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8月9日

台風の影響で天気が荒れている本日2021年8月9日
私、櫻井竹琉19歳を迎えましたーーー!!!

ありがとうございます!
19歳ですって。
ラストティーン。

正直まじかって気分笑笑
少し前まで19、20歳ってすごくお兄さんお姉さんな感じがしてて自分が19歳になり20歳ももう目前となるとなんだか不思議な感じもする。

そんなこんなで今日から19歳。
おかげさまでここまでとても濃い人生を歩ませてもらってると感じる。
これからはもっと濃くもっと面白くしていきたいし、していく。
そして、それを今度は人に届けていきたい。

そう思った2021年8月9日。
記念にnoteに残しておこう。

タイトル

迷った。
書きたいことがまとまってなかったから、自分はこの日に何を書き残したいのか、そもそもそんなことはあるのかとも考えた。結局まとまってない笑笑

最終的には8月9日にした。

お世話になっている人への感謝、これからのこと、長崎の原爆について、思っていることを素直に書く。みなさんの貴重な時間を頂戴できるほどの文章ではないけどよかったら最後まで読んでくれたら嬉しいな。

ちなみに、レミオロメンの3月9日は意識している笑
でも、過去自分の卒業式は一度も3月9日じゃなかったな。
小学校…忘れた
中学校…3月15日(多分)
高校…3月31日

どうでもいいので考えていることを忘れてしまう前に次に行こう。

自分を取り巻く人たちが神

改めてここまでの人生振り返ると「俺ってめっちゃ運いいな」と強く思う。
その運というものを要素分解してみると9割人で1割が自分の行動やその他の要素で構成されているのだと感じる。いや、人の割合は9割5分かそれ以上かも。つまりはとても自分は人に恵まれている。

だからこそここまで生きてこれたと思うし、色々経験できて、色々な景色を見ることができて、色々考えることができた。その上で、やりたいことも見つけて、今結構課題が山積しつつも生きている感じがする。

どうして自分がこんなに人に恵まれる結果になったのかを振り返ると、起点はほぼ全て母だったと思う。
自分は母子家庭で育って、母と二人三脚でここまできたのだけど、なぜかお父さんやお母さんみたいな人はたくさんいる。ダンスの恩師やサッカー“のサポーター”仲間(大人)がそうだ。小学生の時はしょっちゅう母とサッカー観戦に出かけて、多くの人と出会って可愛がってもらえた。今でも気にかけてくれていて、20歳になったらお酒を飲むという予約がすでにいくつか入っている。(把握してませんがありがたいです。1年後飲みに連れてってください)

加えてサッカー観戦の流れでブラインドサッカー元日本代表(現松本山雅B.F.C監督)のおっちーさん(落合啓士さん)とも出会えた。

いじめで苦しくて学校での辛さが勝る時期もあったけど、「学校外」の世界があったから、楽しいことも多かったし、生きられた。
(と、今振り返ると思う。当時は生きた心地はしなかった。)

高校に入ってからも

「なんで出会う人出会う人良い人ばかりなの?」

って思うほど人に恵まれた。担任の先生をはじめ、マイプロでお世話になった人や、学校外でもヴェルディカレッジブエンで感謝しても仕切れないほどにありがたい出会いを書ききれないほどたくさんした。

でも、やっぱりN高に入学したのも高校受験に失敗して生気がなくなっているところに母がN高を紹介してくれたことがきっかけだ。それに高校生になってからは母はとにかく自由にしてくれた。だから今がある。

母には感謝しかない。いつもありがとう。(と言いつつ最近は嫌だと思うことがお互い増えたと思うので一人暮らししたいと思ってる)

そして、自分と関わってくれている全ての人に感謝している。
人と関わることで自分が形成されていくと強く感じているから。
今の自分がいるのは紛れもなくみなさんのおかげ。

このお世話になっているみなさんへの感謝は言葉だけでなく自分の“これから”を見せることで伝えていこうと思う。

めっちゃ濃い18歳後半戦、そしてこれからのこと

それにしても、18歳の後半(ここ半年くらい)は自分にとっては本当に濃密なものだった。
ざっと上げてみる。

・MAKERS UNIVERSITY U18 THINK BIG CAMP(これに関しては過去記事みてね👇)

・N高の卒業式で答辞を担当(マジN高の制服俺にとってコスプレ)

株式会社HAMONZで初インターン(営業を主にやらせてもらってます)

・同行援護従業者として活動スタート

・株式会社アソリア起業(現在登記申請中、別記事出す予定)

細かく言えばもう少し色々あるが、まぁこんな感じだろう。

この間、苦しいことも、自分について人間関係について悩みまくって病んだことも色々あった。でも、やっぱりたくさんの人と関われて話をして楽しかった。

これからもたくさんの人と関わっていく。
それは何より人と関わること、話すことが大好きだから。

そして、その大好きを今度は人に伝えていく。
そのためにコミュニケーションと本気で向き合って、人にその面白さや大切さを価値として届ける会社を作ったし、一緒に事業を進める仲間もできた。

18歳のラストスパートもなかなかだったと思うけど、
10代のラストスパートはもっと楽しみたいし、人にワクワクしてもらいたい!

準備はできた(厳密にはまだ)。

ここからがスタート

平和について、命について、死について

最後に長崎の原爆のことにも触れたい。

2002年8月9日は自分が生まれた日であり
1945年8月9日は長崎で多くの方の命が原子爆弾によって奪われた日でもある。

毎年8月6日は広島、8月9日は長崎に思いを馳せる。

自分が生まれた日は過去に多くの人が亡くなった日でもあるということは他人事だとは思えないし、そう思いたくない。

実際には見ていないから全てを知ることはできないけど、原爆で多くの命が犠牲になってしまった事実はある。
忘れないことしかできないのなら、ずっと忘れたくない。
そして、平和であり続けることを強く望む。

20歳の誕生日は初めて広島と長崎を訪れようと計画中。

ただ、世界では未だ不当な理由で奪われる命が存在する。
絶対にあってはならない。どうしたら良いのか。

これに関しては難しすぎてわかりかねることもあるが、最近思うことがある。それを最後に書いて今回のnoteは終わろうと思う。最後まで読んでくれた人ありがとうございます。19歳の櫻井竹琉もどうぞよろしくお願いします!

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生と死について

最近思うこと。
それは「死」は一番近くて一番遠い存在なんじゃないかってこと。

人は生まれたらいつか必ず死ぬ。
今日死ぬかもしれないし、明日死ぬかもしれない。
いつ死ぬかわからないけど必ず死ぬことは全ての人がわかっていることだろう。

しかし、多くの人は自分が今日死ぬとか明日死ぬなんて思っていない。
死の恐怖に怯えたことがない。
それは自分も例外ではない。

何か特別なことがない限り、普段こうして生きている限り
「死」と向き合うことは難しいのだと思う。

死ぬのは一生に一度だから本質的にはわからない未知のこと。
だから想像できないし、わからないから恐怖もある。

戦時中毎日死と隣り合わせで恐怖と戦っていた人の気持ちを理解するのは相当困難だなと思ってこういうことを考えた今日でした。

それでも、その恐怖を感じない平和な世界が一番良いので

「死」は一番近くて一番遠い存在

であることが良いのかもしれないとも思ったり。





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