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僕が中卒である理由③ 一人暮らし、親戚の勘当から一人で生きてゆく覚悟を持った。

中学校1年で学校に行くことを辞めた僕は
片親の母と別れ、親戚の叔父さん宅に住まわせてもらい、
自分の力で働きながら、時を過ごしていました。

その当時、16歳。
僕はその後、嫁さんとの出会いを通して一人暮らしを決断します。
何もかも、過去の僕からの脱却となる、とても重要な一年のお話し

パソコン屋さんで働いたこと、彼女との出会いが僕の人生に大きな影響をくれた。

左側が16歳ごろの僕。右側は働いていたパソコン屋さんのお向かいのイケメンお兄さん。

15歳まで育った街の弁当屋さんで働いていた時に経験した
同級生に馬鹿にされた、冷やかしを受けた出来事を受けて
僕の心は劣等感に包まれ、いつしか怒りを覚えていました。

この街なんか捨てて出て行ってやる! 

そう思いながらも、叔父さん宅に住まわせてもらっていたこともあり
自分で一人で住むことなど、考えたこともなかった。

そうして、第二話の話のように、天神のラジコンやさんから、
同じビルのパソコン屋さんに転職し、いつしか正社員として働くようになり
自分の力で稼ぎ、稼いだお金は、自分のために使い、
叔父さんに家賃として毎月欠かさず支払いを行なって、生活していました。

そんなある日、僕はいつもの通り、昼食を食べに
働いていたビルの上階にある、レストラン街にいました。

そこで、いつもみかけることのない、配膳を行なっている女の子が2人いたのです。
その子は夏休みの間、そのビルでバイトをしていた高校生の子で
聞くと友達と二人で働いていたようでした。

挨拶を交わす程度から、時が経ち、夏休みが終わると、その子はいなくなります。
今度会った時は、少し話してみたいな、もう出会えないかもしれないけど・・・
その時、そんなことを思っていたと記憶しています。

そしてその年の年末あたりに、その2人の女の子らが、またバイトを始めたようで
久しぶりに顔を合わせる機会がありました。
僕は思い切って、声をかけて、友達と二人、女の子も二人でご飯を食べることになりました。

その後、僕ら二人は、この時から付き合うことになり
僕にとって、今現在に至るまで、一生を決定づける
とても重要な出来事がここで起こったことになります。

その子は、僕の嫁さんであり、今の僕を構成する要素のほとんどが
彼女のおかげで生きているようなもの。

寂しい思いをしてきた僕にとって、初めて、何か生かされているような気がした
そんな気持ちを持った。
それは、生まれてきてからの、劣等感、貧しさ、悔しさ、切なさを常に抱いてきた僕の生き方を変えてくれるものになってゆきます。

16歳で決断。17歳で一人暮らしを始める。僕の僕らしい旅立ちの時。 見ず知らずの大人が助けてくれる。

一人で生きてみせる。彼女がいることで僕は、僕らしく生きられることに気づいた。

叔父さん宅から、職場までスクーターで通っていた僕にとって
通勤の帰りがけに、彼女の自宅の横を通ることは、日課となっていました。
そして、16歳の僕は、どうにか一人暮らしができないものかと考え
叔父さん、叔母さんに、家を出る決意を伝えました。

迷惑しかかけてこなかった、だから、これ以上かけたくない。
そして、僕自身が生きたいように家を出て、一人で世間に出る意思を
強く持った。

叔父さん、おばさんは、残念な顔を見せてくれたけど許可してくれて
人生で初めて自分で住む家を、自分で決めることになった。

職場から、彼女の家からも近いところ。
その場所こそ、博多区博多駅南3丁目の、とあるワンルームの
RCマンション。 結構古い物件だったけど、僕にとっては素晴らしい部屋だった。

(そのマンションの目の前の土地で23年後、僕が新築を建てることになるなんて、
当たり前だけど、思ってもいませんでした)

マンションを借りる際、困った出来事が起きた。
部屋を紹介してくれた小さな不動産会社の社長からは、
叔父さん以外で、もう一人保証人をつけてくれないかと言われ、該当する人がいないことから部屋を借りることがこんなに難しいものかと感じた。

正直お願いする人がいないんです。どうにかなりませんか。。
そのように伝えたところ、不動産会社の社長さんは、

それじゃあ、僕が保証人になってあげるよと、伝えてくれたのです。
僕は助けてくれる大人がいることに、とても感激しました。

その不動産会社の社長さんとは、その後23年後に、僕が不動産を初めて2年目ごろ
奇跡的な出会いをし、重要な人を紹介してくれる、信じられないキーマンとなって
現れることになります。(将来書きます)

そうして、僕は17歳になったばかりの時に、一人暮らしを始めました。
初めての自分の部屋、自分が自分らしく生きてゆくことの
基礎が生まれ、その部屋を借りることで、新しい人生がスタートしたのです。

叔父さん叔母さんからの勘当、そして孤立、帰る場所を全て失った。

両親と別れ、叔父さん叔母さんとも別れ、そして陰ながら支えられた物語が判明します。

一人暮らしを初めてから半年くらい経った時だったでしょうか
自宅の固定電話に電話がなりました。

出てみると、叔父さんからでした。
叔父さんは、お前の母親のせいで、ものすごく過去から迷惑してきた
いつも金を貸してくれと頼まれ、貸しても返しもしない。
それなのに、突然現れて、お前のことなどどうでもよく、
また金を貸せと言ってきた。

いいか、お前ら家族は厄介者だ。
もう二度とうちに近づくな、帰ってくるな、わかったな!
そう言われ、電話を切られた。

なんて母親なんだ・・信じられない。
叔父さん、叔母さん、もう帰ってくるなって言われた。
僕は、もう、どこにも帰るところがないんだ。
なくなったんだ。  もう本当に一人なんだ。

その電話を切ってから、酷く泣いた、これまでで一番悲しい出来事だった。
なぜか、やりきれない気持ちになった。
本当に死のうかと思った。 仕事も手につかなくなった。

そんな時、彼女がいた。
彼女だけが、僕の本当の支えになっていた。
もう、やめよう、自分の人生のために生きようと強く思った瞬間だった。

そうして僕が、中卒である理由 の物語は一旦終わりることになり
一人で生きてゆくことまでの、この物語は、今の僕の人格形成の基礎になっています。

30年後、叔父さんから勘当された真の理由を知り、僕は何を思ったのか。

いつも神様は見てくれていた。僕には僕らしい物語があり、それは誰かにも守れられていた過去があった。

これまで、僕らは誰の力も借りず、自分の力と、妻との協力、理解あって、歩めてきた人生があります。
だけども、この物語は、17歳の頃から、時が経過した30年後に驚くべき物語があったのです。

時が経ち、勘当された叔父さん叔母さんとは、いつしか親戚の方との繋がりで
叔父さん宅に伺う機会がありました。
機会は少ないですが、ある時、叔父さんに呼び出されることがあり
出向いた際に、衝撃的な話を聞くのです。


お前が17歳の時、母親が迷惑をかけ続けたことによって、お前たち厄介者家族は二度と家に来るなと伝えたことは、実は今だから明かすが、重要なことがあの当時起こっていたことによる背景があるというのです。

お前の母親は、借金とりに追われ、逃げていた。
だから蒸発したんだが、借金取りは、子であるお前の居場所を探していたんだ。

お前を付けていたら、お前にお金を母親は渡すだろうと思っていたということ、
代わりにお前に母親の借金を背負わさせることになると思った。

叔父さん叔母さんは、借金取りに僕の居場所を特定させたくないと考え
叔父さん宅をウロウロしていたら、僕がいることがバレてしまったら可哀想だから
二度と帰ってこないように伝えたという話を聞いたのです。

あの時、まさかそのような出来事が起こっていたとは
僕は悲しい気持ちを経験したのだけども、その経験は、母親のせいだったことを
改めて憎んだ。

叔父さん、叔母さんは、僕を勘当したわけじゃなかった。
そんな物語、絶対許せない、47歳の僕は、心から、叔父さんに詫びた。

僕を可愛がってくれていた、おばあさんは、すでに他界し
叔母さんも遡ること数年前に他界していたが、お位牌の前で
僕は何度も何度も頭を下げ、お詫びした。 知らなかったことを恥じた。

僕は守られていた。
そのことに、心から感謝した。

そして、叔父さんに残っていた、母の借金を、僕が肩代わりして
返済したのです。
せめてもの、償い。 償いができて良かったと思った。



僕は思った。
人は一人では生きてゆけない。
人は、知らない誰か、知っている誰かに
どんな形であろうとも支えられて生きています。

それは知られざる物語が、それぞれにあり、
それぞれが誰を思い、何を考え、施すこと、
手を差し伸べること、優しさを与えること、
寄り添うことで、生きてゆけているものだと感じます。

僕の生まれてからの人生は、幼い頃から波瀾万丈だと人はいいます。
しかしそれは違います。
僕は、僕の物語を生きているのであって、
僕の苦悩、苦労生き方は僕だけのもの。

波瀾万丈かどうかなど、どうでもいいのです。
ただ確かなのは、僕はまだ生きているということ。


僕らしい生き方、嫁さんと、家族との終わりに向けて
やらねばならない仕事、人生の歩みを止めるわけにはいかないのです。

もうお金に困ることはありません。
帰る場所こそありませんが、他の大勢の人たちが持っていないものを
沢山持っています。
そして、身近な人の死、苦悩、内なる戦い、乗り越えるべき出来事も
無数に経験してきました。
そのような歩みも、また、糧となり、人生の歩みを続けています。

僕らの物語は、もうすぐ終盤。
不動産を通して豊かになった今、僕ららしい生き方を
これからも行なってゆきます。

この物語が僕の基礎。
中卒サラリーマン大家の原点であります。

おわり。



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