見出し画像

note2周年らしい

まるで意識になかったが、noteへログインするとバッジ獲得と表示された。
どうやら、日記を始めた「夏への扉」ワークショップ終了後、noteに移って2年らしい。ワークショップは、ななめな学校によるもの。楽しかった。

今日は偶々パソコン内を整理した時間があり、ワークショップの展覧会で展示された自分の写真、12枚の展示コーナーを、自分で撮ったものと思うデータを見かけた。
どの写真を展示するかは、先生へ一任してしまったもの。

自分らしい良さの出た写真を選んでほしかったらしいが、全く自分で選べなかった。選定基準も知らずに選んだ私案はダメ出しされた。会場模型の中には、そのボツの展示がされていたのは楽しかったが。

今日、改めて眺め、とてもマイペースさの出た写真たちが選ばれているな、と少し笑った。
そう。私はマイペースで良いと思っている。

そんな写真を最近撮れているのかは知らないが、自分で自分のことは、わかりにくいものらしいので気にしない。別に仕事でも義務でも何でもない。

既に参加者など関係者たちとの縁はほぼない。元々、人と関わりたい方でもないので、2年も経つらしいのだから、そんなものだろう。書いているなら読みたい人もいるが、何にしても積極的に関わりに行っていない。

「スキ」の機能がないからなのだろうか。
個人的にはASDの影響なのか承認欲求のない人なので、褒めてほしくて書いてはいない。

が、寂しいという気持ちも湧かない、一人はマイペースに楽しめるので大好きな私でも、全くコミュニケーションが発生しない場所に魅力は薄いということだろう。

疎遠=どうでも良い、は成り立たないが、普段の付き合い方でも、気楽に連絡する人は面白い会話になっていく相手。ASDな私は、エレクトーンも同列にその相手に含まれる。

一人で楽しんだことでも、LINEで友人と共有するだけでなく、noteに書くことで「スキ」を押してくれる知らない人がいる。

「スキ」を押してくれる人がいるから、休み休みでも、内容が薄くても、私のnoteは続いているのだと思う。
ほぼどの記事にも「スキ」が押されてきたことに感謝しかない。

最近、「スキ」を押してくださった方か、その先のリンク先か、「スキ」は読んで楽しんだ印、というようなことが書かれているのを見かけた。読まずに「スキ」を押すことも、ありがちなシステムというような話とともに。

そうか、読まないで押すこともできるよな、と思った。
ちなみに私は、「スキ」を押しているくらいなら、確実に読んでいる。
押さなくても楽しませていただいていることも。

比較的最近、バッジは他にも2つ増えた。スキされた数(記事)1000回のバッジを獲得した数日後に、スキした数(記事)1000回。
私の場合、継続の原動力は、きっとここにあると思っている。

知っている人でも知らない人でも、読んだよと印をつけてくれたり、コメントしてくれる人がいるなら、noteは継続できるような気がする。


あ。つい最近、noteお休みとか終了とか書いてたような気がしました?
それは読んでくださって、ありがとうございます。
きっと暑かったからです。

セミの写真には、何だか満足感というか、やり切った感あったもので…
それにしても、何でそう思ったんでしょうね…

やっぱり暑かったから、ということで。