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20111011 薬を飲まない方法を考えてみる (過去の振り返り②)退職から寛解まで

今日は体調が良い。
朝はすんなり起床して、スムーズに家事を
こなすことができた。
嬉しい。

薬のせいか、日中ボーっとするのが辛いので
朝晩のリーマスを一昨日から夜だけに
調整してみた。

やはりその方が日中、楽な気がする。
次回の通院までは処方された通りに飲もう!
と、思っていたのだけど、あっさり変更。
また悪くなったら戻すということで
しばらく実験する。


今日ふと思ったこと。


私は病気ということを重く受け止め過ぎていて
自分で可能性や希望を潰しているかも?
まだまだ行けるはず??
(何処に?)
でもその反面、いやいやもうツカレタヨ...
野望などは抱かずに慎ましく静かに暮らせば
いいのでは?


と、いつも相反する気持ちがぶつかっている。
だから疲れてしまうのだろうなと感じた。
どちらが本音かと言えば、どちらもそうで。
上手いこと折り合いが付けれたらいいなと
思う。


今日は昨日の記事の続きを書いた。

↑昨日の記事はこちら


遡ること今から10年ちょっと前...
鬱状態で仕事を辞めた時の話の続きのこと。





仕事を辞めた直後の記憶はあまり無い。
自分で決めたはずだというのに
ただただ後悔ばかりの日々だった。
仕事中心の生活をしていた私は、これから
何をして生きていけばいいのだろうか
と、途方に暮れた。


例えて言うなら、仕事一筋で家庭を一切
顧みなかったサラリーマンがいたとする。
職場にいる時は役職もあり、一見周りに
必要とされていた様子。
しかし定年退職を迎え、仕事以外に自分には
何も残らず、どこにも居場所もない。
そんな虚しさと心許なさのイメージかも
しれない。


実際、仕事だけが自分の存在意義で生きがい
だと思いこんでいたし、趣味もなく、交友関係
も鬱をきっかけに随分と狭くなっていた。


そして、退職した直後に3.11の震災が起きた。
住まいは被災地ではなかった。
それでも日々繰り返される、悲しいニュースに
心が痛かった。
それなのに、何もできない無力感があった。
テレビを観てはやり場のない、辛い気持ち
になったことだけは今でもハッキリと
覚えている。

自問自答の日々。
なぜ自分ばかりが病気になってしまったのか。
みんなができることができない自分は
ダメな人間なのか。
そんな私には価値がないに違いない。
自分を責める日々に、鬱状態は悪化した。
外出もできず、寝込む日々が続いた。

鬱が私に思い込ませていたのかもしれない。
その時はそんな思考から抜け出すことが
なかなか出来なかった。


今振り返ると、仕事だけが人生じゃないし
そこまで思い詰めなくても何とかなる。
むしろ今まで頑張ってきたのだから
これからはもっと自由に生きたらいいよ。
と、思える。
(当時の自分に言ってあげたい)


退職してから長い療養期間が続いた。
何か大きなきっかけがあったわけではない
けれど、少しずつ自分と向き合ううちに
うつ状態は快方に向かった。


そして、退職から2年後に通院を終了。
寛解の時期に入った。
それまでずっと支えてくれた、夫には
感謝の気持ちでいっぱいだ。


またまた長くなってしまったので③に続く。

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