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【画廊探訪 No.004】        物質から引き離された意味とお喋りして ―養清堂画廊企画『北嶋勇佑・濵田路子二人展』北嶋勇佑出展作品に寄せて―

物質から引き離された意味(イデア)とお喋りして
―――養清堂画廊企画 『北嶋勇佑・濵田路子二人展』北嶋勇佑出展作品に寄せて―――
                              襾漫敏彦

 ひとつであったものが引き離されること。幼い子供が母親から引き離されて泣きわめくように、それは自立のはじまりであると同時に、不安と混乱をまきおこす。神からの自立ともいわれるヨーロッパではじまった近代は、すべての存在から意味(イデア)を剥ぎとり、物質へと還元していった。

 北嶋勇佑氏は、木版画家である。彼は、版画で使われる一般的なインクでなく、油絵具を用いる。具材の粘性を利用し、版木にのせた具材の表面に、模様をつけていく。いくつもの色彩の具材を、そのようにして版木に同時にのせて、それを一気にプレスする。版木と紙を押して離す。粘着、そして剥離、段差や濃淡とは異なる版画の可能性が、この手法から引きだされていく。

 北嶋氏は、欧風の建物、玩具、文房具のような日用品、そういうものをモチーフとして好んで選ぶ。そのタッチは、子供が扱うクレヨンの絵を思わせる。物質と無邪気のコラージュ。皆が立ち去り、ひとり残されたのにも気づかず遊びに没頭する子供。そんな夕暮れの頃の淡さが立ちこめる。
 キリコの『街の神秘と憂鬱』の絵ではないが、均一な高層ビルが乱立するアジアの新興都市と比べれば、西欧の街の雰囲気は、物質的でありながら、その資質に何かを想わせる。

 天上からの神の光は失われた。けれども、僕等は人の時代を言祝ぎながら、裁きの視線を感じている。物質と意味(イデア)の間に潜むもの、その間隙での放蕩者(リベルタン)の沈黙の理由(わけ)を版木から剥離されて残った形は教えてくれるかもしれない。

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西荻窪のGallery Face to Faceでグループ展を行ってます。大塚咲さんや濱田路子さんと一緒です。

facetoface2000.com/https://www.facetoface2000.com/

今回は、これまでの北嶋さんとはかなり作風が変わっています。

で、これが北嶋さんのウェブスペースです。


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