が、全く良さがわからず、帰ってくることがほとんどである。
特に抽象絵画などは全然わからない。

今日と先週で2週続けて同じ美術館に行った。
先週行った時、一つ一つの作品をじっくり見たが、やはりいつも通り良さはよくわからなかった。
なので、作品に対する向き合う時間が足りないのだと思い、1週間後にもう一度鑑賞に行った。

今回は鑑賞の仕方を変え、小さなメモ帳を買い、メモ帳とボールペンを持ち、作品ひとつずつに気付いたこと、感想を書くようにした。そうすると一つの作品に対して10分や20分と時間がかかった。今まではさっと見て、写真撮影が可能ならスマホでパシャっとして終了というのがほとんどだった。

でも今回はやり方を変えたからか、なんとなくだけど良さとか作品が意図していることがわかった気がした(的外れかもしれないが)。
自分にとってそれくらいの負荷をかけてやっと何かを感じられる。負荷をかけてでも頑張って感じたい。これは自分にとって能動的快感だと思った。

今日なぜこれを書こうと思ったかというと、美術鑑賞などのように、こんなにも自分が抵抗があるのに、なぜそれをまたやろうとするのかが疑問だったからである。
なんでこんなに難しくよくわからなかったりすることをもう一度やろうとするのか。ましてやお金をかけてまでなぜやるのか。
なんでこんなにパッと一瞬でわからないことを求めるのかが、自分としても謎だなと思った。
読書にしてもなんでこんなに自分が知らない言葉や言葉使い、読めない漢字が出てくる物をまた読もうと思うのか。自分としても謎である。

かっこつけなのか、それとも探究心なのか。
どちらもある気がするし、他にもなにかある気もする。

いずれにしろ、自分に負荷をかけずに感じられる快感と、自分に負荷をかけてでも得たい快感というのがあるのだということはわかった。

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