襾漫 敏彦(アマントシヒコ)

美術作品を見に行って、そこで会った作家さんに、襾漫 敏彦のペンネームで、評論の形式の感…

襾漫 敏彦(アマントシヒコ)

美術作品を見に行って、そこで会った作家さんに、襾漫 敏彦のペンネームで、評論の形式の感想作って渡してます。その一部を紹介していきます。画廊を訪ねて、絵を直接みて、作家さん達と話をすると豊かな世界が広がります。自分の見方を一緒に見つけていきましょう。

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襾漫敏彦と美術評論についてーー付)画廊探訪 索引

 自己紹介の前に、【画廊探訪】の索引をあげておきます。   襾漫敏彦というのは、美術関連の文章を書く時のペンネームです。  美術評論家の鷹見明彦氏は、2011年に震災の後、病で亡くなりました。 わたしは、彼ともうひとりの友人と1980年後半『砂洲』という同人を組みました。襾漫というのは、その頃、書こうとしていた詩の主人公の名前です。 鷹見さんは、画廊を廻り若い作家の話を聞きさまざまなアドバイスをしていました。わたしも一日で、五、六軒、連れ回されたりしました。

    • 画廊に行くようになって気がついたこと その48

       デジタル技術による製作は、作者の肉体や具材の物質性の影響の残渣のようなものが残らないと説明してきました。  作者が、イメージを創造するのですが、それを物質に固着する作業は、別のものが行うということです。  建築士が、これから建てる家の設計図をつくるのですが、それを作っていくのは、大工さん達です。その作業における身体性は、大工さん達によるものになります。  街路や地下道のタイルをみていると、その細かな配置の感性は、誰に由来するものかと考えることもあります。  

      • ほんのしょうかい:水谷雅彦『共に在ること――会話と社交の倫理学』〈『思想の科学研究会 年報 やまびこ』より〉

        水谷雅彦『共に在ること――会話と社交の倫理学』(岩波書店、2022年)  本書は、(著者も述べているように)「人間的コミュニケーションの基底と実相を倫理学という観点から論じようとするもの」といえるだろう。テーマとしては、(副題にもあるように)「会話と社交」である。そして、本書で最も強く打ち出されているのは、(本書のタイトルでもある)「共に在ること」=「共在」(さらには、「共在感覚」)であろう。以下、本書の内容を要約することは別に譲り(たとえば、オンライン上でも読める工藤和男

        • 展示紹介: 山内康嗣 河野志保 展「景色の手ざわり 」Gallery Face to Face 5.10Fri.〜5.19

          Gallery Face to Face で、グループ展が開催されます。 山内さんは、幼少の頃暮らしていた家を中心にした風景ですが、河野さんは、どんなものになるか楽しみです。 山内康嗣 河野志保 展 景色の手ざわり 2024.5.10Fri.〜5.19Sun. 5月14日火曜日・15日水曜日休廊 12:00 ~20:00 (最終日5/19は19:00まで) 山内さんへの評論も添付します。

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        襾漫敏彦と美術評論についてーー付)画廊探訪 索引

          展示紹介:八木原由美個展 ーー猫と女ーー バーラストチャンス5月16日から31日

          八木原由美さんが下北沢のバーラストチャンスで個展を開きます。 八木原由美個展ーー猫と女ーー 5月16日から31日(火曜は定休日) 18時から26時 作家在廊は16、20、25、31(20、31は12時より開店) バーラストチャンス 所在地 :東京都世田谷区代沢4-41-8竹ビル1F 電話番号:03-3795-5292 イベントもいくつかあるようですので、バー・ラストチャンスのサイトを見てください。

          展示紹介:八木原由美個展 ーー猫と女ーー バーラストチャンス5月16日から31日

          表現再考:立夏 2024年は5月5日

           昨日は暦の上では、夏、立夏でした。火の気が始まります。    立夏の時期、本朝七十二候では、蛙始鳴(かわずはじめてなく)、蚯蚓出(みみずいづる)、竹笋生(たけのこしょうず)で、凍っていた大地の水が緩み、生命が動き始めるというかたちで、縁側に座って土地を眺めている感じですね。  宣明暦では、螻蟈鳴、蚯蚓出、王瓜生で、初候と末候が異なります。 螻蟈は、ケラ、オケラのことです。王瓜はカラスウリのことですが、カラスウリは漢方での生薬として利用され、清熱剤で、根は括楼根、種は括楼仁

          表現再考:立夏 2024年は5月5日

          【画廊探訪 No.171】水面は、自然を受肉して、光を写す――風早小雪個展“Spirit of the forest”に寄せて――

          水面は、自然を受肉して、光を写す ――風早小雪個展“Spirit of the forest”Gallery FACE to FACに寄せて―― 襾漫敏彦  樹々や陽光、自然は、森にたたずむ僕等の心のうちに何を伝え表すのだろうか。それは陰影であったり、光まばたく色の散乱だったり、水面に映る月かもしれない。それは、心の中で表されては現れながら、風や雲、水滴、そして細波によって静かに揺れ動く。  風早小雪氏は銅版作家であった。それは、シャープな線を描くエッチングでなく

          【画廊探訪 No.171】水面は、自然を受肉して、光を写す――風早小雪個展“Spirit of the forest”に寄せて――

          マテ茶の日々、皐月四日

           五月になりました。YERBA MATE FD La Mejorから、SELECTAに変えてみました。 これはパラグアイで生産されたもののようです。  割と粉っぽい感じですが、僕の扱いが今ひとつなのかもしれません。  グリーンマテ、ローストマテはわかるのですが、細かいところはやはりよくわかっていないようです。  日本茶でみ、茎入り、茎なし、煎茶、ほうじ茶、粉茶、茎茶、抹茶、とさまざまにあり、それに産地も加えると網羅し切れるものではありませんが、それを考えれば、当たり前か

          マテ茶の日々、皐月四日

          ほんのしょうかい:司修『戦争と美術』〈『思想の科学研究会 年報 やまびこ』より〉

          司修『戦争と美術』(岩波新書) 『戦争と美術』この本は、画家の司修氏によって書かれ、ソ連崩壊後の1992年刊行された本である。三〇年たった今日、今こそ読み返す本のように思う。 『戦争と美術』、この本は、州之内徹との対話から生じた疑問から始まる。その躓きと逡巡から、そして出会いから「戦争画」について書くことが宿題となり、踏み出しては立ち止まること数年にして導き出された本である。  松本竣介と藤田嗣治、二つの石を置き、それに対峙しつつ美術における表現の内発性と世の評価の問題

          ほんのしょうかい:司修『戦争と美術』〈『思想の科学研究会 年報 やまびこ』より〉

          思想の科学研究会『思想の科学研究会 年報』について、ご意見をいただきたいです

           思想の科学研究会では、一年に一冊、『思想の科学研究会年報』(以下、『年報』で表記)を出しています。   第五号『やまびこ』がだせて、なんとなく落ち着いてきました。 『年報』では、【エッセイ・創作】のコーナーで、研究会員の関係の方から寄稿してもらった詩を掲載しています。  いま、詩の投稿のページを作ろうと考えています。投稿の中から、10篇前後選んで掲載しようと企画しています。一般投稿は投稿料をお願いしていますが、この投稿に関しては、投稿料はなくお礼として、印刷版を一冊、送

          思想の科学研究会『思想の科学研究会 年報』について、ご意見をいただきたいです

          表現再考:八十八夜、旧暦三月二十三日、5月1日

           今日は5月1日ですが、八十八夜です。旧暦では、三月二十三日になります。これは、立春から数えるので、春の土用の最後の数日のタイミングになります。  ”夏も近づく八十八夜”とありますが、先に書いたように、太陽暦に基づく二十四節気などからみればまだ春です。  八十八夜は、彼岸とか、入梅、二百十日と共に雑節のひとつですが、「茶摘み」の歌謡のおかげで、まだ覚えられているものでしょう。  今日、収穫した茶葉は、特上のものといわれています。新茶が楽しみですね。  

          表現再考:八十八夜、旧暦三月二十三日、5月1日

          画廊に行くようになって気がついたこと その47

           3Dプリンターが、出現したとき、仏師の知り合いが、画家にとって、写真があらわれたときのようなインパクトが、彫刻の世界にあらわれるのだろうと言ってました。  木彫りの場合、木材は、疎密があり木目としてあらわれます。木彫の作家は、そこをどのように作品の全体と調和させるかを考えながら作品をつくっています。そのあたりの工夫に、作家の技量や判断の個性がでてくるようです。  普段、大工をされている方の作品では、木目まで作品の構成に巻き込んでいるのもあって感動したことがあります。  ま

          画廊に行くようになって気がついたこと その47

          画廊に行くようになって気がついたこと その46

           ここのところ、創作の身体性にまつわる話を続けています。  絵画と写真、映画の看板の昨今の比較と続けました。今回はデジタルペイントについてです。  最近は、ミクストメディアや写真の取り込みなど、様々な手法が展開しています。その中で、パソコンやiPADなどを使って映像を作成し、それをデジタルで出力する作品もでてきています。  デジタルの特徴は、指示したとおりにでてくるということです。  絵具を使って絵を描く場合は、どうしても物質としての具材の制限がかかります。その物質と

          画廊に行くようになって気がついたこと その46

          展示感想:風早小雪 展“ Spirit of the forest ”  Gallery Face to Face

           Gallery Face to Faceの風早小雪 展“ Spirit of the forest ”  行ってきました。 風早さんは現在、ベルギーに在住していますが、久しぶりの帰国で、Galley Face to Faceでの9年ぶりの個展になります。 DMでは作品は、逆光の写真のように思えましたが、今回の展示は、ドローイングが中心で、木炭で描かれたものが多かったです。銅版画家と聞いていたので、エッチングなど、もっとシャープな印象の作品を創造をしていたのですが、ぼやか

          展示感想:風早小雪 展“ Spirit of the forest ”  Gallery Face to Face

          〈画廊に行くようになって気がついたこと〉まとめ、41ー45

          第41回  画廊に立ち寄るのは、美術館の特別展ではなく、小さな出会いを求めてでもあります。  過去の天才達が作った美術の歴史的遺産に触れることは、大きな過去との接触で、それは、無知と知の問題でもあるでしょう。  今、製作を続けるアーティストとの接触は、自分とあまり身の丈の違わぬ場所で生きる彼らとの交わりでもあるのでしょう。  出会いは、鏡のように自分の姿を見せてくれます。大きな過去との出会いは、文化、歴史、社会といったわたしの環境を考えさせるのですが、社会のどこかにい

          〈画廊に行くようになって気がついたこと〉まとめ、41ー45

          表現再考:鳥の話、その一

           七十二候の中に鳥はよく出てきます。本朝と宣明暦を比較すると圧倒的に宣明暦の方が多いです。 本朝七十二候の中に現れるのは、 黄鶯睍睆/雀始巣/玄鳥至/鴻雁北/鷹乃学習/鶺鴒鳴/玄鳥去/鴻雁来/雉始雊/鶏始乳の10項目です。 雀、鴻雁、玄鳥、鷹、鶺鴒、雉、鶏、黄鶯の八種類です。 雀、玄鳥(ツバメ)、鶏、は身近な鳥ですし、鴻雁は、雁をはじめとする大きめの渡り鳥のことのようです。 雉は、国鳥でもあり、身近な存在だったでしょう。また、大空を羽ばたく鷹も普段よく見かける鳥だった

          表現再考:鳥の話、その一