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てつがくカフェ(2)

昨日参加させて貰ったてつがくカフェの振り返りなんですが,以下のようにまとめられておりました。

昨日は凄く貴重な経験をさせて貰いました。


簡単にまとめさせて頂きます。


私の印象としては,何名様が「初参加」だったのか。初めて参加した私としては知りたかったという思いがありました。どんどん発言されていく流れで,知識と知識のぶつかりあいのような感覚があり,初めて参加した私のような人からすると,複雑に絡みあっている呪いの部分が,呪いにはなっていないような感じが残っています。


どうやら,初めてのテーマだったようですね。昨日も書いたのですが,こういったデリケートなテーマは,参加するだけでも勇気を出すことだと思うんですが,私の認識が甘かったようにも思い,哲学好きな人が参加するのにピッタリのような気がしました。次回のテーマが「オリンピック開催に関して」なので,余計にそう感じました。


私自身,最近はやはりHSPなんだなあと感じることが多いんです。職場から帰宅しても,過度な疲労。そして,既に次の日の予期不安。こちらがセットで起こってきます。何かそちらに関してのヒントのようなものも,こういったてつがくカフェから得たいと期待していました。


ただ,一つだけ心に準備していた事がありまして,「無料イベント」だったので,そういった部分で割り切る事が必要だったということ。「もし自分の期待と違っているイベントだったとしても無料だから良いや」そんな風に思おうと思っていたんですが,いざ終了してみると,


共感をしては貰えなかったという思い→これはそういった場所では無いので当たり前なのは知っていますが…


この部分が引っかかって帰りの車を運転して時には「やっぱHSPとACって違うんだな」そんな事を感じたりもしました。どの部分はHSPで,どの部分がACなのかとの線引は難しいんですが,「話すんじゃなかった」という後悔の思いも一日経過した今日もやってきます。


学問に”感情”を入れてしまった私のレベルの低さに関しては自覚しています。あくまで学問なので…,感情は用いずには基本だと思います。ただテーマが私にとってのコンプレックスに触れる部分だったんですね。話していて声も震えたし,涙も出てきそうになりました。


やはりここで感じたのは,私の目指したい方向としては,人数を制限してでも,初参加の人にも優しい場所を作っていきたいですし,こういったディスカッションの機会も大事なんですが,あくまで「グループカウンセリング」としてのディスカッションなのか,「親の呪いを哲学する」ってディスカッションなのかの線引だけは,私の中で冷静に見極める必要を感じました。


ただ,福大の教授がファシリテーターとして行っていたディスカッションだったので,10年前の福大学生時代(30歳)の自分を思い出しました。学問する事は私も好きな事だったので,そういったスイッチを刺激して貰ったようで,とても良い会だったと思います。


やっぱり,こういった機会にずっと触れていないと,どんどん自分の中で深く掘り下げる機会から避けて生活している自分がいるので,もっともっと自身が向き合っているHSPというテーマと,ACに関してのテーマ。


私は,当事者同士での対話を続けていきながら,皆さんで少しでも前向きに楽しく生きていける方向性を考え続けていければと思っています。

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