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プレゼンテーションと私

なぜ人はプレゼンテーションをやりたがらないのか?

プレゼンテーション。私にとって、今となってはある種日常的に取り組んでいるものの1つだ。仕事しかり、また最近ではプライベートしかり。私の幼少期の性格から考えると驚きの現状である。同世代の多くの人と同じように、私も社会人になるまではPowerPointは一切使ったことがなかったし、そもそも口頭でも人前で何かを話したような経験はなかったように思う。むしろ「話し下手」で「あがり症」といった性格から、人前で話すことには、苦手意識しか持っていなかったと記憶している。このような肌感覚は、私だけが感じていることではなく、きっと多くの日本人が感じていることではないだろうか?

【多くの人がプレゼンテーションをやりたがらない理由(私説)】
 ❶ 多勢の前で話した経験がない
 ❷ 上手に話せない
  (話のまとまり、滑舌等に難がある)
 ❸ あがり症

ここに書いたこと以外にも「やりたくない理由」は探せばたくさんあるだろう。ではなぜ、このようなジレンマを抱える私が、仕事のみならずプライベートにおいても今や好き好んでプレゼンテーションを実践しようと思ったのだろうか?

私とPower Pointの出会い

私がPower Pointを用いたプレゼンテーションを初めて行ったのは、2003年の社会人1年目、新入社員研修の時だったと記憶している。当時南町田にあった研修センターで、約1週間缶詰となって、自社製品の概要や使い方、周辺知識に関するプレゼンテーションを練習したのがきっかけだった。新卒同期約30人の中で、私は目立ってうまくできた訳でもなく、むしろ私より上手にプレゼンする同期がたくさんおり、悔しい気持ちになったように記憶している。
苦い記憶はさておき、この研修で今でも私が心に残っていることがある。研修最終日、最後のアジェンダで、この1週間を含め今までの新卒社員向け研修を通じて今後どのような社員となりたいか?を数枚のPower Pointスライドにまとめ、新卒社員全員の前で発表するというものであった。私は当時ガチガチで何を話したかを全く覚えていないが、同期の1人が行ったプレゼンテーションでの1シーンを今でも覚えている。そこにあったのは、印象的な「一言メッセージ」と「挿絵」だった。

この時の経験から私の脳には、次のことがメモリーされたのかもしれない。

 ❶ シンプルなメッセージで、
 ❷ イメージを効果的に使用し、
 ❸ エモーショナルに伝える。

私は実践の現場に出てから、この3点を心掛けていたように思う。顧客に製品を説明する場で、社内会議で業務進捗を説明する場で、スライドの「シンプルさ」を心掛け、「イラスト」「図」「グラフ」等を活用し、自分の言葉で伝えることを実践していった。

これらを実践してきた中で、私が駆け出しの頃に印象深かった経験は、大口先でない顧客への製品説明のシーンだったように感じる。「大口先でない」=顧客は製品について詳しい知識がない中で、丁寧に、自分の言葉で、製品に関する長所のみならず短所も交えて伝えることで、とても私の説明を気に入ってもらえ、その後も度々プレゼンテーションのオファーをもらうことができた。今思えば、大口先でなかったからこそできたことだったと感じる。大口先であれば、顧客は他社製品も含めてある程度の前提知識を有しているから説明はより専門的な内容を求められるだろうし、私としても、製品の短所を堂々と伝えることは躊躇していただろう。言い方が悪いが、「カネ」にもならないことにバカ正直に向き合い愚直に期待に応えることを実践したからこそ得られた成功体験だったと今となっては感じる。

私のPower Pointスキルアップ戦略

その後もどんどん経験を積んでいった。社内会議、カンファレンス、製品説明会。至る場面でプレゼンテーションを実践した。私は「スキル」や「テクニック」を磨くよりも、まずは場数をこなす事が、私にとっての上達の道だと感じていたからだ。当時は、プレゼンの度に緊張してポインターを持つ手が震え、アドリブの効かないプレゼンテーションになる場面も多数あった。そういった立ち振る舞いは、「失敗したくない」「間違ってはいけない」といった義務感、責任感から来ていたのかもしれない。プレゼンテーションを何度も重ねることで、それらは「私が勝手に思い込んでいただけの存在しない恐怖」なのではないか?という点に気づくことができた。誰も私の一言一句に集中して聞いている訳ではない、だったら細かなことにはこだわらず、人形や動物に向かっている気持ちで気軽にやってみよう。むしろ、堂々と話すことがプレゼンテーションの印象を記憶させるのだ、といったことを徐々に学んでいった。

場数が増やせたことは、「スキル」や「テクニック」についても学びを深めることにつながった。聴衆と共通イメージを持つための最適な写真、イラスト、アイコン。わかりやすいメッセージ。他の人の多くのプレゼンテーションに触れることで、新たなアイデアが私のプレゼンテーションスライドに吹き込まれていった。話し方のスタイルも、一辺倒な説明スタイルから抑揚をつけた説明と、聴衆の反応を見ながら対話するようなスタイルへと自然と変化していった。プレゼンテーションの中に対話が生まれることで、私のプレゼンテーションは1種のコミュニケーション手段へと変化し、「苦手」から「好き」なコミュニケーション方法へと変化していったように感じる。

苦手意識を逆手にとる

なぜ私は、本来「苦手」としていたプレゼンテーションを改善してこれたのだろうか?私は幼少期より他者とのコミュニケーションが苦手だった。口頭でのコミュニケーションはもとより、絵(漫画、イラストなど)や作文(日記、読書感想文など)といった口頭以外で自己を表現することも、軒並み苦手意識から積極的にやろうとしてこなかった。

プレゼンテーションに出会った時、「これはひょっとすると、私にとっては最も適した自己表現の手段となりうるのではないか?」と感じた。なぜならプレゼンテーションでは、絵を描く必要はなく、長い文章で書く必要もなく、自分のイメージに合う「素材」を、まるで料理のように組み合わせていくだけで簡単に自己表現ができると感じたからだ。

頭の中のイメージに合う写真・イラスト・アイコン等と、シンプルな言葉を組み合わせていき、更にそこに感情や想いを乗せるだけで、自分の想いが伝わることを経験から実感した。「苦手」「不器用」だったからこそ「ちょっとできた」ことでのめり込み、努力を続けてこれたように思う。

私がプレゼンテーションから得たもの・得たいもの

私がプレゼンテーションを実践していく中で得たものは次の3つだ。

 ❶ 人とのつながり
 ❷ 人々の笑顔
 ❸ 人々の信頼

プレゼンテーションによって多くの人に出会うことができた。プレゼンテーションは、多くの場合で5人以上のメンバー、聴衆の前で行うことが多い。その中には私と初めて仕事をする人、私のことを知らない人も含まれている。プレゼンテーションは、そんな人たちに私の人となりを知ってもらうことに役立つツールであったと思う。

私はこれまで、何かの価値を届けるためにプレゼンテーションを行なってきた。製品だったり、知識だったり、提案だったり。いずれも最終的に目指していたのは、「よくわかった!」「面白かった!」「なるほど!」などの理解や共感だ。その先には人々の「笑顔」があることが多かった。私はいつの頃か、この笑顔がたまらなく好きなんだと感じるようになり、その感覚が更に私を奮い立たせる起爆剤になっていったように思う。

またプレゼンテーションは多くの信頼を勝ち得るきっかけにもなった。プレゼンテーションは、対話する相手にまず情報をGiveすることにつながる。Give Firstであることは、自分の思考、アイデア、あるいは生き方や価値観を開示することにつながり、自分中心のトピックに対してディスカッションが展開されることとなる。そうすると、プレゼンテーション後の質問で、相手とのギャップを自分中心の世界から尺度として測ることができる。自分ベースの尺度なので、課題が明確化しやすく次の一手が打ちやすくなる。こんなことを繰り返して、私はこれまで多くの信頼を得てきたのではないかと思う。

反対に、これからプレゼンを続ける中で得たいものは次の3つだ。

 ❶ 探究テーマ
 ❷ コミュニティ
 ❸ 人々の幸せ

探究テーマを持つことは、自分のありたい姿を追求することにもつながるし、自分が道に迷った時に拠り所となる北極星のような存在にもなりうる。私にはこれがない。様々なものに興味を持ちつつも、飽き性な性格もあり、現時点では見出せていない。これから更にプレゼンテーションを続けていくことで、自分が最も人生において取り組みたいテーマを探していきたいと思う。

探究テーマともつながる部分がある「コミュニティ」も得たいものの1つだ。コミュニティは、共通の関心ごと、価値観、などを持つ人々の集まりだ。これまで私は、中学、高校、大学、職場、といった物理的に近い場所にしかコミュニティを有していなかったが、世の中は今まさにCOVID-19の影響で大きく変わろうとしている。これからはOnlineのコミュニティもどんどん広がっていくだろうし、その上でプレゼンテーションというツールは、とても相性の良いツールになるだろうと私は思う。

最後に「人の幸せ」だ。私は、改めて今までのプレゼンテーションを振り返り、多くの人の笑顔をもらえてこれたと感じる。これは私自身が大変に幸せなことで、かつとても有難い(得難い)ことだ。ただ、ここで終わることなく更にその先を追求したいと最近は強く感じるようになった。
人々の「笑顔」の先にあるもの、それは「幸せ」だと私は思う。私のプレゼンテーションが、笑顔の先にある人々の幸せに貢献できるのなら、これ以上の感動ははないだろう。そんなことを強く心に刻み、これからもプレゼンテーションを続けていきたいと改めて感じた夏の日のとある朝であった。

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