見出し画像

孤と独と孤独と孤独感と

52歳のワタシの父は88歳で母は87歳で。
地元の友達の両親とか、ご近所さんとか、
同じ歳格好の歴【れっき】としたお爺ちゃん&お婆ちゃんって感じのご夫婦さんが多いんです。
身近なところに。

ワタシの父が良い例なっちゃうんですけど、
耳がとーっても遠くなっちゃいまして、
(会話が成り立たねぇな)
なんて思いながら、大声で話してたのも束の間ってやつで、
いわゆるボケって巷ではいう認知症の症状が顕著で。
仕事だと思ってるデイサービスには週6回ちゃんと行くんですけど、
休みの日には大好きだったジャイアンツも相撲も全くと言っていいほどに関心は示さず(示してくれず)、
以前は普通に出来たことが出来なくなってることが多くて(多いすぎて)
ワタシの名前がわかんなくなっちゃうなんてのは序の口クラスで、
横綱クラスのボケ具合はオヤジの名誉のためにここでは控えとこって思うような感じで。

タイミングの違いとか、大小とか強弱とかで、
それぞれの家庭で起こりうるし、
起こってることは違うんですけど、
ある意味では似たり寄ったりなことがそれぞれにあるとも言えて、
(まー、オレらもそういう歳になったんだわな)
って52歳の息子って立場でそんなことを考えたりする機会が増えた気がします。

そんな時にですね、
孤独【こどく】ってことに関して語り合うラジオを聴いててですね、
孤独って言葉や状況や概念に対して
いろんな見方があるんだなぁって感じたんです。
(なるほどぉ)とか、
(そうかなぁ)とかって。

大学の心理学の授業で「犯罪心理学」について教わった時、
孤独【こどく】って言葉が出てきてて、
犯罪と結びついてる孤独ってやつは自分は体験したことはなくて、
身寄りの人が一人としてこの世に存在しないような、
そんな孤独ってやつに、もし自分がスッポリ嵌っちゃったら、
このワタシって人間も犯罪とかってのを犯しかねないよな。
って感じたり考えたことを思い出したんです。
逆に言えば、孤独感【こどくかん】ってやつなら何度も味わったことはあるし、
孤独感を良しとする自分もいるけど、
本物の孤独ってやつには無縁だったなって。

で、
いつものパターンで。
(孤独って言葉の意味はそもそもなんだ?)
って疑問が湧いて。
学校帰りの電車ん中でササッとGoogleさんに尋ねてみたら、
「ひとりぼっちであること」
ってのがサクッと上の方に出てきて、
(なんそれ。。つまんねぇな。。)
って感じてですね、、
(んじゃ)
ってことで、次は漢字をバラバラにしてみました。
独【どく】ってのは、【ひとり】とも読ませるくらいでイメージ湧くんで後回し。
で、孤【こ】ってやつです。

これがですね、漢字を知らないワタシにはなかなか衝撃的でした。

〖孤〗 みなしご

  1. 1.幼くて父のない者。両親のない者。みなしご。「孤児」

  2. 2. 《名・造》助けるものがない。ひとりぼっち。ただひとつ。ひとり。「徳は孤ならず」

なんだそうです。
この文字だけで「みなしご」って読んじゃえもする。
(なんだよ。。みなしごぉ。。)
(思いの外に言葉と漢字の意味は重いなぁ)
って感じましてね。
でもですね、
犯罪心理学で学んだ孤独って言葉の意味の捉え方は間違ってなかった気がしたり、
より深く孤独ってのの重さを考えさせられたり、
確かに自分には無縁であり、
孤独っぽい姿を醸し出してるオヤジも孤独なんかじゃないし、
現実として突きつけられる事実の孤【こ】と独【どく】を味わった人の気持ちを理解することは
事実としての孤独を知らないワタシには察することには近づけても理解することは
(ムリだな。)
ってですね、感じたんです。

孤独と孤独感ってのは、全然違うなと。
孤独感ってのは「私もあるぅ」ってお隣の人と普通に共感し合える感覚のことで、
孤独ってのは事実のことであって、本物の孤独な人はお隣の人さえいない。
似てるようで違う。

ワタシに今出来ることがあるとするなら、
孤独感を持ってる人がもし近くに、そばに、隣にいたら、
「孤独感は、ワタシも感じたことはあります。」
「だけど、きっとワタシもアナタも孤独なのではないんじゃないか。」
そう言えるような気がします。

88歳の親父もまだまだ元気な母と酔っ払いの息子と、
デイサービスの方々とがいて、
決して孤独なんかじゃない。
だけど、耳が遠くなって人の会話に入れないオヤジの孤独感は察してはあげたい。
同時に、孤独という事実が、いつ自分にやってきたっておかしくない。
そこで佇んでる人がどこかにいることは、
容易く想像が出来る。
何が出来るわけじゃないし、理解は出来ないけど
想像はする。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?