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第24節 地上の花火

目次
第23節第25節


 人目を忍んで石神井川へと下りた真衣たちは、冷たい川の水で足を撫でられながら、花火が上がるのを待っていた。
 ブーディカたちの提案で、最初の花火が打ち上がる音を合図に戦いを始めることになったのだ。今は、河原のない川に立ち、両者とも足を濡らして待機している。
「真衣、手を」
「――!」
 ジェロニモは真衣の右手を取ると、その中指に親指を乗せぎゅっと力を加えてから、手の甲に口づけをした。そこには、“推しをイメージしたハートの令印”がある。
「ジェロニモ……」
 真衣の胸がざわつく。
「真衣、落ち着いてくれ。君に必ず勝利を捧げることを約束しよう。ビールを買う時間はなかったが、それをつまみに花火を見るとしよう」
「……うん。頑張る」
 ジェロニモは微笑むと、ブーディカの方へ向かった。
「インディアンって、意外と紳士的なんだね。あっ。ネイティブ・アメリカン、って言った方がいいのかな? ごめんね。あたし、古代の人間だから、その辺の事情には疎くて……」
「構わないさ。君に他意がないことはわかっているし、私はずっとインディアンと呼ばれてきた。そもそもジェロニモも本名ではないからね。好きに呼んでくれて構わないよ。
 それに私は、ジェロニモの名の通り武勇の方が有名らしいが、これでもスーツを着たことだってある。そちらの戦士とはその在り方は違うかもしれないが、我々はとても義理堅く、誇り高い。決して野蛮な民族などではない」
「そっか。覚えておくよ。……ねえ。あたしたちの境遇って、ちょっと似てるよね? 侵略されて、反乱を起こして、戦争としては、最後には負けてしまって……」
「……そうかもしれないな」
「うん。誇り高い戦士どうし、君とはいい戦いが出来そうだ」
 そう言うとブーディカは、その手に槍を出した。
「――君も武器を構えていいよ。距離はこのくらいで、ちょうどいいかな。よーいどんで、花火が撃ち上がるのを合図に開戦だ。そうしたらもう待ったなし。どちらかが消滅するまで戦いは終わらない。それ以外にはルールもズルもなし。どっちが負けても恨みっこなし。それでいいかな?」
「ああ、いいだろう」
 そう言ってジェロニモは袖の下に手を忍ばすと、両手に一本ずつナイフを握りあらわにした。
「――FGO、と言うんだったかな? の私はキャスターのサーヴァントらしいが、今の私は生粋の戦士だ。近接戦闘を得意とし、弓がなくともナイフ一本で敵陣に突撃し、間近で敵の血を浴び戦った赤い悪魔。接近戦は私の得意とするところだ。ランサーとはいえ、飛び道具なしに私に挑むのならば、油断はしない方がいいぞ」

 ジェロニモの言う通り、彼は戦争での武勇がのこる英霊であり、『Fate/Grand Order』においても魔術師キャスターのサーヴァントでありながら接近戦闘を得意としていた。
 かたやブーディカは今回、槍を持って現界こそしているものの、あくまで戦士としてではなく女王として、反乱のカリスマや戦いの象徴として名を遺した英霊である。生粋の戦士を相手に一騎打ちの決闘では分が悪いことは明白だった。
 勝ちの目があるとすれば、それは槍とナイフという、獲物の長さの差くらいであろうか。

「ご忠告どうも。そろそろ、かな……?」
「……」
「……」
 語らいを止め、沈黙する二人。
 優しい川のせせらぎが、緊張感を高めてゆく。
 そして――。
「――!」
 盛大な音に続いて最初に動いたのはブーディカだった。
 長身のブーディカの腕の長さ、彼女の持つ槍の長さは、それそのままにリーチの広さとなる。あっという間にその間合いにジェロニモが入る、その直前。
「――!?」
 冷笑を浮かべたジェロニモが二本のナイフを前へ放り投げた。
「ミドル!」
 それは投擲などではない。明らかにジェロニモはナイフを放り投げ、捨てた。その顔には冷笑が浮かんでいる。勝負を投げ、捨てたのか? 真剣なブーディカを嘲笑っているのか? それともナイフに何か仕掛けがあるのか? 何を考えている? ミドルという言葉の意味とは?
「ジェロニモ! 速く!」
 真衣の声が響く。
 混乱しながらもすんでのところで踏みとどまり、ナイフを槍で払いのけたブーディカの頭に敗北がよぎった時にはもう、ジェロニモが瞬間移動ともいえる速度で銃を構えていた。
「――!?」
 花火の音に紛れてジェロニモの銃が火を噴く。倒れゆくブーディカの身体から血飛沫が上がる。
「ランサー!」
 達也の声が響く。ブーディカが川に倒れる。バシャッという音が虚しく打ち上がる。
「……やった」
 勝利を確信した真衣が小さくつぶやく。
 ぎゅっと握られたその右手にある“推しをイメージしたハートの令印”は、いつの間にか二画になっていた。

 ――先刻、ジェロニモがした口づけ。あれは、サインだった。
 真衣は戦いの素人である。魔術も使えない一般人だ。故に、戦況に応じて令呪の使用や逃走などの判断を行うことは難しい。
 そこでジェロニモは、あらかじめ右手と左手の指それぞれ四本に対応した作戦を決めておき、その指を示すことでサインとすることにしていた。五本でないのは、一本の指は自由にしておき、単に方向を指し示すサインなどとして使えるようにするため。そして、ジェロニモにとって意味のある数字である四を作戦の数にすることで、願掛けも兼ねていた。
 さらに、万が一真衣がサインの内容を忘れてしまっても平気なように、右手は令呪を使用した作戦と決めてあり、内容が思い出せなければ、漠然とした命令をするように決めてあった。後は逃走のサインだけは忘れないようにすれば、まず最悪の事態は回避できるだろうというのがジェロニモの策だった。
 そして、先ほどの右手の中指に対応していたのは、令呪で加速を命ずる作戦。「ミドル」はその掛け声だった。
 サーヴァントの戦闘速度は時に音速をも超えると言われている。その真偽はさておき、スポーツ経験にさえ乏しい真衣の目では戦況を全く見切れないことは確かだ。
 故にジェロニモは戦いの前の会話で接近戦を印象付けておきながら、自分がブーディカの間合いに入る直前で武器を投げ捨て混乱を誘うと同時に、警戒してナイフを回避するように仕向け、時間的な隙を作った。
 そして、それと同時に令呪使用の指示を出し、瞬間移動をも可能とする令呪の後押しをもって今の自分の一番の武器である銃を出し、構え、撃ったのである。
 全ては確実に相手を仕留めるために。

「ジェロニモ!」
 喜びの声を上げた真衣が気づいた時には、ジェロニモの胸を槍が突き抜けたていた。
「ぬぅんっぅぅぅぉぁぁぁ……!」
 ズボッと槍が抜かれ、エーテルで再現された鮮血が川に落ち、赤いもやを描きながら流れていく。
「ジェロ……ニモ……?」
 真衣の前でジェロニモの身体がキラキラと光の粒子を発し始める。
「……危なかった。本当なら、今のはあたしが負けてたよ」
「ランサー……」
「ごめん達也。心配させちゃったね」
 霊核を貫かれ消滅が始まったのを見届け、ブーディカが下がっていく。彼女の鎖骨の下辺りには、ジェロニモに銃弾で貫かれた生々しい傷があった。
 彼女は完全にジェロニモの策にハマった。本当なら、今立っていたのはジェロニモで、ブーディカはあのまま倒れていたことだろう。
 しかし、戦いは無情である。どんなに知略を巡らせようとも、どんなに努力を重ねようとも、どんなに実力を備えていようとも、それが必ず報われるとは限らない。
 勝利は研鑽の証ではなく、敗北は怠惰の証ではなく、強さの証でも弱さの証でもないそれはただ、勝った者の手にあるだけのもので、敗けた者の手にあるだけのもの。
 単なる幸運で、ないし不運で、勝敗が決することもある。
 ブーディカはジェロニモの思惑通り、まんまと混乱させられた。そして、急に踏み込むのを踏みとどまった。それ故に、普段ならば犯さないような失態を犯したのだ。川の流れと濡れた石に足をとられ、転倒したのである。
 もちろん、ブーディカは態勢を持ち直そうとした。しかしそれは失敗し、結果的に転倒のタイミングは図らずも、ジェロニモの銃弾をギリギリで回避するのにピッタリのタイミングとなった。
 それ故、ジェロニモは反応が遅れた。銃弾が急所を外れたことに気づき対応するのに、僅かな時間を要した。
 そして、最良のタイミングで転倒したブーディカは、即座の反撃に移り勝利を奪い取ったのである。
「――これも、女神アンドラスタのご加護かな。後味のいい勝利じゃなかったけど。まあ、これは復讐のための戦いだ。こういうことも、あるよね……」
「……」
 栄光のない勝利を得た二人の側では、真衣が川の中に膝をついて浴衣を濡らし、頬を濡らしていた。
「ジェロニモ……、やだ……。ジェロニモ……!」
「……すま……ない。……真衣」
 真衣はそこではっとなり、右手を握りしめて叫ぶ。
「ジェロニモ! 消えないで! 消えないで!」
 真衣の右手から残り二画の“推しをイメージしたハートの令印”が消える。
「――!」
 達也とブーディカに緊張が走る、が、ジェロニモの消滅はもう止まらなかった。彼の霊核はすでに、令呪二画分では回復しきれないほどのダメージを負ってしまっていた。
 令呪二画で出来たことは、せいぜい消滅までの時間を引き延ばすことくらいだった。
「……もう、俺たちの勝利は決まったようだな」
「うん。そうだね」
「とどめを刺す必要はないだろう。ランサー、行くぞ」
「うん」
 ブーディカは返事をすると、達也を抱きかかえて川を跳び立った。
「ジェロニモ! ジェロニモ!」
 後にはゆっくりと消滅していくジェロニモと、泣き叫ぶ真衣だけが残される。
「……」
「……綺麗」
 不意に真衣がつぶやいた。
「……? 花火が……見えるのか……?」
 一瞬で勝負は決した。打ち上げ花火はまだ終わっていない。
 ドーン、ドーン、パラパラパラ……と花火の打ち上がる音がここにも届いている。
「……違う。そうじゃなくて……。ジェロニモが、きらきらして、綺麗だなって。花火みたいだなって」
「……ふっ。ふふふ。私が花火みたい、か……。それはそれは……、血にまみれた、汚い花火だろうなぁ……」
「そんなことないよ。とっても綺麗だよ。ジェロニモは、とっても綺麗」
「ふっ……、そうか……」
 真衣の腕の中で、ゆっくりと光の粒子になって消えてゆく戦士。
 その身体は、彼の穏やかな人となりを表すかのようにキラキラと静かに輝いて、盛大な音と共に天に咲く大輪の花にも、負けず劣らず輝いていた。
 それはまるで、地上の花火のようで――。
「私は、戦士として……。復讐者として、現界した……。しかし、そんな私を……んだのは……戦う気のない……君だった……」
「ジェロニモ……」
「初めは……憤りもしていた……。戦いたいと……。なぜ、こんなマスタのもとに、ばれてしまったのかと……。自分をも、恨んだ……」
「ジェロニモ……。ごめ」
「違うぞ! 真衣。うっ……!」
「ジェロニモ!」
「大丈夫だ……。うっ、ううううう! あぁ……。君と……穏やかに……暮らす中で……。何を……しているのだろうと……。私は……何を……しているのだろうと……、何度も……思ったよ……」
「……」
「だが……、今……思い返せば……、どれも……幸福な……時間だった……。だから、こそ……! 勝利を……。花火を……君と……見られなかったことが……。約束を……守れなかったことが……。うう……、すまない……。本当に、すまない……」
「ジェロニモ……」
 真衣の目から枯れない涙がこぼれ落ちていく。
「私は……君と出会えて……よかった……。文化も……生活も……違うが……、これが……きっと……、私が……復讐のため……立ち上がった……理由……。私が……願った……ものだったのだ……。それに……もう一度……気づけたよ……。真衣。君の、お陰だ……」
「……」
「我々にとって……深い……親愛と……責任で結ばれた……者は……、家族だ……。真衣……。君はもう……私にとって……娘だ……。君の望む……形では……ないかもしれないが……。真衣」
「……」
「私は君を、愛しているよ……」
「……ジェロニモ。私も、私もだよ! 私もジェロニモを、愛してる。大好きだよ、ジェロニモ」
 じきに花火は終わる。としまえんは閉園し、今年の夏も終わる。
 どんなに惜しまれようと、愛されようと、終わりを迎える。
 ジェロニモの輝きも、現界も終わり、彼もまた消滅する。
 わずかな別れの時間を、二人は最後まで、最後まで、穏やかにすごした――。

     *

 どれほど泣いていただろうか。真衣は立ち上がる。
 顔も浴衣もぐしょぐしょで、脚はすっかり川の水に冷やされて、夏だというのに真衣はひどく寒かった。
「はぁー……。私、もういい歳だし? ゲームの中のキャラクターと本気で付き合えるとか、思ってないし……」
 真衣は大きな一人言を言いながら歩き出す。
「はぁ、婚活でもしよっかなー。マッチングアプリとか初めてみようかな。あれ、どうやって探すんだろう。ジャンルとかで探すのかな? ジェロニモ似、とかあるかな……。って、ないない! 約束を破るような男はない!」
 先ほどまでの涙が嘘のように、真衣は元気そうな声でわめく。
 もちろん、それが嘘ではなかったことは、真衣の目が物語っている。
「てか、どうすんのこれ! せっかくの浴衣びしょびしょだし、サンダルでこんな川とかヤバイんだけど! 絶対風邪ひくじゃーん。明日から仕事だしぃ~……。どーやって帰ればいいの~。もー、こんなところに置き去りにしてー。警察とかに見つかったらどうしよう。なんて言い訳すればいいの?」
 真衣はまた込み上げてくるそれを吹き飛ばすように大きな声で叫んだ。
「ジェロニモのばか!」


第23節第25節
目次



AiEnのマテリアルⅣ

ジェロニモ(AiEn)

 ――AiEnのアーチャー?

筋力(A),耐久(A),敏捷(A),魔力(D),幸運(C),宝具(?)
復讐者(A),忘却補正(C),自己回復(魔力)(D)

夏の魔物(B)
 スキル“血塗れの悪魔”が夏の霊基によって変化したもの。アパッチ戦争では敵軍から「赤い悪魔」と呼ばれ恐れられたという。

インディアン(夏)(A)
 詳細不明。キャンプに役立ちそう。ちなみに「インド人」を意味する「インディアン」という名称は勘違いによる呼称であると共に、歴史的な背景から差別的なニュアンスもあるため、現在では「ネイティブ・アメリカン」や「アメリカ先住民」などの呼称が一般的になりつつある。しかし、今の人間が何を思い何と呼ぼうと、彼が「インディアン」と呼ばれた歴史は変わらない。

縁日の略奪者トリガー・ハッピー(C)
 詳細不明。縁日といえば祭り、祭りといえばハッピでハッピーだとか、家族を殺されたことがトリガーとなって狂戦士になっただとか、そういうのが掛かっているとかいないとか……。