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スピリチュアルな不動産投資 感覚・感性・直感と思考を駆使した物件取得と運営とは

常に見えない事柄、物事を敬う気持ちを持ち、事業を行っている僕にとっては
スピリチュアルは当たり前で身近なもの。

不動産投資、賃貸経営において、そのような根拠、理論のない世界を大切に思い
事業に取り入れることの意味を、僕自身の価値観で記してみようと思います。

過去には、以下のような、神仏を信じ、ご先祖様を敬う事へのの記事も書いておりますのでご確認されてみてください。

土地を見るとき、現地で感じられる何かを受け取る。

土地を見る時、調べるとき、感覚を頼りに何か感じるものがあるか、心を研ぎ澄まします。

いい土地が出たという情報や、建売の物件情報などをいただいた時
ネットで土地情報を見た時、自分で土地情報を仕入れた時など
将来の取得において、建設に関し、お引き合わせがある際には
必ず、その土地に出向き、直感、自分自身への可能性(ご縁)を感じられるよう
感覚を研ぎしまします。

何か感じるものがあれば、その時ではなくとも、それは将来どのような形か、変化や時合わせがあってご縁が結びつく可能性があると常々考えていますので
肌や感覚で感じたものは全て信じることにしています。

過去取得してきた土地に関して、特に2016年以後は、ほぼそのような感覚、感性・直感で取得してきました。

それは、理論でも説明できない、根拠の無い、見えない世界の物事であるからこそ
誰にも理解されない、されにくいご縁の源泉であると常々感じています。


物件近くの神社へ参る際は取得が終わってからにしています

ご縁の強いご神祭様が、土地近くの神社様に必ずおられる。そのことに数年前に気づいた際は、鳥肌が立ちました。

土地取得に向けた情報から、ご縁を引き寄せたり、進めるにあたり、僕自身は物件近くの神社に、取得前、ご挨拶やお参りは極力しないように気をつけています。

その理由は、ご縁を頂きに行く様な自分本位な気構えになってしまうことで
自分でご縁を潰してしまうことを懸念しているからです。

そもそも神様にお願い事をするなど、僕自身は恐れ多くてできません。
常日頃感謝を心と行動で示していてても、それはできません。

なぜならば、お願いばかりする人のお願いを聞いてくれるような神様はいないと
思っているからです。

それよりも、いつも素直に、謙虚に、欲張らず、周りへの感謝を心から大切にしている人に、少しだけ機会をくれる可能性があることでしょうから、
その機会をも欲張らず、心して待つとする姿勢を大切にしたい気持ちだからこそ
参拝をしない様にしています。

そしてご縁が実った際には、必ず清酒と和菓子を持参して、心からのお礼を
申し上げに参るように決めています。

人に対しても、無理なお願いをせず、常に感謝と心遣いに気をつけています。 心の成長は、見られている図られていると感じるから。

自分本位になっている方は、自分を見失っている方がほとんど。感覚感性直感などは、その様な方々には持ち合わせていないとこれまでの出会いでは感じています。

お願いをする、こうして欲しいなどという、要望をよくされる方は、
相手の立場や状況を理解しない方が多いと感じます。
神様に対しても同じことであり、その様な自分本位の方々は、きっと大切な時に手を差し伸べてくれないことでしょう。

常日頃、施してくれたお礼、感謝を表し、お願いというより
相談をよくすることの方が、物事はとてもよく進むことを僕は理解しています。

そして、その様な心遣い、気遣いは、きっと誰かが見ていることでしょうし
見られている、人としての価値対して影響を及ぼすことになります。
僕は自分自身の今があるのは、その様な結果であり
表れであると感じています。

それは心の成長度合いであって、年齢や経験は関係がない世界の物事であることも
感じています。(成長が伴えば、きっと若い人でも輪廻は最後の人だなと分かる様になってきます)

直感・感覚・感性と思考はまるで別物。 信じるべきは、思考以外。

氏神様、物件近くの土地神様には、定期的にお礼に参っています。 その際、必ず日々お守りいただいている感謝の念を表します。

不動産投資、賃貸事業で、土地の選定、物件見学などを行う際、または
入居者を決める際の面談などを行う機会において
直感・感覚・感性を活かすのは、僕の仕事場とても大切な部分です。

違和感を感じるのは、今は違う、それは違うという感覚ですから
その様な環境、人とは距離を置きます。

そして、感覚的に良いなと思うことがあれば、それは思考ではなくて
素直に受け入れる様にしています。


普通の投資家さんらは、空気を見る、流れる気を感じることなどはしないでしょうが、地形が良いとか、安いとか、場所がいいなど、誰でも分かるような要素で決めていることだと感じます。

その際、頭の中で、思考の中で、儲かるか、儲からないか、
この物件でいいのだろうか・・・いいと思うけど、別の物件が良いのか・・
など考えることが実際にあると思います。

その部分も経験が浅い方ほど、必要な思考だと感じますが
僕の場合は、直感・感覚・感性を頼りに、物件選定をします。

良い物件だと思うけど、感覚的に、違和感がある。
そう思える方でしたら、それは正しいと思います。

さらに、直感が、そうさせる場合、(思考より先に、直感が答えを決めてしまう)理論ではなく、根拠もなく、動物的直感という分野が働いているものと思いますし
その感覚的なものは、前世や、ご先祖さまや、神様なのか
目に見えない感覚を通して訴えてくるものであると感じています。

時として、その感覚・感性・直感が示した先にある物事が
決してうまく行かなくとも、その行動結果が、後の大きなご縁や
出来事として回ってくるものを僕は信じています。

なぜならば、これまでの取得のほとんどが、その様な見えないご縁の先にある
取得だったからです。
そして、今進めているいくつかの計画ですら、過去からの行いや
思い、活動が基礎になってきているからこそ、大切に思いを馳せなくては
いけないと感じる全てであるからです。

思考は、感覚・感性・直感を超えられないことを
僕は数年悩んだこともありました。
しかし、感覚・感性・直感を信じて進むことを辞めない、諦めないことが
最も感覚・感性・直感を鍛えてくれることをも経験したのです。

そして、思考はその物事を判断するより、物事が進むような際に
思考を使うものだということを理解しています。


運営、経営全てに、見えない何らかの力が働いているという事実を信じることで、ご縁は広がり、人様や環境が守られてくる。

見えないものの方が力を持っているという事実を受け入れています。 見えるものは見せられているという感覚は今の僕の基礎でもあります。

全てを見て、感じて、受け入れるか、拒否するか、常に人生は選択によって、生き方、成長はパラレルな世界が先に待っています。

物事は、見えないもの、感じるもの、触れて理解できるもの、人と対峙することで感じる空気、理論があり根拠のある何らかの物事、全ては、受け入れ方で如何様にもあゆみは変化してゆきます。

その中から、僕は常に見えない、何らかの物事が世を動かしているし
自分自身や周りに対しても影響を与え続けていると感じています。

だからこそ、あらがわず、物事も自分本位にならず、全て起きていることは
正しいと感じ、受け入れるようにしています。
悪いことが起きようものなら、自分の問題である、そして、その悪いことは、自分への戒めや、経験の一つであるとも思っています。

良いことが起きる、続くということは、行いがよいわけであり、思考、行動、そして感覚・感性・直感に従っているという部分であるとも考えます。

良き環境は、自分や周り、与えられるもの、機会、そして目指すべき世界へのイメージをも現実化してくれます。
だからこそ、大切であり、心に従い、常に受け入れる様に、心の成長を願っています。


今日書いたことは、僕の価値観であり
スピリチュアルを如何に信じ、受け入れているかの現れでもあります。
信じない人もいます。
それも人それぞれの価値観です。

ただ、ご先祖様がいたことは、自分という現実がある、認知できるからであり
敬うことは重要なことだと思います。

見えない物事をどのように受け入れ、どの様に取り入れ認識してゆくのかは
これから年代を重ねるに、人としての成長とともに、僕自身は重要なことだと
感じます。


皆さんは、今日のお話を読んでみて如何だったでしょうか?
関係ない話という方も多いと思います。
このような人もいるんだという感覚で頂ければと思います。

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