
矛盾を抱えて
今、ある矛盾を抱えている。
それは、
「結局自分が一番かわいい、だけど自分をありのまま愛すことができない」
ということ。
最近気づいた。
「人を大切にする」って結局自分が生きるためだなって。
会社でも最高のお節介を掲げているけど全部自分に返ってきてるなって。
でも、これがなかなかどうして自分を自分として愛することができない。
Do you like yourself?と聞かれたとしてYes, I do.と即答はできない。
いいや、みんなそんなもんだと言われればそうかもしれないし、
そもそも、愛するってどういうこと?とか自分って何?とか
聞かれたとしても今はまだその答えになりうる哲学は持ち合わせていない。
とはいえ、自分の中では
「結局自分が一番かわいい、だけど自分をありのまま愛すことができない」
というのが現にあって、立派に矛盾として頭(胸?)の中に鎮座している。
でも、そこに少し変化があった。
ここで僕の大好きなSUPER BEAVERの話をさせてほしい。
何を隠そう、これを書いている10/19は彼らのライブに初めて行った日だ。いや、厳密にはSUPER BEAVERと横浜アリーナという場で初めて対面した日だろうか。


さて、彼らをどう説明すればいいか困る。
こういう時、普段対話を創ることを通して言葉を大事にしている自分が言葉の不便さに頭を抱える。
強いていえば「常に私という人間に向かって歌ってくれるロックバンド」だ。
フロントマンのぶーやんは「今、あなたたちではなく明確にあなたに歌っている」とか「SUPER BEAVERは4人だけじゃSUPER BEAVERではない。あなたがいてSUPER BEAVERだ」とか言ってくれる。少なくともただの熱いバンドではない。
彼らを自覚的に好きになったのは2021年12月頃だ。
好きだと強く自覚する前に既に彼らの言葉は音楽と共に心にスッと入ってきていた。
特に「your song」という曲はまさに一言一句「櫻井竹琉を歌った曲か?」と気持ち悪いことを思う程にリンクする。
「君に何かを伝えたい、でもその何かが言葉にならない」
というフレーズから始まる。
どうも、僕はそんな人間です。
SUPER BEAVERはどうしようもなく辛い時に聴く。
20歳の誕生日にギャン泣きした時は「361°」を聴いていた。
でも、楽しい時も特に何もない時も聴く。
つまりいつも聴く。
そんな彼らのライブに初めて行った今日、これまた初めての経験をした。
それは
「今日が終わって、明日が来たっていい」
と心底思えたという経験だ。
いつもは特段楽しいこととかがあると
「あぁ、最高だった。今日という日が終わってほしくない」
って思うけど今日は違った。
なぜか、
それは「今日が終わることでまた会える日を喜べるんだろう?」って
ぶーやんが教えてくれたからだと思う。
そしてそんな18年目の彼らにもっと早く出会っていたかったとも思わない。
きっと早く出会ってたとしても響かなかったと思うし、現に「いい曲だな」って聴いたことある曲は前からあったけど好きにならなかったから。
今、出会うべくして出会って、好きになるべくして好きになったんだと思う。
「愛されていてほしい人がいる、なんて贅沢な人生だ」(東京)
「誰かが鼻で笑ったのが、僕の宝だ」(東京流星群)
「僕は人に生かされて人と生きている」(美しい日)
「歓ぶ顔が見たいと、自分のために思う人間冥利」(スペシャル)
今だから、今だから。
今だから真正面から受け取って
彼らの音楽を抱きしめられるんだと思う。
僕はそんな今の自分を誇らしく思った。
「対話の場」を創るという言葉に詰まった想いに胸を張れる。
愛されていてほしい人も既にいる。
そんな自分をまだ愛せないけど、誇らしく思える。
そんな変化があった。
これからも
へこたれないことも
心が折れないことも
弱音を吐かないことも
強くあることもできない
でも、
辛いって言いながら
寂しいって言いながら
辛いって言いながら
たくさんの矛盾を抱えて
その分たくさん考えて
そんな自分を思ってくれる人、大切にしてくれる人の存在を
たまに僕は忘れちゃうけど、しっかり思い出して
思い出した自分を愛せなくても誇って
生きたいとか
生きなきゃとかじゃなくて
「あーまだ死ねねぇよな」
そんなマインドで僕は、
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